第二章 後ろ姿

Side Star 1

 タルミナ平原に白っぽい砂埃が立っている。折しも降り出した雨に叩かれ、地面から巻き上がったのだ。
『急いで、羽根が濡れちゃう!』
『待ってよネエちゃん!』
 白い光と紫の光が、雨粒の間を縫って飛んだ。ちょうど行く手に大きな朽木が横たわっているのを見つけた。中身が空洞になっている。二人はその中に隠れた。
『ふー、危なかった』
 チャットとトレイル、妖精の姉弟はやっと人心地ついた。
 視界の端に黒い雲が見えたかと思えば、あっという間に土砂降りになった。植物にとっては恵みの雨だろうが、降る前に予告くらいしてほしいと思う。
 朽木の中にはざあざあという音ばかりが響いている。しばらくここに足止めだ。
 手持ち無沙汰になったチャットはあたりを見回し、別の生き物が彼女らと同じように雨宿りしていることを発見した。
『あれ、アイツは』
 確かスタルキッドという種族だ。うずくまってぶるぶる震えている。森に迷った子どもの成れの果てらしい。魔物の一種だがせいぜいイタズラ好きという程度で、邪気などほとんど持たないため、妖精にも察知できなかったのだ。
 チャットはそのまま放っておこうと考えたが、
『どうしたの?』弟が不用意に近づいていく。
『ちょっと、トレイル!』
 慌てて引き戻そうとしたその声で、逆に小鬼に気づかれた。
「妖精……?」
 スタルキッドは顔を上げた。顔は真っ暗な闇のようで、目と口だけがぽっかり浮かんでいる。そこに、見るからに寂しそうな表情を浮かべていた。
 姉と違って人懐っこい性格のトレイルは、話を聞く前から同情してしまったらしい。
『ここ、森からは遠いよ。何かあったの』
「オイラ……友だちに置いていかれたんだ」
 姉弟は視線を交わしあった。
『どうして?』
「分からない……」スタルキッドは肩をかき抱く。
 どう声をかけていいか分からず、妖精たちは長いこと黙っていた。
 やがて、雨が上がった。雲の隙間から差し込んだ光が、草の露をきらきらと照らす。
『スタルキッド、アンタどうするの。アタシたちはもう行くけど』
「……ここにいる」
 そのうじうじした様子にチャットはムカッとした。
『ここでずっと待ってても、友だちは迎えに来ないわよ!』
『ね、ネエちゃん』
 トレイルに諌められ、少し冷静になった彼女は観念したように言った。
『アタシたちと一緒に来ない?』
 スタルキッドはぽかんと口を開け、目を大きく見開く。意外と豊かなその表情は、人間だった頃の名残だろうか。
「……いいのか?」
『構わないでしょ、トレイル。あーアタシたちの名前、チャットとトレイルだから』
「オイラ、スタルキッド。よろしく!」
 小鬼は先ほどの落ち込みっぷりが嘘のように、からからと笑った。チャットはなんとなくほっとしたのだった。
 チャットたちとつるむようになってから、スタルキッドは見違えるように活発になった。驚くべきことに、クロックタウンの中にも足を向けて、ボンバーズという人間の子どもがつくった団体に入るほどだ。もともと他人にちょっかいをかけるのが好きなのか、妖精たちと組んでささやかなイタズラを働くことが日常茶飯事となった。
 その日、三人は木の陰に隠れて街道を見張っていた。カーニバル前になると商人たちが多く通る道だった。
「アイツ……なんか気になる」
 スタルキッドが指差したのは、異様に膨れた荷物を抱えるひょろひょろした人影だ。貼り付けたような笑顔が不気味である。
『荷物がいっぱいだね』
『お面屋さん、かしら?』
 お面は外から見える位置にもたくさんくくりつけられていた。人間たちがカーニバルでかぶるお面を売って一儲けしよう、という魂胆なのだろう。
 三人は示し合わせてお面屋の前に飛び出す。いつものように妖精が前で撹乱し、その隙にスタルキッドが後ろに回る作戦だ。
「おや、妖精ですか」
 チャットたちを目に止めたお面屋は冷静に足を止め、何故か荷物を漁り始める。チャットは焦った。
『スタルキッド!』
 合図した瞬間、ごん、と鈍い音がしてお面屋が倒れ伏す。スタルキッドが木の棒で殴ったらしい。
