第二章 後ろ姿

Side Star 3

 こんな雪景色の中では、ちょっとあたたかい程度の温泉水などすぐに冷めるに違いない――とチャットは意地悪なことを考えていたが、予想は外れた上にすぐに役に立った。
 凍りついた池の上にかかる橋を渡る途中、今まで見かけなかった大きな氷像を発見した。どうも風で表面の雪が吹き飛ばされたおかげで見えるようになったらしい。
 リンクは迂回して通り過ぎようとしたが、
『待って。これ、ゴロン族よ!』とチャットが指摘し、さっそく温泉水をかけて溶かしてやった。
『こんな時こそあの炎が使えたらよかったのにね』
 その嫌味に、リンクは機嫌を損ねたように黙り込んだ。
 氷の中から救出されたのは、腰の曲がったよぼよぼのゴロンであった。見ているこちらが不安になるくらい全身が震えている。
『もしかしてこの人が長老じゃない?』
 里のゴロンよりも年かさなので、その可能性は高いだろう。息子の幼さからすると計算が合わない気もするが。
 体温を取り戻した長老は案外元気そうで、ゴロンリンクに突っかかっていった。
「ん? おっ、お前はダルマーニ! 死んだはずゴロ? 
 ……ワシは幻覚を見ているゴロ。これも、スノーヘッドの魔力のしわざなのかゴロ」
 一人で勝手に喋っている。
「ふっ……なめられたもんだゴロ! じゃがな、ムダなことゴロ。ワシはそんなコトではひるまんゴロ。分かったら、とっとと消えうせるゴロ」
『こいつ失礼じゃない?』
 ダルマーニ本人でないとはいえ、リンクは彼の遺志を引き継ぐ気でいるのに。
 彼は無表情のまま手を出しチャットを制止すると、
「長老の息子が里の中で泣いているんだ。父親を恋しがっているらしい。皆、困っている」
 淡々と告げた。
 老ゴロンは分かりやすく肩を跳ね上げる。
「なに、どうしてそのコトを? ムスコがワシを……クーッ、ゆるせ我が子よ! 父にはやらなければならないことがあるゴロ。
 ……ダルマーニよ。お前が亡霊でも幻覚でも、もうどうでもいいゴロ。泣いているムスコをあわれと思うなら、お前が小さかった頃によく聞かせたあのメロディーで、ムスコを安らかに眠らせてほしいゴロ」
 それだけ頼むと、長老はぷるぷる震える足で一歩一歩雪を踏みしめる。その方向は山里だ。
「……里に戻らないのか?」
「ワシはこれからスノーヘッドに行くゴロ」
『えー、無茶でしょ!』
「スノーヘッドの異変による山里一帯の異常寒冷気象。それにともなう物資の不足とゴロンの里の過疎化。そしてナニよりも、寒さにこごえ泣き続ける我が息子のふびんな姿――ワシは長老として、この里のピンチを何とかしなければならんのじゃ」
 その精神は立派だが、とても達成できるとは思えない。また氷像が出来上がるのがオチだろう。
『……どうする?』
 チャットが囁くと、リンクは参ったように頭を振った。
「ゴロンの里は後回しだ。スノーヘッドをなんとかするほうが早い」
 方針を決めたリンクは、長老の横に並んだ。
「なんだゴロ、ダルマーニ。さっさと里に戻るゴロ」
「俺も行く」
「……ふん、勝手にするゴロ!」
 リンクがスノーヘッド攻略を選んだのは、長老を放っておけなかったこともあるが、きっと里のゴロンや息子とやらに会いたくないからだろう。死んだはずのダルマーニが生きていると知れたら、下手に希望を抱かせることになるから。そうしたリンクの思考回路を、チャットもだんだん理解してきた。
 長老の肩を支えつつ、一行は驚くほどマイペースな足取りでスノーヘッドの山に向かう。延々と続く上り坂だ。ゴロンの仮面で耐寒性を獲得していなかったら今頃遭難していたかもしれない。
 リンクは寒さを紛らわすようにぽつりと質問した。
「ゴロンの里がどういう経緯でああなったのか、聞いてもいいか」
 長老は震える唇で話しはじめる。
「山の異変がはじまったのは、一ヶ月ほど前になるゴロ。普段ならその頃から気温が上がって、雪解け水で山が潤うはずじゃった。タルミナでも一番遅く春が訪れるはずだったゴロ。じゃが、スノーヘッドのお山の神殿にどうも魔物が取り付いたらしく、山里はいつまで経っても冬のままだったゴロ。
