第二章 つながりとまじわり



 朝のハイラル城は白い霧に包まれていた。いくつもそびえ立っているはずの青い尖塔も、根元だけが顔を覗かせている。
 夜明けの直後、リンクは置き手紙だけ残してクロスの屋敷を出てきた。勝手に押しかけておいて挨拶も言わずに出発したわけだ。申し訳なさを感じつつ、クロスの平穏な生活を守るためにも彼は進んだ。
 巨大な結界に守られた城を前に、ミドナが影から姿を現す。
「あれはワタシに任せてくれ」
「頼んだぞ、ミドナ」
 影の結晶石が浮かび上がった。影の国でザントを打倒した時と同じように、ミドナの体を覆い尽くす。
 次の瞬間、リンクは目を剥いた。
「ミドナ……!?」
 結晶石の隙間から、化け蜘蛛を思わせるような脚が何本も出てきた。あれが結晶石の本当の力? ミドナは無事なのか? 不安が拭いきれないが、今は見守るしかない。
 異形と化したミドナはいくつもの脚を操って城の結界を登っていく。前脚の二本の間に大きな槍が出現した。遠目から見ても、あの槍に相当な密度の力が集まっていると分かる。
 ミドナはそれを振りかざし、透明な壁に突き刺した。結界にヒビが入り、まばゆい光があたりを照らしあげる。
「わっ」
 思わず目を細めた。その刹那、小さな黒い影が真っ逆さまに落ちていくのが見えた。我に返ったリンクは走って着地点である正門前に向かい、元に戻ったミドナを両手で受け止める。
 彼女は腕の中でしばらく気絶していた。体への負担が大きいのかもしれない。かつて探し回った結晶石の本来の力を目の当たりにして、今さら空恐ろしい気分になる。
 ミドナがうっすらとまぶたを開けた。
「リンク……結界は?」
「ばっちりだよ。これで城に入れる」
 彼は元気づけるように笑ってみせた。指差す先には往時の姿を取り戻したハイラル城がある。
 ぱらぱらと雨が降ってきた。白い空の中には霧だけでなく、雨雲が混ざっていたらしい。
「よし、行こう!」
 ミドナはしっかりと体を起こし、影に入る。ここから先は、リンクが働く番だった。
 両手に力を込めて正門を開けた。敵陣に突入する段になって、リンクはあることを思い出す。
(そういえば、あのオオカミどこにもいなかったな……)
 例の奥義を教えてくれる骸骨剣士のことである。確か最後のウインドストーンに触れたあと、地図のこのあたりに印が打たれたはずだが。
 まあ、今はそんなことを気にしている場合ではない。リンクは目の前に意識を戻す。
 城壁の中にはよく植栽の整えられた広い庭があった。中央に堂々と本丸がそびえている。今まで城を訪れたのは二度、いずれもケモノ姿で、しかも地下水路経由だった。こうして真正面から突入するのは初めてである。リンクはなんだか感慨深くなってしまった。
 空にはカーゴロックが何匹も飛んでいる。一斉にこちらに襲いかかってくる——ことはなかった。が、目に見えないだけで大量の魔物の気配がした。昨日クロスが話していたとおりだ。
 十分に警戒しつつ、まずは本丸の正面扉を目指す。
「さすがに開いてないか」
 正門と違って、こちらは押しても引いてもびくともしなかった。扉にはこれみよがしに大きなカギ穴がついている。
「まずは両翼を攻略する必要がありそうだな」
 ミドナが影から出てきて左右に視線を向ける。城壁に沿ってぐるりと庭が配されているようだ。リンクはなんとなく、本丸を背にして右側に向かうことにした。
 庭は壁で仕切られていて、こちらにはカギのかかっていない扉があった。用心しながら開けると、すぐに魔法の障壁が背後に生じ、退路を絶たれる。
 同時に種々雑多な魔物たちが湧いてきて、一斉に行手を阻んだ。ボコブリンとリザルフォスがそれぞれの得物を振りかぶって駆けてくる。遠くには、弓を持つブルブリンまで見えた。
(ブルブリン? まさか、親玉がここにいるのか)
 結局忘れられた里にはいなかったけれど。そこで反射的にノアの存在を思い出し、リンクの胸に鋭い痛みが走る。彼とはカカリコ村でほとんどけんか別れのようになってしまったきりだ。今頃どうしているのだろう、きちんと休んでいたらいいのだが。
 話が少しでも違っていれば、この城には彼と一緒に来ていたのかもしれない。だが今、ここにいるのはリンクとミドナだけだ。つまりそれが必然だった、ということだろう。
 もやもやする思考を振り切るようにマスターソードを水平に薙いだ。退魔の剣はここ一番の冴えを見せ、魔物を切り裂いていく。
