第一章 月の呪い

Side Moon 3

『私は勇気の大妖精。勇敢な若者よ、バラバラになった体を元にもどしてくれてありがとう』
 翌日。ゼロはついに姿を現した大妖精の美貌に圧倒されていた。
 絹糸のようにつややかな髪に、長いまつげ。どこもかしこも紫色なのに全てに濃淡があって、パーツの一つ一つが宝石の粒のように輝いている。そもそも、妖精の上位存在が人間と似た姿をしているだなんて思いもしなかった。唯一、背中から生えた半透明の羽根がその種族を主張している。
 大妖精は紫色の瞳で、集まった者たち――ゼロ、アリス、ルル――を穏やかに見つめた。
 ゼロは意を決して一歩前に踏み出す。
「大妖精様、約束通りルルさんのお願いを叶えてもらえませんか」
 それが何よりも優先されるべきだと彼は考えた。しかし、大妖精は首を振る。
『残念ですが、私の力であなたの声を戻すことはできません。それは呪いの類いではないからです。声を取り戻す方法は、あなた自身も分かっているのでは?』
 ルルは図星を指されたようにうつむいた。
『ですが、あなたとミカウという方に訪れるべき未来は見えました』
 大妖精はまぶたを閉じる。繊細なまつげがぴくりと揺れた。
『いつか、どこかのステージの上で……あなたがたはともに楽器を演奏しています』
 ルルの目が輝く。「それじゃあ、カーニバルのライブは中止にならないんだ……!」ゼロは嬉しそうにつぶやく。アリスは何故か、黙りこくったままだった。
 不意に双眸を見開いた大妖精は、鋭い視線をゼロに向ける。
『そこの若者――ゼロといいましたか。あなた自身の願いはないのですか』
 いきなり指名され、彼はどきどきしながら答えた。
「えっと、オレとアリスには記憶がないんです。だからその手がかりを探しているんですけど……」
 大妖精は、はるか遠くを見据えるような目をした。
『ゼロ、あなたの記憶は自身の中にはありません。外部に――タルミナのどこかにあります。ですので、記憶を取り戻したければそれを探すことです』
「外部、ですか」
 思いもつかなかった話だ。つまり、自分の頭の中をどれだけ掘り下げても記憶は見つからないということだ。それは、本当に「記憶喪失」と呼べるものなのだろうか? 
 混乱しつつも、彼はかたわらの妖精を見上げる。
「それじゃあアリスの記憶は――アリス? どうしたの」
 ゼロが全幅の信頼を寄せる青い妖精は、珍しくぼうっとしていたようだ。何度か声をかけて、やっと我に返った。
『い、いえ。私の方は大丈夫です。大妖精様のお力のおかげでしょうか……記憶が戻りそうです』
 ゼロはぱっと破顔した。
「そうなの! もう何か思い出せたんだ。良かったね、アリス」
 記憶が復活する感覚は一体どういうものだろう。ぜひ尋ねてみたかったが、冷静なアリスはすぐその場にふさわしい話題に切り替えた。
『海の大妖精様。お力を取り戻されたのなら、他の地方にいる大妖精様の存在は感じられますか?』
 重要な質問だった。大妖精は頭に手をあて、しばし気配を探っている。
『いいえ……私以外は、誰も。町も含めてすべての地方の泉が力を失っています』
 ある程度予想はしていたが、改めて大変な事態になっているようだ。
「それって、仮面をかぶった小鬼ってやつの仕業なんですか」
『おそらくは。このようなことをなせるのは、あの仮面くらいですから。
 町の大妖精は、他の全ての大妖精を復活させた時、姿を現すはずです』
 何故町だけ特別なのだろうとゼロは思ったが、アリスが『分かりました。ありがとうございます』と言ったので、慌てて頭を下げる。
 そんな彼に紫の視線が注がれた。会話を重ねるにつれて信用されてきたのか、大妖精の言葉からはいくらか厳格さが抜けていた。
『若者よ、手を差し出しなさい』
 ゼロは言われたとおりに前に出て、両手を掲げる。
『あなたにこれを授けましょう』
 大妖精の指先が光を放った。それはゆっくりとゼロの手の上に落ちてきて、ずしりとした重さを持つ武器に変わる。抜け落ちたはずの記憶がそのアイテムの名前を告げていた。弓と矢筒だ。矢筒にはたっぷり矢が備えられていた。
「これ、もらっていいんですか?」
『ええ。これからの旅路できっと役に立つことでしょう』
 試しに弓の弦をぴんと弾いてみた。使い方はなんとなく分かる。きっと、剣と同じように、その時になれば勝手に体が動いてくれるだろう。
 再度大妖精に礼を言って、三人は洞窟の外に出た。
 待っていたエバンが「どうだった?」と駆け寄る。
 ルルは胸元に手を当てて、しっかりうなずいた。
『今すぐ声を戻すことはできないけれど、ルルさんは必ずミカウさんと一緒にカーニバルの本番を迎えられる、と大妖精様はおっしゃっていました』
「そうか……!」
 多くは尋ねないエバンも、ルルと一緒にじいんと感じ入っているようだ。
「ミカウさん、見つかるといいですね」
 ルルはこくこくうなずきながら、エバンに連れられてゾーラホールに戻っていく。
『ゼロさんは、これからどうされますか?』
 二人きりになってから、アリスは少し寂しそうな声を出す。ひとまず町の大妖精を復活させる方法と記憶の手がかりが見つかった以上、ゼロとの関係は再検討すべきだった。
「大妖精様によると、オレの記憶はどこか外にあるってことだよね? それなら、やっぱりタルミナ中を回るのが一番早いのかなあ」
『そう……ですよね』
 沈みかけた声に重ねるように、ゼロは続ける。
「だから、他の大妖精様を助けながら記憶探しを続けるよ」
 一瞬、アリスは喜びを示すように白っぽい光を放った。
『え! ですが……いいのですか。私たち妖精の事情に、あなたを付き合わせてしまうことになります』
「大丈夫。むしろオレはアリスの助けがないとタルミナのことなんにも分からないし、おとといからずっと助けられっぱなしだし。これからもキミがいてくれると嬉しいな」
 ゼロは心の底から笑いかけた。
『……はい!』
 アリスの嬉しそうな声色は、聞いているこちらまで心があたたかくなるものだった。
 しかし、そうは言ってもタイムリミットは近い。ゼロはクロックタウンの方角を見晴かす。
「月、近いね」
『あのままでは……落ちるでしょうね』
 アリスの断言はもはや絶対的な響きを持っていた。
「そんな……ルルさんはミカウさんと一緒にカーニバルで演奏できるって、大妖精様が」
 この先、果たして本当に大妖精の見た未来がやってくるのだろうか。二人は黙り込む。
 すぐにゼロは顔を上げた。
「一旦町に戻ろうと思う。町の人が避難するならちょっとは手伝えるかもしれないし……とにかくあっちの様子を知りたいんだ」
『分かりました』
 ゼロは砂浜を東の方へと走り出した。