 真っ先に様子を見に行ったダイゴロンが行方不明になって、スノーヘッドはあたたかくなるどころか吹雪になったゴロ。その後、里で一番の勇者ダルマーニも神殿に向かったが、崖から落ちて……」
 墓の下、というわけだ。リンクは前を向いたままだった。
 一旦ましになっていた吹雪が、再び強さを増してきた。ほとんど水平に雪の粒が飛んでくる。
「この吹雪じゃ。これがあるから神殿に近づけん!」
 長老は半ば雪に埋もれかけている。このままではまた氷像に逆戻りだ。
 チャットは吹雪の中に大きな影を見た。
『なにアレ……ねえアンタ、見えないの?』
 リンクはまことのメガネを取り出した。人間のときと比べて、同じアイテムでも小さく見える。彼はレンズの奥の目を見開いた。
「ダイ――大きなゴロンがいる。なるほど、やつが吹雪の原因か」
 スノーヘッドの道中に居座ったゴロンは、目を閉じたまま息を吐いており、それが吹雪となっている。どうも正気を保っている様子ではない。
「ダルマーニの亡霊よ、ゴロンのララバイを聞かせい!」
「ララバイ?」
「子守唄じゃ。ダイゴロンを眠らせるゴロ」
「……どんな曲なんだ」
 リンクたちの知る曲といえば正反対の効果を持つ目覚めのソナタくらいだ。
 長老は腰につけた物入れから小さなタイコを取り出した。
(楽器持ってるなら、自分で叩けばいいじゃない)
 だが長老がダルマーニに任せようとした理由はすぐに判明した。震える手でぽんぽん叩く太鼓の音が、途中で止まってしまう。
「……忘れたわけではないゴロ。寒くてうまく叩けなかっただけだゴロ」
 もう一度チャレンジするが、
「ダメじゃ! 出だししか思い出せん!」
 肩をすくめたリンクは、何かを口の中でつぶやいた。
 ダルマーニの魂の出番だろう。彼は時のオカリナを変化させた太鼓を腹の前に構えた。小さな太鼓が何個も連なっていて、それぞれ音階がついているらしい。
 素朴なメロディだった。その分繰り返し聞いても飽きない歌だ。一定のリズムで刻めば、確かに眠気を誘われそうである。
 ダイゴロンのもたらす氷の吐息は、太平楽な寝息に変わった。吹雪がウソのように収まる。
 長老を振り返ると、静かに肩を丸めてうずくまっていた。
『……寝てるわ』
 ゴロンのララバイは抜群の効果を発揮したわけだ。リンクは息を吐き、長老に積もった雪を軽く払ってやる。
「行くか」
 二人の背中から、むにゃむにゃと寝言が聞こえてきた。
「ダルマーニ……スノーヘッドのこと、頼んだぞ……」



 チャットにはひとつ、気になっていることがあった。
『仮面をかぶって変身するのって、どういう気分なの? 今はダルマーニの魂と会話できるのよね』
 不意をつかれたリンクは、一度休むためにその場に腰を下ろした。
 やっとのことでたどり着いたスノーヘッドの神殿は、特殊なつくりをしていた。巨大な吹き抜けが山の内部を貫いているのだ。吹き抜けは何層にも渡り、うっかり最下層まで落ちたら死は免れないだろう。中央には大きな円柱が伸びて、天井を支えていた。
「仮面をかぶると、自分の中に別の意識が入ってくる。だが、普段はそれほど感じないし、別に気持ち悪くもない」
『ふうん……アタシならなかなか受け入れられないわ。
 デクナッツの時もそうだったけど、仮面の元になった人と勘違いされるじゃない。それってイヤじゃないの?』
「見た目が変わると相手の反応が変わるのは、よくあることだ」
 妙に実感のこもった言葉だった。『そうかしら……?』チャットはいまいち納得しきれない。
 吹き抜けに面した階段をのぼると、目の前に柱が立ちふさがる。石の円柱の間に氷が挟み込まれていた。
『もしかしてこの氷、単に積み上げているだけじゃない?』
「砕いてみるか」
 リンクはゴロンの力と勢いを十分に乗せたパンチを柱に叩き込んだ。氷が柱から押し出され、砕け散る。衝撃音とともに柱の上部が落ちてきた。
「これで上の階に行けば、柱の上を通って向こう側に渡れるな」
『なるほどねえ……』
 スノーヘッドの神殿は、外周に位置する部屋の中に階段があり、一階層上っては吹き抜けを渡って別の階段を目指す方式だ。そして部屋にはもれなく魔物が巣食っている。
 柱の上を通った先の部屋にいたのは、杖を持った魔法使いだった。