 敵の群れを突破すると、大きな広場に出た。平時は兵士たちの演習場だったのかもしれない。
 先ほどまでとは違い、あたりは妙に静かだった。
「何かいるぞ。気をつけろリンク」
 影のミドナも警戒を促した。リンクは剣と盾を両手にそれぞれ提げたまま、広場の中心に向かってゆっくりと歩いていく。
 金属を引きずるような重い音がした。砂漠のアジトでも聞いたあの音だ。リンクは表情を険しくする。
 広場の奥にあった鉄格子を開けて、キングブルブリンが入場してくる。久々に顔を合わせたキングは、以前と同じ大斧をかついでいた。前回の怪我は当然完治している様子だ。
「コノ俺ガ、遊ンデヤルゼ!」
 濁っている上に抑揚がなくて聞き取りづらいが、キングはたしかに言葉を発した。にやりと笑い——そうすると妙に人間くさく見える——きらりと光るカギを取り出す。
「あれが正面扉のカギか!」
 ミドナが影の中で前のめりになる。
 正真正銘、キングとの最後の戦いになるだろう。リンクはマスターソードを正眼に構える。
 砂漠で戦った時は、まだこの剣を手に入れたばかりだった。あれから場数を踏んで退魔の剣もずいぶん手に馴染み、新たな奥義だって覚えた。
「行くぞ!」
 今回は怪我などしない。リンクにとっての本番はまだまだ先なのだから。
 膝を屈伸させて上半身を沈み込ませる。
 それこそ最近身につけた奥義、大ジャンプ斬りの予備動作だ。普通のジャンプ斬りより高く跳び、力を込めて剣を叩きつけることで、衝撃波を発生させる。攻撃に移るまでの隙が大きい技だが、キングと接近する前の今が使いどころだ。
 短い雄叫びとともに、溜めた力を解放する。キングが緩慢に持ち上げた斧と、スピードの乗ったマスターソードが勢いよくぶつかった。
 リンクは腕力に自信があった。昔から牧童として山羊たちと格闘したり、旅に出てからも(多少ズルはしたが)相撲という競技でゴロンを突き飛ばしたりしてきた。鍛えた力とこのマスターソードがあれば、キングにも無傷で勝利できるはずだ。
 先ほどの大ジャンプ斬りはあえて相手に防がせた。奥義の威力はキングの手元に伝わっているはずだ。そのまま数合打ち込み、相手に隙を与えない。
 だが、このまま攻めていてもこちらが疲れるばかりだ。一度バックステップで距離をとった。
 反撃とばかりにキングが斧を振りかぶる。その右手——大ジャンプ斬りの衝撃を受けたであろう部位を狙ってマスターソードを閃かせる。
 奥義とはまた違う精密な動きだ。リンクは手首をひねり、剣先に渾身の力を込めて相手の斧を弾き飛ばした。
 斧は弧を描いて宙を飛び、遠くの地面に突き刺さる。息を弾ませながら、リンクは相手の喉元に剣を突きつけた。
(……勝った)
 我ながら、完璧な勝利だった。思わず顔を緩めそうになり、慌てて気を引き締める。
 無手になったキングは、リンクに向かってカギを放り投げた。急いで剣を下げ、なんとか落とすことなくキャッチする。
「いいのか?」
 意外にあっさり渡してくれた。このカギを持ち逃げすれば、リンクの進軍を遮ることができるのに。
 訝る視線を向けると、キングブルブリンは唐突に「行ケ」と言った。
「俺タチハ、強イ者ニ従ウ! ……タダ、ソレダケノコト」
 ブルブリンたちは、ザントやその背後にいる魔王に従っていた。リンクがこうして何度もキングを破ったため、その強さに敬意を表したのかもしれない。
 足を引きずるキングが白亜の壁の向こうに消えてから、リンクは肩の力を抜いた。
「リンク」
 ミドナが影の中から出てくる。彼女はわざとつくったような真剣な顔で、
「アイツ……喋れたんだな」
「それは俺も思った」
 二人はくすくす笑い合った。
 なんとなくおかしさが先にこみ上げてきたが、魔物とも意思の疎通ができたということだ。不思議な高揚感がリンクの胸を満たしていた。
 気を取り直してミドナがこぶしを振り上げる。
「よし、カギも手に入ったし先を急ごう。ゼルダ姫を助けるんだ!」
「おうっ」
 二人は引き返して正面の扉へ急ぐ。いよいよ城の内部に突入だ。



 いつも黄昏色に光っていたハイラル城の結界は、すっかり消え失せていた。
「勇者たちが破ったみたいね。都合がいいわ」
 小雨の中、朝になったというのに無人の町をマリエルはすたすた横切る。クロスは傘を握りしめ、小走りでついていった。
