第二章 後ろ姿

Side Star 4

 ミルクロードとはよく名付けたものだ。タルミナの南西部には牧場経営に適した草地が広がっているが、そこに至るまでの道はかなり細い。おまけに両側がそれなりに高い崖に囲まれている。むしろ、誰かが山を掘り進めた結果、広い土地を見つけたのかもしれなかった。
 そのミルクロードは今、大岩によってぎっちり塞がれている。付近の地層にそのような岩はなく、人為的に設置されたとしか思えない。だが、これだけ大きな岩は荷車を使っても運べないだろう。一体誰がどうやって、何の意図でこんなものを置いたのか。
「うん……しょ! はあ……」
 クロックタウンからやってきたと思しき大工がひとり、つるはしを振って必死に岩を砕こうとしている。
「どいていろ」
 そこに、ゴロンの仮面をかぶったリンクが後ろから声をかけた。大工は「へ?」と振り返り、驚きで口をあんぐり開けた。
 ゴロンリンクは両腕で樽を抱えていた。長い導火線のついたそれは、大バクダンという物騒な爆薬である。ミルクバーで手に入れた情報を元に、あらかじめ岩を破壊できるだけの火薬を町で仕入れてきたのだった。
 大バクダンによって大岩は木っ端微塵に粉砕された。
「オ……オラは開通すればそれでいいよ」
 声を震わせる大工のすぐ脇を、リンクは問答無用でどすどす足音を立てながら通っていった。
 男がすっかり見えなくなってから仮面を外す。もし首尾よく愛馬を見つけても、ゴロン姿では混乱させてしまうだけだ。
 人間に戻った左手首は、相変わらず空っぽだった。
 繰り返す時の向こうでなくしてしまったものは、どうやったら戻ってくるのだろう。それとも時の渦に落ちてしまって、もう二度と見つからないのだろうか。
 紐が一本なくなっただけだというのに妙に軽い手首をさすりながら、リンクは牧場を目指した。
 黒く光沢のある糸を何本も束ね、編み込んだ紐を腕輪代わりにしていた。そもそも、いつからあの紐を身につけていたのだろう。全く覚えていない。自分でわざわざつくるわけはないし、装飾品を買い求めるタイプでもないので、きっともらいものだろう。故郷の森の誰かだろうか? 
 思考の淵に沈みながら歩いているうちに、牧場の入口である木製のアーチをくぐり抜けていた。そこはミルクロードとは打って変わって開けた牧草地だ。その真ん中あたりに管理者が住まうであろう母屋と、離れの小屋が建っている。
 道沿いにそちらに向かうと、いち早くチャットが叫んだ。
『アッ、アレ! アンタの馬じゃないの!?』
 母屋の外に設けられた柵の中に、栗毛の子馬がおとなしくおさまっていた。
「エポナ!」
 残りの距離を駆け抜けたリンクは木の柵に飛びつき、エポナに手を伸ばす。子馬は主人の指をぺろりと舐めた。「もしや俺のことを忘れているのでは」というささやかな不安もこれで解消された。
『今すぐにでも連れていきたいのは分かるけど、さすがに牧場の人に何か言うべきじゃない?』
 リンクは渋い顔でうなずいた。どのみち、柵には鍵がかかっていたのだ。
 家の戸を叩く。出てきたのは、オレンジ色の髪を腰まで伸ばした少女だ。リンクと同じくらいの年齢で、目鼻立ちがくっきりしている。彼はまたもやくらりとするような既視感を覚えたが、逃げずに踏みとどまった。
「あれ、キミだれ? わたしロマニー。この牧場とおんなじ名前よ。キミ、名前は?」
 ロマニーは屈託なくリンクに詰め寄る。わずかに腰を引き、彼は子馬を指差す。
「俺は……この馬の飼い主なんだ」
 ロマニーはパッと顔を輝かせた。
「そうなの!? この子、ちょっと前にこの牧場に迷い込んできたんだよ。よくしつけられてるっておねえさまが言ってた」
「保護してくれて助かった。こいつを連れて行きたいんだが」
「じゃ、おねえさまに伝えてくるわね!」
 少女はくるりと振り返って母屋に入る。
 やがて玄関に姿を現した姉は、ロマニーにそっくりだった。妹を十年ほど成長させたらこうなるだろう、という正統派の美人だ。牧場仕事に適した前掛け姿が決まっている。
「こんにちは、『シャトー・ロマーニ』の里、ロマニー牧場へようこそ。私は牧場の当主クリミアです。
 ロマニーから聞いたわ、きみがあの馬のご主人なのね」
「ああ。世話してくれて助かった。ろくな礼もできないのだが、引き取ってもいいだろうか」