『ウィズローブよ。攻撃態勢に入った時にスキができるから、目を離さないでよ!』
 青い肌の魔物は、部屋の隅に点在するワープポイントを自在に移動し、部屋の中央で待ち構えるリンクの死角に現れる。チャットがすかさず羽根を鳴らした。
 ウィズローブが雄叫びとともに杖を振ると、炎の玉が生じた。一瞬遅れてゴロンリンクがその場を離れたため、炎は床を溶かすにとどまった。
 こちらは飛び道具など持っていないし、ゴロンの体は初動が遅い。不利な状況だった。
 リンクはかたわらの妖精をちらりと見上げた。
「チャット、あの魔物が次どこに出るか、分かるか」
『任せなさい!』
 妖精は特定の感覚を遮断することで、気配の探知能力を上げることができる。あえて視界を隠し集中したチャットは、部屋の中に魔力のゆらめきを見た。彼女は妖精として特段優れた能力を持っているわけではないが、このくらいは朝飯前だ。
 それに、リンクがほとんど初めてチャットを頼ってくれたのだ。この少しだけ頼りない弟分を今助けてやれるのは、自分だけだ。
 ウィズローブはワープポイントを目まぐるしく移動する。目ではとても追えないスピードだが、どれだけ素早くとも炎の魔力が長く尾を引いているため、チャットにはその位置がやすやすと感じ取れる。
『右後ろよ!』
 指示に従い、リンクは体を丸めて転がった。そのスピードを引き継ぐように、炎をまとったパンチはワープポイントから出てきたばかりのウィズローブを叩きのめした。
 杖が折れ、魔物は煙となって消えていく。
『やるじゃないの』
「当たり前だ」
 彼はダルマーニの顔でリンクらしい自信に満ちた表情を浮かべた。
 神殿の最奥はもうすぐだ。



 その魔物――仮面機械獣ゴートを見たゴロンリンクは、ふらふらと前に出ていく。
『ちょっと、どうしたの!?』
「俺じゃない。これは……ダルマーニだ」
 どうも仮面の中の魂が騒いでいるらしい。体の制御が効かず、ゴロンリンクは勝手に丸まり、ゴートを追いかけていってしまう。
「仮面」「機械」というだけあって、奇妙な見た目の魔物だった。体全体が金属でできたかのような光沢を放ち、からくり仕掛けで動く。長い角を生やし四足で走るあたりは山羊と似ていた。
 ゴートは神殿の最奥で何故か氷漬けになっていた。リンクのパンチを受けて氷から解放されたかと思うと、こちらを見向きもせずに走り出した。最深部は洞窟のような場所で、先が見えないほど奥行きが深く、追いかけっこに適した地形とも言える。
 ゴロンリンクは高速で転がりながらゴートを猛追した。そろそろ体当たりを食らわせるか、という距離にまで詰めたところで、ゴートが角の先から電撃を放つ。狙いは洞窟の天井だった。ばらばらと岩が降り、コースを荒らした。直撃しなくとも、落ちた岩に正面衝突しただけで大打撃は必至だ。リンクは危ういところで避けるが、進路は蛇行せざるを得ず、ゴートを取り逃がしてしまう。
 必死に追走しながらチャットは叫んだ。
『ダルマーニ、気持ちは分かるわよ。ゴロンの里のために、今度こそあの魔物を倒したいんでしょ。アタシだって弟がずっと危険な場所にいて、早く助けたいって焦る時もあるわ。
 でも、だからこそアンタは冷静にならなきゃいけないの。幽霊になってまでやり遂げたいことがあるなら、コイツに力を貸して一緒にゴートを倒すのよ!』
 急にゴロンの転がりがまっすぐな軌道になった。リンクが制御を取り戻したらしい。チャットはほっとして少し速度を落とす。
 そのままリンクは最短距離を行き、また電撃で岩が降ってくる直前にゴートに追いついた。十分に勢いの乗った体当たりは、からくり仕掛けの敵を転倒させるほどの威力だった。ゴートは壁にぶつかり、急停止する。
 リンクは丸まりを解除して起き上がった。ゴートの真正面に立ち、仮面を思いっきり殴る。相手が復帰する前にけりをつけるべく、何度も同じ場所を執拗に攻撃した。あまり「ゴロンの勇者」らしくはないが、有効な方法だった。
 ゴートは攻撃を受ける度にがたりと震えるが、抵抗らしき抵抗をしない。疲れを知らぬからくり仕掛けは、部品の故障に弱いようだった。
 やがて仮面にヒビが入る。ゴートの体が消え、仮面は亡骸となった。