 長い夜から一晩経って、城下町は一見落ち着きを取り戻したかのようだ。だが、実際は騒ぐのにも疲れた人々が家に閉じこもっただけだろう。根本的な解決にはなっていない。
 その一方、兵士たちは結局屋敷に戻ってこなかった。昨夜は南、西、東の門にそれぞれ詰めて警戒を続けていたのか。案外、今ごろクロスと入れ違いに屋敷に戻っているかもしれない。
 が、目下のところクロスの心配事は別にある。
「あの、マリエルさん」
 彼女は普段どおりの服装で来てしまったことを後悔していた。これから魔王の居城に攻め込むというのに、こんな格好で大丈夫なのだろうか。しかしマリエルだっていつもの瀟洒な服のままだ。まあ、彼女はいざとなれば変身でどうとでもなるのだろうが……。
「待って、誰かいるわ」
 さっと優美な手が横に伸ばされた。二人は建物の影からこっそり正門の様子を伺った。確かに複数の人影が見える。
(あっ)
 伯父のラフレル、それに仲間のモイ、アッシュ、シャッドだった。どうやら彼らも城に攻め込むつもりらしい。地図を広げて何事か話し合っている。腰には剣を帯びており、クロスと違って皆準備は万端だ。シャッドだけはどうも普段着のように見えたが。
 今、一番顔を合わせたくないメンバーが勢揃いしていた。クロスが青ざめる。
 一方のマリエルはにやりとして振り向く。
「ちょうどいいじゃない。あいつらを先に行かせましょうよ。勇者の討ち漏らした魔物を片付けてくれるでしょ」
「はあ……」
「さすがにここで親戚と鉢合わせたらクロスさんとしては気まずいんでしょ? 例の世間体ってやつで。いつかはあいつらを追い越して勇者と会わなきゃいけないけど、まあなんとかなるって」
 クロスは無言でがくがくと頭を振る。
「口数少ないわね。緊張してるの? らしくないわよ」
「当たり前じゃないですか! 魔物を見たのだって昨日が初めてだったんですよ」
 声を張り上げてしまった。慌てて口を押さえる。ラフレルたちはこちらに気づいた様子もなく、正門の中に吸い込まれていく。
 クロスは城に入ったことがない。いや、かつてはあったのかもしれないが、それも父親の記憶と一緒に忘れてしまった。見知らぬ地でどんな危険が降りかかるかと思えば、足が震えて仕方ない。
 マリエルは自信満々で腰に手をあてた。
「大丈夫よ、あたしがきちんと守ってあげるから。なにせとびきりの魔力と魂がかかってるわけだし!」
 おほほと高笑いしている。とにかく頼りになるのは彼女一人だ。クロスはもう全てを託すことに決めている。
「よろしくお願いします……」
「城攻めなんて久々でワクワクしてきたわ。さあ行きましょう!」
 悪魔はまさに悪魔らしく、クロスの腕を掴み、引きずるようにして正門へと向かった。



 暁に染まる空を木々の間に見たノアは焦りを感じていた。
 トアル村に迫る魔物の姿を確認して、ラトアーヌとフィローネの間をつなぐ吊り橋を渡ったのは月の出る真夜中のことだ。暗い森を駆け抜けたノアは、フィローネ地方の入口に住むキコルという油売りを訪ねた。
 キコルの小屋は村への通り道にある。だから何度か顔を合わせたことがあった。その時のキコルは外に据えた鍋をかき回しながら、肩にとまった小鳥と一緒にのほほんと森の景色に溶け込んでいた。
 小屋の扉をノックするが、キコルは出てこない。立派な木造なので防音がしっかりしているということか。困ったノアは窓に回り込んでそちらを叩いてみる。
「キコルさん……」
 普段から無口を通しているので、彼には大声を出すという概念がない。仕方なくひたすら窓を揺らし続けて、やっとのことで中から物音が聞こえてきた。
「さっきからなんスか、こんな夜中に!」
 ばたんと乱暴にドアを開けたキコルは、完全に気が立っていた。もじゃもじゃの特徴的な頭がいつも以上に乱れていて、一瞬誰だか分からなかった。
 ノアは静かに告げる。
「ここに魔物が近づいている」
「はあ?」
「トアル村に避難してくてくれ」
 淡々と事情を話すノアに、キコルははじめ呆気にとられていた。それからだんだん頭が冷えてきたらしい。
「そういえばやけに森が静かッスね」
 キコルはもじゃもじゃの髪を振って黒っぽい木々を見つめた。
 ノアは黙って小屋から離れる。もう空は白々と明けはじめていた。
「えっ」