『この人怪我してない……?』
「平気だって。血も出てないだろ」
 不安がるトレイルに構わず、スタルキッドは容赦なく荷物を漁った。
『お。これは……』
 取り出したのは、ツノの生えた紫色のお面だ。小鬼ではなく本物の鬼の面のようだ。正直、あまり趣味がよろしくない。妖精特有の勘が嫌な気配を感じとっている。
『スタルキッド、その仮面はやめようよ』
 トレイルも助言したが、聞く耳持たないスタルキッドは早速仮面をかぶってしまった。
 小鬼は珍しいものを手に入れると、いつもすぐに騒ぎ立てる。しかし、今回は何故か黙りこくっていた。
『スタルキッド……?』
 なんだか、友人が知らないヒトになってしまった気がした。
 チャットの呼びかけに小鬼はびくりと肩を揺らした。
「どうだ。似合うか?」
 けらけら笑って仮面を指さす。元のスタルキッドの顔は平凡で気弱そうなものだったが、ただ仮面をかぶっただけで得体の知れない雰囲気が出ている。暗闇で会ったら逃げ出したくなりそうだ。
『えー、あんまりー』『ちょっと強そう、かも』
 妖精たちは茶化すように感想を言った。スタルキッドはいつもの通りだ。どうやら杞憂だったらしい。
 そうして三人は、お面屋が目を覚ます前にそそくさと逃げ出したのだった。
 今思えば、この時点でスタルキッドには異変が生じていた。それから彼は常にムジュラの仮面(この名前は後でお面屋に聞いた)をかぶるようになった。最初は可愛げのあったイタズラもどんどんエスカレートしていき、クロックタウン天文台から「月の涙」という石を盗んだせいでボンバーズを追い出された。
 違和感は確かにあった。友人が変わっていく様子をそばで見ておきながら、結果的にチャットは彼を放置してしまった。
 その日。最初に出会った時の臆病な態度をすっかり拭い去ったスタルキッドは、妖精二人を連れて森を歩いていた。まっすぐに伸びた巨木が立ち並ぶ森は、チャットにも見覚えがない場所だ。直前までは沼のあたりを歩いていたはずだったが。
(タルミナにこんな場所あったかしら……?)
 不思議に思いながら、小鬼の指示を受けて飛び上がる。少し向こうに旅人が歩いていた。栗毛の子馬とそれにまたがる緑衣の子ども、という珍しい組み合わせである。
 姉弟はうなずきあう。あれが今回のターゲットだ、とスタルキッドは無言で告げていた。
『行くわよ』『う、うん』
 子どもは馬を止め、葉の茂る天井を見上げている。まるで何かを探すように。
 今よ、と合図したチャットが先頭に立ち、二人で子馬に突撃した。
「なっ!?」
 子馬はいなないて棹立ちになった。不意をつかれた子どもは手綱を掴みそこね、背中から落ちて地面に倒れる。
『スタルキッド!』
 ケタケタ笑う声とともに小鬼が姿を現した。相変わらず例の仮面で顔を隠している。
『ヒヒッ、うまくやったな! なにかいいモノ持ってそーか?』
 小鬼は子どもに近づき、顔を覗き込んで『あれ? こいつ……。まあ、いいか』と首をかしげる。
 子どもは頭を打って気を失ったらしい。スタルキッドはその体を軽く蹴って仰向けにし、ふところを漁る。今回の犠牲者は剣と盾を背負っていて、年齢に見合わずいっぱしの冒険者という出で立ちだ。さらさらした金髪が額に落ちている。人間の美醜はチャットには分からないが、左右対称で均整のとれた顔立ちだった。
 チャットが子どもに注目しているうちに、スタルキッドはいいものを見つけたようだ。青色のつやつやした陶器の楽器――オカリナを取り出す。
 スタルキッドは試しにひとつ音を吹き、笑い声を上げた。トレイルが羨ましそうにすり寄った。
『キレイなオカリナ……ねえスタルキッド、ボクにもさわらせて!』
 すかさずチャットは弟に体をぶつける。
『アンタはダメよ、トレイル! 落としてケガでもしたらどうするの。危ないからさわっちゃダメ!』
『だけどネエちゃん、ボクもさわりたい……』
 他愛ないやりとりを続けるチャットは、スタルキッドの背後で子どもが起き上がるのを見た。半眼になってにらみつけるさまは、幼さに見合わない迫力があった。そのせいで警告を発するのが遅れた。