「……チャット、助かった」
 リンクは大きく息を吐いた。彼自身もダルマーニと直接やりとりしていたはずだが、チャットの発言が決定打となったことは間違いない。
 偉そうなことを言ったことが今になって恥ずかしくなり、チャットはそっぽを向いた。
『別に。トレイルのためにも、アンタにここで倒れられたら困るだけよ』
「そうだな」
 リンクは笑いの残滓を口の端に閃かせた。珍しい表情を見て、なんだかどきりとしてしまう。
 彼が亡骸を拾い上げると、二人の意識は遠い場所へと運ばれていく――
「仇をとってやったぞ、ダルマーニ」
 リンクはその刹那、まるで仮面に言い聞かせるようにつぶやいた。



 ウッドフォールの神殿の時と同じだ。亡骸に導かれ、リンクとチャットはあの薄ぼんやりした空間に来ていた。
 ただし、まわりの景色が違う。沼ではなく、爽やかな風の吹き抜ける高原を思わせる場所だった。
 目の前には例の足が二本そびえている。
『ねえ、アンタたちはナニモノなの?』
 その呼びかけに答えたように霧が晴れ、「それ」は全身を現した。
 身長のほとんどが足、という極端なバランスを持つ巨人だった。しかもそれに比べて手は呆れるほどに短い。ひげが生えているので老齢にも見えるが、瞳は子どものようにくりくりしており、ちぐはぐな印象を与える。
 巨人は大声で空気を震わせた。チャットは意識を集中し、聞き取りにつとめる。
『ま・も・る・も・の……守る者? じゃあ、やっぱりアンタたちは守護神なのね。だから神殿に……。だけど、その守護神がなんで?』
 なんとか会話を続けようとするが、巨人はもう興味を失ったかのように黙り込んでしまった。リンクも口を挟まず、ただ守護神を見上げている。
『ねえ、ちょっと聞いてる? ねえってば……』
 霞がかった空を貫いて眩しい日差しが差し込む。もうこの空間から追い出されてしまうらしい。
 タルミナの守護神たる彼らが、スタルキッドごときにやられて神殿の奥底に封じられてしまうなんて、ちっとも守護できていないではないか。それほどにムジュラの仮面は脅威なのだろうか。
 やっぱりあの時、スタルキッドを止めていればよかった。後悔はいつだって心の中に残っている。
 だが、チャットはその思いを必要以上に引きずるつもりはない。今はとにかく自分にできることをしよう――そう考えられるのは、迷いなく前に進むリンクのそばにいるからだった。



 ふんわりといい香りがする。草木が萌えいづる時に漂うあの香りだ。
 長かった冬が終わり、山に春がやってきたのだ。
『うーん、なかなか達成感があるわね!』
 スノーヘッドの神殿からまで山里まで降りてきて、チャットは歓声を上げた。
 まだ残雪も幾分かあるが、その下にはもう緑色がのぞいている。毒沼が浄化された時もそうだったが、周囲の風景が分かりやすく変化すると、巨人を解放した嬉しさもひとしおだ。
 時を繰り返せばなかったことになってしまうとはいえ、今流れている時間と全身で味わう感覚はどれも本物だ。これがあるから、確かに自分たちは前進していると信じられる。
 あと半分。トレイルの言った四人の人の、二人目までを解放した。順調に行けば、残り六日で弟を取り戻せるのだ。
 月や巨人のあれこれは、リンク以外の誰にも解決できないことだろう。スタルキッドがわざわざ彼をタルミナに引きずり込み、呪いをかけたことに感謝したいくらいだ。
「達成感か。そうだな……」
 ゴロンの仮面を外したリンクは、どこか眠そうに目をこすっていた。
『で、これからどうするの。町に帰る? それともゴロンの里に行く?』
「里には行かない。死人が出たら大騒ぎになる」
 分かってくれダルマーニ、と仮面に声をかける。やはりそのあたりの事情を気にしていたのだ。
 しかし、時のオカリナで「なかったこと」にできるのだから、英雄が奇跡の帰還をすることだって十分にアリだろう。チャットはそう考えてしまうのだが、リンクは理由はどうあれゴロンたちを騙したくないらしい。
 春を感じて出てきたのだろう、カエルの声が沢の方から聞こえてくる。リンクはどこかおぼつかない足取りで近くの木の下に座り込んだ。