 後をついてきたキコルが目を丸くする。光源は地上にもあった。森の向こうの平原で、火を扱えるブルブリンたちが松明を持っているのだろう。
(少なくとも森に火を放つつもりはないらしいな)
 その気があるならとっくの昔にこのあたりは火の海だろう。ノアはそう考えてほっとしたが、反対にキコルは震え上がっていた。
「な、なんでこんなことに」
「とにかくおれについてきてくれ」
 切羽詰まっている状況を了解したのだろう、キコルはおとなしく誘導に従ってくれた。
 ノアは吊り橋の向こうに彼を連れて行った。崖の切れ目からは、もう朝日が見えている。
「道をまっすぐ進めばトアル村がある。そこで、村長たちが受け入れてくれる」
 そのまま立ち去ろうとすると、キコルが袖を引いた。
「に、兄さんはどうするッスか」
「……戦う」
 腰の剣を叩いてあっさり答える彼に、キコルが大きく目を見開く。
「勝てるんですか!?」
「なんとかするしかない」
 詳細を伝える暇はないが、一人きりだからこそ使える作戦も多いのだ。
 これ以上時間を使うわけにもいかず、ノアはキコルに向かって一礼し、再び森に引き返した。
 キコルが村に戻れば、村人たちが吊り橋を落としてくれるはずだ。そうすれば村が魔物に襲われることはない。
 さすがのノアも、あの数とまともに戦って勝ち目は薄いことは分かっている。一考した彼は、キコルの家を見張り台代わりに使うことにした。
 小屋まで戻ると、窓枠を足場にしてするすると屋根に上った。平原の様子がよく見える。
 持っていたボウガンを軽く点検する。矢の数は十分とは言えなかったが、足りなくなった時は剣で活路を開くしかない。
 ノアは深く息を吸う。朝日に照らされた平原と、そこに蠢く魔物たちを視界にとらえる。
 空気の層の向こうには、うっすらとハイラル城の尖塔が佇んでいた。以前と雰囲気が変わったように見えるのは気のせいだろうか。
 魔物たちが下生えを踏みしめる音が耳に響く。ノアは余計な思考を振り払い、ついに間近に迫る魔物へと集中した。先陣を切って森に入ってきたボコブリンの脳天に、照準を合わせる。
(……行くぞ)



 キングブルブリンから受け取ったカギを使い、リンクは城の内部を攻略していた。石造りの城の中はどこもかしこも薄暗く、死角が多い。おまけに庭にいたボコブリンなどとは違い、鎧をまとった蜥蜴人ダイナフォスのような重装備の敵が増えて、より一層危険が増した。
 今までになく厳しい戦いを、リンクは疾風のブーメラン、クローショット、チェーンハンマーなど、今まで手に入れたアイテムを駆使して切り抜けていく。その場に応じた使い分けもスムーズに行い、城に踏み込んでから彼はほとんど足を止めることはなかった。
 本丸の二階にたどり着き、一度外廊下に出た。城の構造上、魔王がいるであろう最上階に行くにはそうするしかないようだ。
 雨風に晒された階段を上ると、またカギのかかった扉がある。防御体制が整っていて結構なことだが、今回はそれがリンクの障害となっていた。文句を言っても仕方ないし、こういう場所には慣れているので、すぐに目的を切り替える。外廊下を伝って、本丸から張り出した小塔へと足を向けた。正面扉のカギを探した時と同じように、こういう場合は脇道にカギがあるものだ。
 小雨を浴びつつ、リンクは重い足を無理やり前に動かす。いい加減疲れが出はじめていた。幸いこれまで大きな怪我はなかったけれど、いかんせん相手の数が多すぎる。だんだん戦闘が面倒になってきて、必要最低限の敵だけを撃破している状況だ。それについてはミドナも黙認している。「城の魔物全部を駆逐する」ことが目的ではないからだ。
 小塔へ向かう道は狭い上に両側は手すりになっていて、「ここを魔物に挟まれたら面倒だなあ」と思った時だった。
「また来るぞ」
 ミドナがうんざりしたように注意を促す。
 すかさず竜人リザルナーグが空から降下してきた。塔の見張り窓には弓を構えるブルブリンが並び、目一杯弓を引き絞っている。
 こちらも対抗しなければ——リンクがのろのろと腕を持ち上げた時、目の前が爆発した。
「わっ」
 火薬の焦げくさいにおいがあたりに広がる。爆発に巻き込まれたリザルナーグが地に落ちた。続いて飛来した何者かに、ブルブリンが次々と塔から打ち落とされる。一体何ごとか、とあたりを見回せば、空中に翼を広げたタカが飛んでいた。
(あいつ……トアル村の!)