「ずいぶんのんきな物盗りだな」
 その声に半瞬遅れて羽根を鳴らす。「……妖精?」子どもは虚を突かれたようにチャットを見上げる。
『うわっ』
 とっさにオカリナを背中に隠すスタルキッド。我に返った子どもは、間髪入れずに飛びかかった。
 小鬼はその先制攻撃を、半歩だけ下がってかわす。そのまま重力を無視したような動きで飛び上がり、子馬の上にまたがった。何の命令もしていないのに、馬はスタルキッドの示す方向へ走り出す。
「あっ」
 棒立ちになった子どもがあっという間に遠ざかる。チャットたちは慌ててスタルキッドを追いかけた。
『とにかくこれで安心ね』
『いや……そうでもないみたいだよ』
 振り返ると、「逃がすか!」と叫んだ子どもがスピードが上がりきる前の子馬に追いついて、スタルキッドの片足に飛びついた。
「離せっ!」スタルキッドが必死に足を振る。だが、子どもは地面を引きずられるのもお構いなしに食らいついた。
 どうしよう、どうすればいいのだろう? イタズラを仕掛けた相手にここまで激しく抵抗されたことがなかったので、チャットは軽く混乱していた。体当りして追い打ちをかけるべきだろうか――
 妖精が判断を下す前に、スタルキッドが渾身の力を込めて子どもを振り落とした。彼は地面を転がって、そのまま起き上がらない。
 子馬は元相棒をあっさり置いて、スタルキッドの指示通りにその場から逃げ出した。
『ね、ねえスタルキッド、さっきの子ども……大丈夫かしら』
 しばらく経ってから、チャットはどうにも辛抱ならず、らしくない質問をしてしまった。
「追ってきてもどうにでもなるだろ。この仮面さえあればな!」
 スタルキッドはこつこつと仮面を叩く。こんなに自信満々な小鬼は見たことがなかった。
 これはただのイタズラだし、あの子どもと違ってスタルキッドは友だちなのだ。そう考えて無理やり自分を納得させた。
 だが、彼女は小鬼の好きにさせたことをすぐに後悔することになる。
 さらにはスタルキッドたちと別れ、イタズラの被害者である子ども――リンクと行動をともにすることになるなんて、この時点では夢にも思わなかった。



『アンタ、眠らなくていいの?』
 時が戻って一日目。午前六時のクロックタウン南広場は、朝から大工たちが走り回ってにぎやかだった。時の歌の作用にもようやく慣れてきたチャットは、時が巻き戻った次の瞬間からさっさと行動を開始しているリンクに、そう問いかけた。
「なぜだ」
 少年は足を止め、無表情に妖精を見上げる。こういう顔も、子どもらしくなかった。
 リンクは妖精でいうとトレイルくらいの年齢にあたるはずだった。姉としてはどうも調子が狂ってしまう。
『いや、人間の子どもはよく眠る、って聞いたことがあったから。アタシたち妖精には睡眠なんて必要ないけど……ちょっとは休まないとだめなんじゃないの?』
「そんな時間はない」とリンクは即答した。「三日間で一つの地方を攻略する。次はどこに行けばいい?」
 どこか焦っているような口調だ。どうやら一刻も早くクロックタウンから立ち去りたいようだった。
 チャットはしばし考え込む。南にある沼にはもう用はない。残るは海、谷、山だ。
『そうねえ、山……かしら。あそこには鍛冶屋があるって聞いたわ。行って損はないと思う』
「分かった。助かる」
 チャットは少しびっくりしてしまった。お礼を言われるとは思っていなかったのだ。
 ウッドフォールの神殿で、確かに彼女は馬とオカリナを盗んだことを謝罪した。だが、リンクはかなりシビアな性格をしているし、そうそう他人に気を許さない。誰に対しても、間に線を引いて接しているように感じられた。だから、こんなに分かりやすい心理を見せるとは思っていなかったのだ。
 リンクは北へと迷いなく歩いていく。三日目には完成間近となるカーニバル名物の月見やぐらも、今は中途半端な姿を晒していた。その横を通り抜けようとして、立ち止まる。
『どうしたのよ』
 彼は前方を凝視していた。
 何故か酔っ払ったような足取りで、金髪の少女が歩いてきた。長い髪を一つに結び、首元に暖色のマフラーを巻いている。クロックタウンの住人ではなさそうだ、とチャットは思った。