 素直に頭を下げると、クリミアはほほえんだ。
「お礼なんていいわよ。もちろん連れて行って」
 柵の鍵を開ける。エポナは嬉しそうに首をリンクに擦りつけてきた。彼はしばし黙ってその感触を楽しんだ。
「そのコね、この歌が好きみたいだよ」
 と言ってロマニーが口ずさんだ曲を聞き、リンクは思わずうろたえる。よく知ったメロディだった。
(エポナの歌……何故知っているんだ)
『どうしたのよ?』「いや……」
 動揺が顔に出てしまったのか、チャットが不思議そうにする。
「ねえねえ、キミの名前は?」
 その一方で、どうもリンクは好意を持たれたらしく、ロマニーがぐいぐい距離を詰めてきた。
「俺は……別に名乗るほどの者ではない」
 はぐらかし方が下手すぎじゃないの、とチャットに小声で突っ込まれてしまった。
 ロマニーは面白がるように目を細めた。
「ふーん。そう、じゃあね、バッタくん……てのはどう? ロマニーがつけたキミの名前よ。だってキミ緑の服きてるし、パタパタ走りそうなんだもの。バッタくんに決まりね!」
 どういう反応を返せばいいか分からず、リンクは中途半端に唇を曲げた。
 そんなやりとりをほほえましく眺めていたクリミアは、「牛の世話があるから」と言って母屋を離れていく。
 姉の後ろ姿を見送りながら、ロマニーは不意に遠いまなざしをした。
「ロマニーね、これからレンシュウするの。今夜ね……今夜、あいつらがくるの」
 先ほどまでの無邪気な空気はそこにない。彼女の目には、はっきりと恐怖が浮かんでいた。
(あいつら?)
 ロマニーは、その話を誰かに聞かせたくて仕方なかったようだ。次から次から言葉があふれてくる。
「あいつらはね……あのオバケは、毎年カーニバルが近くなった夜にやってくるの。ボウッと光る玉に乗ってきて、たくさんおりてくるの。そして牛小屋にきて……」
 言葉を切った。リンクは神妙な顔で聞いている。
「おねえさまは言っても信じてくれないから。ロマニーが牛たちを守らなきゃ!」
 ロマニーはキッと前を向いた。
「ねえ、バッタくん。ただいま助っ人募集中なの! 男だったらやってみない?」
 話は途切れ途切れで、「あいつら」の全容すら分からない。だが、彼女が異常な状況に巻き込まれていることだけははっきりしていた。しかも襲いくるオバケとやらを退治する気のようだ。
『ねえ、どうするのよ』
「放っておくわけにもいかないだろう」
 リンクたちは小声で話し合う。ロマニーたちにはエポナを保護してくれた礼もあった。たとえオバケがやってこなくても、今夜くらいは張り込んでも構わない。
 ロマニーに向き直り、しっかりとうなずいた。少女の顔は喜色に彩られた。
「やった、さすがバッタくん! それでは、いきなり作戦を発表しまーす!」
 ロマニーは外に置いてあった木箱の中から、子どもサイズの弓を取り出した。
「あいつらは牧場のあちこちに現れるの。あの牛小屋めがけてゆっくり近づいてくるから、入られないように弓矢で撃つのよ! いい、牛小屋から離れちゃイヤよ、バッタくん」
「弓でないといけないのか」
「いちいち移動してたら間に合わないくらい、色んな方向から来るのよ。それに、矢以外は効かないみたいなの」
 かなり特殊な相手らしい。具体的な作戦が発表されたことにより、夜半の襲撃はにわかに現実味を帯びてきた。
「今夜の二時に作戦スタートよ。牛小屋で待ってるから遅れないでね! 矢が当たるとパッと消えるけど、あいつらはドンドンわいてくるから、休んでいるヒマないからね。牛小屋に入られたらわたしたちの負け! 太陽の光であいつら逃げていくから、それまでのシンボウよ!」
 明るく言い放つが、ロマニーの顔にはどうしようもなく緊張が見て取れる。リンクは彼女が安心するよう、大きく首肯した。
「これ、貸してあげる。ロマニーの弓よ、バッタくんにだけ特別よ」
 リンクは渡された弓を構え、弦を何度か弾いてみる。張り具合は問題なさそうだ。
『弓、使えるの?』
「一応は。しかし久しぶりだな。少し練習してくるか」
 練習場の心当たりはあった。
 弓を片手で持ったままひらりとエポナに飛び乗る。視線の高さも鞍の座り心地も、慣れ親しんだ感覚だった。
 ロマニーは自分用の弓を持ち出す。これから牧場で「練習」するらしい。
「それじゃ、待ってるから……絶対来てね、バッタくん」