 リンクも何度か口笛で呼んだことがある。タカが戻っていく先、城の庭を目で追うと——誰かが手を振っていた。
「リンク、無事か!」
 兜をかぶったモイだった。リンクは目の前の光景が信じられず、しばし呆けてしまう。
 それだけでない、ラフレルやアッシュ、なんとシャッドまでいる。テルマの酒場に集った「ハイラルの平和を願う者たち」が顔を揃えていた。傍らには移動式の大砲があって、砲口から煙を吐いている。
 皆、心配そうに二階のリンクを見ていた。はっとして喉に力を入れる。
「こっちは大丈夫!」
 アッシュが表情を緩めたのが分かる。モイがまた手を振る。
「後ろは俺たちに任せろ!」
 リンクは温かいもので胸が満たされるのを感じていた。何故か、雪山で飲んだカボチャのスープを思い出す——あの時も、そばには同行者がいた。
 今日城に攻め込むことは誰にも告げてなかったのに。事情なんて知らなくても、彼らは助けに来てくれた。
(話してもしょうがないって、俺が勝手に決めつけてただけだったのかもしれない)
 四人は本丸の正面扉に向かったらしい。姿が見えなくなる。
 リンクは小塔に向き直る。
「シャッド、あいつ丸腰だったよな。一体何しに来たんだろう」
 笑いの衝動がこみ上げてくる。ひとしきり喜びを噛み締めていると、柔らかなミドナの声が鼓膜を叩く。
「あれがオマエの仲間なんだな」
「……ああ!」
 リンクは晴れやかな顔で新たな一歩を踏み出した。



 青い炎を浴びた魔物が塵も残さず消え失せるのを、クロスは呆然と見つめていた。
 暗い廊下の隅から急に飛び出してきたその影は、一見普通のコウモリのようだったが、小さくも鋭い牙でクロスの肌を狙ってきた。
 叫ぶ間もなく反射的に右手をかざすと、炎に包まれて床に落ちる。命を奪った、という実感もなくこうなるのだから、クロスは温度のない炎に寒気を感じた。
 マリエルは興味深そうに残り火を観察する。
「さすがねえ。でもその魔法、あんまり多用しない方がいいわよ。消耗が大きいんでしょ? あなたを背負いながら戦うのはあたしも嫌よ」
「はい……」
 魔力とは恐ろしいものだ。消えてほしい、と思ったものをその通りにできてしまう。おそらく使い方を間違えればただではすまない。
 そんな力を持ったゲルド族が滅びるのも道理かもしれない、と思った。しかし魔王はもっともっと強力な力を持っていて、それにリンクは退魔の剣で対抗しようとしているのだ。クロスは途方に暮れるしかない。
 今回、クロスは例の仮面をかぶっていない。なので常に魔物に襲われる危険に晒されているわけだが、「あなたも多少は魔物の気配とか魔法の扱いに慣れておいた方がいいわよ。それに、お城の中には地下水路のファントムみたいに小手先の幻術が通じない相手も出てくるだろうし」とマリエルに釘をさされている。今回の特殊例を除いて、今後クロスが魔物と戦うことなどないのだから、そんなものに慣れても仕方ないのだが……。
 二人はすでに開かれていた本丸の正面扉を通り、ここまでやってきた。現在地は二階にある細長い廊下だ。
 さすがは一国の主の住まう城、ただの廊下にすら高級そうな絨毯が引かれ、壁には風景画などがふんだんに飾られている。が、それらの贅を凝らした装飾は見る影もなくボロボロだった。
 こうして城の惨状を目の当たりにすると、クロスの屋敷を占拠したのが普通の兵士で本当に良かったと思う。魔物相手だったらどうなっていたことか……今さらながらゼルダ姫の安否が気遣われた。
 新たな部屋を訪れるたびいちいち怯えるクロスと違い、マリエルは我が物顔で城を歩いていた。この豪胆さはクロスにはない。というかほとんどの人が持ち合わせていないだろう。
 彼女は躊躇なく次の扉を開けた。途端に鎧を着た蜥蜴が走ってくる。硬直するクロスの眼前で、大鎌が一閃した。魔物の首が切り捨てられる。
 マリエルは息を乱した様子もない。ただ、崩れ落ちた死体を足蹴にして、渋い顔をしていた。
「勇者に加えてあの人間たちも突入したっていうのに、妙に魔物が多いわね。嫌な予感がするわ」
「ど、どんな?」
「多勢に無勢ってことよ。まず先陣を切る勇者は多分速さを優先して、とにかく後ろを振り返らずに突破してる。勢いでそのまま魔王を討ち取ろうって寸法よ」
「はあ」
「で、勇者の撃ち漏らした魔物たちに、あの人間たちが囲まれるかもしれないわ」
 その事実にリンクは多分気づいていない。クロスはあることに思い当たって青くなる。
「もしや、私たちもそれに巻き込まれるのでは……?」
「よく気づいたわね。そのとおりよ」
 むしろマリエルは楽しげに答える。クロスは大きなため息をつきそうになり、急いで飲み込んだ。余計な物音は立てないに限る。
 奥に進むマリエルに続いて、魔物が床に転がっているそばをおっかなびっくり通り抜ける。瞳孔は開ききっていて明らかに絶命しているのだが、それでも不気味で仕方ない。「やっぱり城に来るの、やめておけば良かった」と何度思ったことか。その度にポケットの中のカギを握って、目的を再確認した。