 カーニバル前日の空は、どうしようもなく終末を感じさせる赤に染まっていた。しかし、そんな空よりも、迫る月の方がはるかに大きく天球を支配している。
 クロックタウンは閑散としていた。いやに静かな上、時おり不気味な振動が襲ってくる。一般の町人は避難したのだろう、青いバンダナを巻いた子どもたちや大工、町兵ばかりがうろうろしていた。
 ゼロは避難の状況を聞こうと考え、バイセンの姿を探したが、どこにも見当たらなかった。仕方なく、門兵をやっている男に話しかける。
「あの……避難していない人がいるのはどうしてですか?」
 門兵は兜に手をやり、悔しそうにうつむく。
「実は、まだ正式な避難命令が出ていなくてね。ずーっと町長公邸でやっている会議の結論が出ないんだ。町兵団はずっと避難を主張しているんだが、カーニバル実行委員がどうしても残るってうるさくて」
 実行委員会というのは、おととい見た法被姿の大工たちのことらしい。彼らはかたくなに「月は落ちない、自分たちは町の伝統を守ってカーニバルを開催する」と主張しているそうだ。
 一方の町兵団は、町長の正式な命令がない限り動くことができないのだという。
 しかし、ここまで月が接近していて、それでも落ちないというのは無理があるのではないか……とゼロには思えた。
「きみもすぐに避難した方がいいよ」
「はい。ありがとうございます」
 南広場を横切ると、完成前の月見やぐらにのぼった大工が「落ちるなら落ちてみやがれ」と月に向かって叫んでいた。あれはもはやヤケになっているのではないだろうか。ここまでくると、無理やり避難させるのも難しいだろう。議論が紛糾するはずだ。
「そういえば、ダル・ブルーの演奏はどこでやる予定だったんだろう」
 ふと思い立ってアリスに尋ねる。
『ええと……確か、ミルクバーという場所ですね』
「分かるの!?」
『はい。ポスターに書いてありましたので』
 そんな単純な見逃しをするとは――若干恥ずかしくなったゼロだった。
 目的地は東地区、ナベかま亭と道を挟んで反対側にあった。なんと、こんな時でも「開店中」の看板が外に出ている。
「ちょっと見てみようかな」
 案外ミカウがそこにいたりして――と、都合のいいことを考えながらドアノブを掴む。
 が、その直前、勢いよく内側からドアが開いた。驚いて身を引く彼に、店から飛び出してきた誰かがどさりともたれかかってくる。
「えっ!?」
 ゼロはどぎまぎした。全体重を預けてくるのは、金色の髪をポニーテールにした女の子だった。ゼロと同じくらいの年頃で、春物のマフラーを首に巻いている。
「どっ、どうしたんですか」
 少女はゆっくり顔を上げた。紫がかった青色の瞳と目が合う。しかしその表情は、思わずゼロがぞっとするほどに虚ろだった。
「二回目なの……」
「へ?」
「月が落ちるの、もう二回目なんだよ」
 この子は何を言っているのだろう? ゼロはまばたきする。
「あの、キミ大丈夫?」
 彼女はよろよろとゼロから離れた。絞り出す言葉もどこかひとり言のようで、こちらの存在をまともに認識できていないらしい。ゼロとアリスが固唾をのんで見守っていると、彼女は突然あらぬ方を向いた。
「聴こえるでしょ、あの笛の音」
 笛の音なんかどこにも……とゼロが答えようとした途端、小さな音が耳の奥に入ってくる。
 空気を震わせる音ではない。直接頭の中に響いてくる。単純な三音で構成されたメロディを、何度も繰り返しているようだ。
「何かの歌?」『これは――!』
 とにかく錯乱した様子の少女をどうにかしないと。駆け寄ろうとしたゼロだが、足を下ろすべき地面がいきなり消失した。石畳が溶けるように崩れ、その間から白い光が差し込む。自分の髪の毛が重力に逆らって浮き上がった。
(な、何だこれ……!?)
 世界が縦に引き伸ばされ、空間のひび割れた場所から白に染まっていく。顔のある月は落ちるどころかどんどん遠ざかっていった。ポニーテールの少女はもうどこに行ったかも分からない。
 ゼロはとっさに手を伸ばし、近くを漂っていたアリスを両腕で掴んだ。二人は白い渦の中に落ちていった。

inserted by FC2 system