 リンクは何かつぶやき、かぶりを振る。そして進路を変えようとした――が、向こうもこちらに気づいたらしい。少女は顔を上げ、近づいてくる。
「はーい、ゆっくり上げて。あ……ちょっと、バイトくん、ちゃんと下見なよ!」
 突然叫び声を上げたのは、やぐらを建設している大工だった。やぐらの上にいる男に指示を出し、木材を引き上げている。だが、不意にその男が手を滑らせた。長い木材の束が落ちていく――真下の少女に向かって。
『あっ、危な――』
 チャットが叫ぶよりも早く、リンクは飛び出していた。
 最後の一歩分をジャンプで詰めると、少女を勢いよく突き飛ばす。すぐに自分も石畳の上を転がった。
 雷鳴のような音を立てて木材が落下した。土煙が上がり、チャットは固唾をのんで見守った。
「だ、大丈夫かい!?」
 大工が木材を乗り越えて二人の元へ駆けつけた。木材を取り落としたバイトは真っ青になり、やぐらの上で本職の大工に怒鳴られている。
 無事に木材の束を避けたリンクは服を叩いて埃を払い、立ち上がる。そして腰を抜かした様子の少女に手を貸した。
「怪我はないか」
「な……ないよ。きみは?」
「平気だ」
 それだけ言うと、心配する大工も呆然とする少女も置いて、リンクは一直線に北に向かおうとした。
「待って!」
 だが、少女がその腕を掴んだ。さすがに無視するわけにもいかず、足を止めた。
「助けてくれてありがとう。それで、その……なんできみはこの時間にここにいるの?」
 リンクは一瞬言葉の意味をとりかねて、口をつぐむ。
(あれ……これって、まさか)
 同じことを悟ったのだろう。彼は顔の前に一枚仮面を下ろすように、表情をかたくした。
「お前には関係ない。俺はこれから山に行く。邪魔をするな」
 相手が年上だろうと関係なく、辛辣な物言いである。デクナッツの城を訪れた時もそうだったが、リンクは相手の立場によって態度を変える気はないらしい。
 少女は顔を曇らせる。
「……そっか、ごめんね変なこと聞いて」
 見るからに消沈しているので、思わずチャットは口を挟みそうになる。
「あ、そうだこれ!」
 しかし、彼女は何かを思いついたように、首に巻いていたマフラーをリンクに差し出した。
「山はまだ冬だって聞いたんだ。助けてくれたお礼に、貸してあげるよ」
 傍若無人なリンクも今度は無碍に断らなかった。
「……受け取っておく」
 マフラーは桃色をしていて、いかにも女物である。彼は困ったようにひとまず腕にかけた。
「わたし、ルミナっていうの。いつもはナベかま亭にいるから、ちゃんとあとでマフラー返してよね」
 ルミナは明るさを装い、すがるようなまなざしをリンクに向けていた。彼は無言できびすを返す。名乗る気すらないらしい。
 歩調を落として北門へ向かいながら、チャットはずっと抱いていた疑問をぶつけてみる。
『ねえ、さっきのコってもしかして……もしかしてだけど、時の繰り返しの記憶があるんじゃないかしら』
 リンクは前を向いたまま答える。
「そうだとしても、俺が何か説明すべきだとは思えない」
 ルミナがもしも歴戦の戦士などであれば、話は別だったかもしれない。だが、彼女は見るからに戦う力を持たない町人であった。だから協力を仰ぐ必要はない。いちいち説明するよりも、タルミナごと救ってしまう方が早いのだ。
 そういう理屈は分かっていても、かたくなに他人と関わりを持とうとしない彼に対し、チャットはもやもやしたものがこみ上げていた。
 リンクは手元でマフラーをもてあそび、ふと眉をひそめた。
「山は冬だとか言っていたが、タルミナは地方によって季節が違うのか?」
『そんなわけないわ。四方も町も全部同じよ。今はカーニバルの季節だから、夏の前に決まってるじゃない』
 チャットの断言はあっさり覆された。北門をくぐった先に見えたものは、真っ白な雪に包まれた山脈――「スノーヘッド」という名にふさわしい威容だった。

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