(リンクさんがこの先で足止めされてるかもしれない。さっさと届けて、すぐ家に帰ろう)
 なけなしのやる気を振り絞り、足を動かす。
 今度は外に出た。鬱陶しい小雨はまだ降り続いている。クロスは傘を広げた。マリエルには嫌な顔をされたが、これが生命線とばかりに持ち込んでいる。
 外廊下沿いに階段を上り、本丸の正面の扉を開ける。
 途端に剣戟の音が聞こえてきた。「ほらね」とマリエルがつぶやく。先行した四人に追いついたのだ。
 天井の高いホールのような場所で、ラフレルたちは苦戦を強いられている様子だった。例の魔法の壁に退路を塞がれ、小さな人型の魔物に囲まれている。アッシュを筆頭に果敢に剣を振るって応戦しているが、じわじわ押されているらしい。
 魔物もラフレルたちもまだこちらの存在に気づいていない。
「ほらクロスさん、パーっとやっちゃって。あなたの力を見せつけるのよ!」
 マリエルは先ほど「魔力を節約しろ」と言ったばかりの口で真反対のことを言う。
「な、何故私が」
「あたしの攻撃であの数を倒そうとしたら、人間たちまで巻き込むわ」
 本当だろうか? だが魔法や戦闘に関することで、クロスに反論できるだけの材料はない。
 あの炎なら確かに群がる魔物を一掃できるだろう。そう確信しつつも、彼女は躊躇した。
 目の前の彼らに——主に伯父のラフレルには、どう言い訳したらいいのだろう。何も思いつかない。伯父はクロスに魔力があることなんて知らないはずだ。おまけに、以前城下町を荒らし回った悪魔と取引きしてこんな場所までやってきただなんて、口が裂けても言えない。
(だからといって、このまま手をこまねいているわけにもいかないか……)
 クロスは右手を持ち上げて、魔物だけに意識を向ける。青い炎が立ち、瞬く間に燃え広がった。敵の姿と同時に魔法の壁が消えていく。
 腕を下げると、くらりと頭が揺れる感覚がある。力を使いすぎたらしい。
「これはどういうことだ」
 アッシュが剣を構えたまま驚いている。
 もう覚悟を決めるしかない。クロスは倦怠感を押し隠し、なるべく堂々として見えるように四人に歩み寄った。
「クロス……?」いるはずのない姪の姿を見つけたラフレルがぽかんとしている。「ど、どうしてここに」
 動揺する伯父に、胸が苦しくなった。居候して寝食を世話になり、さんざん迷惑をかけてきた時もこんな気持ちにはならなかったのに。
「武器も持たずにここまで来たのか!?」
 アッシュの驚愕に、マリエルが後ろでくすりと笑った。そう、クロスは武器よりもよほど危険なものを持っている。
「私は……リンクさんを追いかけてきました」
 ラフレルたちは顔を見合わせた。
「あの人、昨日うちに泊まっていったのですが、忘れ物をしたようでして。届けなくてはいけません」
「ええ……」とシャッドが怪訝そうに眉をひそめ、
「そんなことのためにここまで来たのか」アッシュが顔を険しくする。「我々が代わりに届けよう。クロス殿は家に戻るんだ」
「あーら、そんなこと言っていいの?」
 不敵に笑いつつ、マリエルがずいと前に出た。
「誰だお前は」
 アッシュが片眉を跳ね上げる。
 彼女はすらりとバランスの取れた体つきを見せつけながら、
「マリエルよ。あたしはねえ、この人……ゲルドの魔女の使い魔なのよ!」
 ラフレルが目を丸くする。「マリエル? その名はまさか……」
 一方クロスは耳を疑った。隣で胸を張る悪魔と、呆気にとられたアッシュたちをしきりに見比べる。
「な、な、何を言ってるんですか」
「クロスさんはこれから魔王と一戦交えようって魂胆なのよ。だから凡百のあんたたちは邪魔なの。そっちこそ家帰って寝てたら?」
 マリエルはあることないこと構わず一気呵成に喋り、煽りまくった。
 全員の視線がクロスに集中する。もう覚悟を決めるしかない。
「……ふ、ふふ。実はそうなんですよ。私はこの城を乗っ取りにきました」
 こうなったらヤケだ。全力で演技して誤魔化してしまおう。流れ落ちる冷や汗に気づかないふりをして、クロスはそっくりかえる。
「そんな訳のわからないことを言っている場合か!」
 アッシュがまともすぎる反論をした。クロスはひるみ、耳を塞ぎたくなる。マリエルはその耳元に口を寄せて囁いた。
「クロスさん、あいつら燃やしちゃいなさいよ」
「えっ」
「足元だけよ。その隙に上に行くの」
 これ以上彼らと話し合っても平行線をたどるだけだろう。リンクにカギを届けるためにも、あまり時間はない。
 仕方なしに炎を放った。燃えるものなど何もない石の床に青い壁ができる。アッシュがたたらを踏んだ。炎で足止めしている間に、二人は階段を目指す。
「クロス……!」
 絡みつく伯父の視線と心配そうな声を振り切り、階段を駆け上がった。
(やってしまった……)
 脳裏には後悔ばかりが残っている。今度顔を合わせた時、どう弁解すればいいのだろう。調子よく喋っていたマリエルの背中を恨めしい気持ちで見つめた。
 勇んで飛び出たはいいものの、階段が続いてすぐに息が切れた。クロスはむせながら踊り場に座り込む。