 休憩するのかと思いきや、ぐっとこぶしを握りしめ、「こんな場所で寝るわけにはいかない」とばかりに必死に眠気をこらえている。『アタシが見張りしてあげよっか』とチャットが提案しても無視だ。少し休めばなんとかなる、とかたくなに信じているらしい。
(やっぱりこんな生活は無茶よね……)
 常人より体力があるとはいえ、それはあくまで子どもの枠の中におさまっている。タルミナの四方を渡り歩くたびに著しく変わる気候は、彼の体を蝕んでいた。何より、彼は三日間で集中を切らす暇がほとんどなかった。
 一回くらいは三日間全てを休みにあてるべきだ、とチャットは考える。だがリンクがその提案を聞き入れるとはとても思えない。
 木陰から春の山里を眺め、彼女はじいっと物思いにふけっていた。
『そうだ!』
 あることを思いつき、小さく叫ぶ。リンクはうっすら片目を開けた。
『アンタの負担を減らす方法があるわ。誰かに協力してもらえばいいのよ。ほら、あのルミナって子とかどう?』
「ろくに戦えないやつに何を手伝ってもらうんだ? 俺は誰かに頼る気はない。時の歌のことを不用意に話すのは、得策とは思えない」
 あっさり却下された。チャットはそれでも食い下がる。
『そうかしら。どこかにいるかもしれないじゃない。とびきり強い上に、時の繰り返しに気づいているような人が!』
「そんな期待、するだけ無駄だ」
 リンクはぴしゃりと言い切る。チャットはむかっとした。ここで彼が潰れたら、チャットどころかタルミナまでもが共倒れになると、分かっているのだろうか? 
「俺は一人でもやれる」
 リンクは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。もうすっかり目が覚めたのか、立ち上がってしっかりした足取りで歩く。背中のフェザーソードの鞘が日差しを受けてきらめいた。
(一人でやれるって……今でもアンタは別に一人じゃないでしょ!)
 スノーヘッドの神殿ではチャットだって活躍したではないか。それなのに、まるで一人の手柄のようにされるのは面白くない。
 彼女は、リンクのように「一人」にこだわる必要はない、と結論づけた。弟とスタルキッドを助けることが最優先。そのための仲間はいくらでもほしい。
 心づもりを決めたチャットが後を追うと、少し向こうでリンクが立ち止まっていた。
「……カエルが」
『え?』
 雪解け水でできた沢の中に両手を差し伸べ、そっとすくいあげる。その手の中で緑のカエルがぴくぴく動いていた。
「わたしはドン・ゲーロ……」
 そのカエルがいきなり言葉を発したので、チャットはびっくりする。
「春になったら団員たちを集めて合唱をする……はずだったのですが、あまりに長い冬に力尽きてしまいました。
 どうか旅のお方、私の魂を癒やしていただけませんか……?」
 リンクは悼むように目を細めると、カエルを地面の上に置き、いやしの歌を吹いた。
「ありがとう……」
 カエルが消えた後には、緑色のかぶりものが出現する。ゲーロのお面というわけだ。
 相棒の意見を全力で却下したかと思えば、通りがかりのカエルにすら情けをかける。冷たいのか寛大なのかよく分からない。
 だが、目の前で助けを求める他人に手を伸ばさずにはいられない――短い付き合いの中でチャットが理解したリンクは、そんな人物だった。



「マフラーのこと、助かった」
 三日目。別れ際に言っていたとおり、ルミナは月迫るクロックタウンでリンクを待っていた。
 ナベかま亭ではなく南広場にいた彼女は、急ピッチで組み上がる月見やぐらをぼうっと眺めていた。リンクがすぐ隣に立って声をかけて、やっと気づいた。
 マフラーを受け取った彼女はへにゃりとほほえむ。
「これ、役に立った?」
「まあな」
「そっか、良かった。ね、ナベかま亭も閉館しちゃったし、ミルクバーにでも行こうよ」
「ミルクバー?」
「シャトー・ロマーニおごるよ」
 不気味なほどに平常心を保つ彼女は、てくてく歩いてリンクを先導した。東地区に向かっているようだ。
 東門近くの建物に、確かに「ミルクバー」という看板が出ている。こんな日でも営業しているようだ。扉を開けるとすぐ階段で、地階がメインフロアになっていた。店はこぢんまりとしていて、カウンターに数席とテーブルが一つだけ。室内は薄暗く、光量を抑えた照明が大人の雰囲気を醸している。リンクが訪れたことのないタイプの空間だった。