 少し前を軽やかに走っていたマリエルが振り返った。
「もー、引きこもりだからって体力なさすぎでしょ」
「……すみません」
「もうひと頑張りよ。そろそろあの勇者が待ってるはずだわ」
 その言葉に、気を引き締める。炎の効果は大して持たないだろうし、アッシュたちから逃れるためにも急いで上がってしまいたい。
 そんなクロスの気持ちを挫こうとしているのか、呆れるほど長い階段だった。いつも見上げていたお城の核心部に迫っているのだから当然なのだが、嫌がらせで配置したとしか思えない。優美な城でも侵入者対策はきちんとしているのだな、と思った。
 先を行くマリエルが立ち止まる。目の前の階段が崩れ落ち、大きな穴が空いていた。底が見えないほどに深い。まさか地下まで続いているのだろうか。いずれにしても、落ちれば命はない。一体リンクはどうやってここを抜けたのだろう。
「跳ぶわ。つかまって」
「あ、はい」
 差し出された手を握った。マリエルが一歩踏み込む。体が軽くなった感覚がして、次の瞬間クロスは冗談のように高く浮き上がっていた。穴を簡単に飛び越え、向こう側の踊り場に着地する。
(これならラフレルさんたちに追いつかれることもないのかも)
 ほっとしたのもつかの間、甲高い金属音が聞こえてきた。
「勇者が上で戦ってるわ」
 ということは、これが剣戟の音なのか。リンクは一人のはずなのに、ラフレルたちよりも激しい戦いを繰り広げているようだ。思わず身がすくんでしまう。しかしマリエルの物言いたげな視線を受けて、クロスはなんとか足を踏み出した。最後の階段を上りきって、広い部屋に出る。
 その真ん中で、リンクが二体の鎧の騎士と戦っていた。
 つかの間、ぼんやりとその戦闘を眺めてしまう。魔物の重そうな剣の一撃を、リンクは右手の盾でしっかり受け止める。体を鍛えていなければそれだけで吹き飛ばされかねない攻撃だった。それでもリンクは二体を同時に相手取り、一歩も引いていない。
 クロスは、リンクの本気の戦いを初めて目の当たりにしていた。いつもはただの荷物だった剣と盾が、本来の用途で使われている。この光景を見たら誰もが「彼こそがハイラルの勇者である」と納得できるだろう。
「これじゃあ話どころじゃないわね」
 マリエルが眉一つ動かさず、前に出た。
「あ、あの魔物は?」
「タートナックよ。仕方ないわね、片方はあたしが引き受けるわ」
 マリエルが鎌を構えた。クロスは後ずさりする。
「そこの勇者、獲物をよこしなさい!」
 よく通る声で宣戦布告する。やっとこちらに意識を向けたリンクが、目を丸くした。
「えっ! なんでこんなところに……しかもクロスさんまで!?」
 ここまで予想通りの反応をしてくれるとは。なんとなくクロスは気が抜けてしまった。
 マリエルはあの素晴らしい跳躍力でタートナックの片方に飛びかかる。振り下ろした鎌が、剣に弾かれた。
「少しはやるみたいね」
 マリエルはそのまま流れるように鎌を回して連撃を繰り出し、一体だけをリンクから引き剥がすことに成功した。
 リンクもそれ以上追及せず、自分の敵に集中するつもりのようだ。
 固唾をのんで見守るクロスの前で、マリエルは打ち合いをはじめる。が、程なくして一度タートナックから飛び離れ、クロスのそばに来た。
「ちょっと厳しいかも。クロスさん、魔力ちょうだい」
「息切れが早すぎませんか」
「あのねえ、まだゴーストの魂も全部戻ってないし、ここに来るまであなたのお守りで結構消耗したんだから! ぐだぐだ言わずに手を貸しなさいっ」
 ものすごい剣幕で返されてしまった。しかしマリエルの言う通りなので、クロスも手を伸ばす。
「あっやべ! 二人とも避けてくれっ」
 唐突にリンクの大声が耳をつんざく。
「え」
 クロスの視界の端に、こちらに向かって飛んでくる剣が映った。リンクが戦っていた方のタートナックが投げたのだ。見れば、あちらの魔物は鎧が剥がれて軽装に変化していた。
 マリエルは棒立ちになるクロスを突き飛ばし、飛び込んできた剣を鎌の柄で受ける。ガキンという嫌な音が響いた。
「マリエルさんっ!」
 衝撃で瓦礫が落ちた。あたりが土埃に包まれて見えなくなる。まさか、防ぎきれなかったのだろうか。
 探しに行こうにも、鎧をまとったままの魔物がこちらをひたと睨みつけている。身動きが取れない。
「クロスさん、無事か!?」
 リンクが軽装のタートナックを振り切り、鎧のタートナックからクロスをかばう位置に出てきた。結局最初と同じように、二体と戦う羽目になる。
「ごめん、タイミング考えて鎧を剥ぐべきだったな」
 リンクはこんな時なのに苦笑いしていた。もはや完全にお荷物になっているクロスは、返す言葉もない。
 せめて援護を、と思って手をかざしかけたが、今の自分がタートナックを燃やし尽くすような炎を生み出せるとは思えなかった。ギリギリの体力でなんとか立っているような状況である。
(燃やすだけじゃない、別の力があれば役に立てるのに……!)
 リンクは攻撃に転じるタイミングを掴めず、盾を出したままじりじりと追い詰められていく。クロスは両手を握りしめた。
 ふと違和感を覚えて、二つのこぶしを目の高さに持ってくる。魔力の調節が下手なのだろう、勢い余って右手から青い炎が漏れている。しかし左手には、何故か赤いもやがまとわりついていた。
 そういえば炎を出す時、いつも何気なく右手をかざしていた。
 ……この力は、もしかして。
「リンクさん」
 決意したクロスは前に出る。盾を構えたリンクの右手に、己の左手を重ねた。
「わ、危ないから離れ——!?」
 リンクは瞠目した。クロスの左手から赤い光が発せられる。それは分厚い氷となって、壁のように立ちはだかった。タートナックの上段からの攻撃を弾き返す。
「今のって……え?」
 リンクは氷とクロスを見比べて、唖然としていた。戦う力がないはずの人物が突然魔法を放ったのだから、驚いても仕方ない。クロスはこわばった笑みを返す。
「おそらく長くは持ちません。今のうちに攻撃を」
「わ、分かったっ」
 なんとか気持ちを切り替えるリンクに、
「いいわよクロスさん!」
 明るい声が振ってきた。
 瓦礫の山を踏み越えて、マリエルが戻ってくる。衣も服も薄汚れていたが、怪我もなさそうでピンピンしていた。無事だったのか、とクロスは安堵する。
「壁を破って宝物庫に入れてくれるなんてラッキーだったわ」
 彼女は手のひらにルピーを山盛りにしていた。クロスは呆れてしまった。
「あなた、まさか火事場泥棒を働いたんですか」
「ハイラルの役に立つんだからお宝だって本望でしょ。そこの勇者も漁った形跡があったわよ」
 指をさされ、リンクは顔を赤らめる。
「ちょっと矢を補充しただけだよ!」
 一応、お金には手をつけない程度の分別はあったのだ。
 のんきに会話していたら、タートナックが氷の壁を破った。赤い破片は飛び散るそばから空気に溶けていく。クロスは当然反応できず、リンクが慌てて盾を突き出す。
 そこに、光の線が飛び込んできた。
「くらいなさい!」
 マリエルが投げつけたルピーから光が生じる。それはまぎれもない魔法だった。
 小さな光が幾重にも重なって太い線になり、二体のタートナックの体を貫いた。相手はどうと倒れ、ルピーは灰色になって床に落ちる。
「しけた術だと思ってたけど、なかなか役に立ったわね」
 満足気に息を吐くマリエルに、リンクはぽかんとしている。
「今のは?」
 クロスがルピーの成れの果てを拾い上げた。透明な緑や青をしているはずの通貨が、濁った色のただの石になっていた。
「お金っていうのは邪念が溜まりやすいからね、それをちょっと使わせてもらったのよ。マジックアーマーと同じ原理ね」
 クロスには理解のできない説明だった。「そ、そうですか」とにかく安心し、その拍子に体勢が崩れた。近くにいたリンクが背中を支えてくれる。
「クロスさん、どうしてここに」
 リンクは彼女を半ば抱えたまま尋ねた。
 ラフレルの時もそうだったが、ますますうまく説明できる気がしない。クロスは目をそらした。
「えっと……見送りに来ました」
「俺の?」
「まあそんなところです」
 今までで一番苦しい言い訳だ。リンクは返答に困っているようだ。きっと質問したいことが山ほどあるに違いない。魔物の巣窟の中、見送りのためだけに追いかけてきた魔法を使う女二人組。怪しいことこの上ない。
 何か余計なことを訊かれる前に、とポケットを探った。
「これを、あなたに」
 シークにもらったカギを渡す。リンクは目を丸くした。
「え? これって、まさか」
 彼はクロスをその場に待たせると、部屋の奥にある扉——タートナックが守っていたものだ——にカギを差し込んだ。穴の中でするりとカギが回る。
「道理でカギが足りないと思った。途中で一個空っぽの宝箱があったし。にしても、こんなものどこで……」
「そ、それはですね」
 分かりやすく動揺するクロスに、リンクは破顔した。
「まあいいや。クロスさんって本当に不思議な人だな。そっちの人も含めてさ」
 クロスは笑って誤魔化し、マリエルはそっぽを向いていた。
 剣をしまったリンクは両手で最後の扉を開ける。湿った風が吹き込んできて、ほおを冷やした。
「外だ」
 小雨はもう晴れていて、傾いた太陽の光があたりを鈍く照らしている。空には黄昏色の雲が渦巻き、この世とは思えないような光景だった。
 リンクが足を踏み出し、釣られてクロスも傘を開きながら外に出た。マリエルも後ろからついてくる。
 正面には幅の広い階段がある。その前には——
「あいつ……!」
 金の毛皮に赤い瞳を持つ大型動物がどっしりと居座っていた。以前町を歩いていた時、急にクロスに襲いかかってきたオオカミだ。
 リンクは導かれるようにオオカミに近づく。
「最後の一匹だ。どこにもいないと思ったら、こんなところに」
 赤い視線はじいっとクロスに注がれているようだった。リンクも、オオカミが彼女を見ていることに気づいたようだ。
(まさか、私が来るのを待っていた?)
 二人は黙って顔を見合わせ、並び立つ。マリエルが「いってらっしゃい」と手をひらひらさせる。
 金色のオオカミが飛びかかってきて、あの時のように視界が切り替わった。

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