 カウンターの向こうには蝶ネクタイをしめたバーのマスターがいる。リンクはちらりと顔を確認し、すぐに目線を外した。
 スツールに腰掛けたルミナは、何故か牛のお面をかぶった。
「いらっしゃい。そちらの方は?」
「わたしの知り合いなんです。この子は会員証持ってないけど、いいでしょ? こんな時なんだから」
「そうですね……今日だけ特別ですよ。ただし、シャトー・ロマーニの質はあまり良くないですよ。訳あって品薄でね」
「訳って?」
 マスターはリンクとルミナを順繰りに見つめる。
「お客さんは知っているかな。町の南にミルクロードっていう牧場への道があるんだけど、誰がイタズラしたのか、大岩で道がふさがれててね。牧場からミルクが届かないんで、ここしばらく満足にお出しできない状態なのさ」
「えっ」
 ルミナは「クリミア……」と小さくつぶやいた。リンクは眉をひそめて話を聞く。
 やがて出されたグラスには、乳白色の液体がなみなみと注がれていた。ルミナはお面を外して嬉しそうに喉を潤し、「これこれ」とにやける。
 リンクも飲んでみた。普通のミルクよりも口当たりがまろやかで、驚くほどくさみがない。おまけに、飲んだそばからぽかぽかして、体の奥底から力が湧いてくるようである。
 二人はしばし無言でグラスを干した。ほとんど一気飲みのようなスピードであった。
 ぷはっと息を吐き、口元を拭ったルミナはかたわらの少年を見つめる。
「きみが向かった山の方をずっと観察してたんだ。天文台に通ってね。そしたら、昨日から急に雪が降らなくなって、土の色が見えてきたの。いきなり春が来たみたいだった」
 ルミナはゆらゆら空のグラスを揺らす。
「もしかして、沼の時もそうだったのかな。おととい読んだ新聞の内容が前と変わってたもの。ちょっと前まで、あそこは毒の沼地だったはずなのに」
 リンクは表情を固くする。ルミナの示唆することは、ひとつしかない。
「……何が言いたい?」
 彼女はちらりとマスターに目線をやってから、スツールを回してリンクに向き直る。
「ねえ、わたしにできることってないの?」
 まなざしは真剣そのものだった。しかし、リンクはそれ以上に厳しい視線を返す。
「ない。お前が何もしなくても、絶対に月は落ちない」
 彼はそのまま立ち上がった。
「おごってもらって悪かったな。だが、ミルクはおいしかった」
 ルミナは明らかに消沈した様子だった。瞳を暗く翳らせて、無意識にマフラーを触っている。
「いや、わたしが飲みたかっただけだから。……そうだ、せめて名前くらい教えてよ」
「俺はリンク、妖精の名前はチャットだ」
「また……またね、リンクとチャット」
 ルミナはがっくりとカウンターの上に伏せてしまった。リンクはそのまま階段を上って外に出た。
 ぶぶぶ、と羽音がするのはチャットが苛立っている証拠だ。
『ちょっと、あんな言い方はないんじゃないの。あの子は事情も知らないのに手伝おうとしてくれたのよ』
「下手に希望を持たせても仕方ないだろ」
 それ以上の議論を封じるため、リンクは早足になる。チャットは不満を押し殺したように低い音を立てた。
 少し先でリンクは立ち止まった。
『何よ。用がないならさっさと時の歌を吹いたら?』
「いや……この近くに牧場があると、マスターが言っていたよな」
『南東にあるロマニー牧場ね。確か、三日目になるとそこに避難する人もいるはずよ』
 リンクは腕組みする。
「エポナがいるかもしれない」
『エポナ? ってアンタの馬ね。牧場に保護されてるかもってこと?』
 リンクはうなずく。彼にはほとんど根拠のない確信があった。
 エポナがいるとしたら、牧場に違いない。
「よし、次はそこに行くぞ」
 さっそく時のオカリナを吹いた。時計の針が巻き戻り、タルミナははるかな一日目へと押し流されていく。
 その時になって、リンクはいつも手首に巻いていた紐が見当たらないことに気づいたのだった。

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