「任せろ」
 手綱を握りしめる。久々の出番に張り切るエポナは飛ぶように草の上を駆けていった。



「パーフェクトーっ!」
 店員が快哉を叫ぶ。弓をおろしたリンクはこめかみの汗を拭った。
 そこは沼の射的場と呼ばれる場所だ。文字通り弓の練習ができる施設であり、的はなんと生きた魔物だった。どうやって運営しているのだろう。
 以前沼地を探索した際に見つけ、脳裏にとどめておいたのが役に立ったわけだ。
 二度目に訪れた沼は、リンクの予想に反して浄化されたままだった。ルミナが言っていたとおり、時を繰り返してもタルミナには着実に変化が起きているらしい。
 だからといって、その過程が正しく人々の記憶に残るわけではない。デク姫もサルも執事も、誰一人としてデクナッツリンクのことは覚えていないだろう。別に感謝を求めているわけではないので、問題ないのだが。
 首尾よく射的をクリアして感覚を取り戻した彼は、店にあった時計を見る。午前二時はまだまだ先だ。
『もう牧場に戻ったら? それで時間まで休ませてもらいましょうよ』
「いや……他人の家に上がり込むわけにはいかない」
 チャットの提案に首を振り、ふと思い立つ。
「ウッドフォールの神殿に向かう途中に、気になる建物があったな」
『え? 全然覚えてないけど』
 エポナを一旦射的場の近くにつないでおいて、リンクはきれいになった沼のほとりを歩いた。毒の臭気がないだけでずいぶん探索しやすい。デクナッツの水切りジャンプを駆使して渡った先に、ひっそりと「沼のクモ館」という看板が出ていた。建物本体はほとんど植物に隠れて見えなくなっている。
『なんかやな感じね。本当に行くの?』
 躊躇するチャットに構わず、中に入った。
 館の内部には、この館にいる黄金のクモに呪いをかけられ、自分もクモになってしまったという異形の男がいた。彼は、リンクに「館に潜むクモを全て退治して、呪いを解いてくれ」と懇願した。
『ねえ、牧場は……』
「分かっている。すぐに終わらせるさ」
 天井も壁も自在に移動するクモを退治する時こそ、弓の出番だった。
 外からは想像もつかないほど館の内部は広かった。神殿よりは単純なつくりであったが、部屋数が多いため厄介そうである。
 順調にクモを倒してその魂の宿った「証」を集めていくリンクだが、階段を上った時にくらりとめまいを感じ、思わず手すりにつかまった。
『アンタ、なんかフラフラしてない? 大丈夫なの』
 答えたくない。今声を出せば確実にチャットに不調がばれる。
(しっかりしろ。ぼうっとしている暇はないんだぞ)
 寝不足のせいだろうか、スノーヘッドを出てからどうも体の調子が思わしくなかった。だが、ここで休むわけにはいかない。
 せめてロマニーとの約束を果たした後だ。時のオカリナとエポナ奪還という当初の目的はほぼ達成されたのだから、その後ならば一日くらい休憩してもいいだろう。
 リンクは全身を奮い立たせ、弓を握り直した。
 何十匹目になるか分からないクモの胴体を矢で撃ち抜くと、集めた証が黄金色の炎に包まれて消えていった。
『呪いが解けたってことよ。入口に戻りましょう』
 入口では一人の男が待っていた。元の姿に戻ったようだ。彼は、白地に赤い線で目玉模様が描かれた珍妙なお面をかぶっていて、リンクはどきりとする。
「あ〜助かった。死ぬかと思った……。
 いや、実は以前にあるヤツから『お金持ちになれるから』と言われて、このお面をココでもらったんだ。使い方はこの中のどこかに書いてあるって言われて、調べにきたらこのありさまさ。
 こんな思いをするぐらいなら、こんなモノはいらないからキミにやるよ!」
 半ばやけになってお面を押し付けてくる。
 それは「まことのお面」だと、リンクは思い出した。不思議な力を持っていて、かぶれば人々の本心を透かし見ることすらできるという。
 気づけば彼の荷物はお面でいっぱいになっていた。変身できる仮面はもちろん、ブーさんのお面やらゲーロのお面やら何の役に立つか分からないものも加わり、バリエーション豊かなことこの上ない。このままでは第二のお面屋になってしまいそうだ。
 そんなことを考えながら館の外に出ると、日がとっぷり暮れていた。というか夜が更けている。クモ退治で思わぬ時間を食ったらしい。
 リンクはさっと血の気が引くのを感じた。
(今……何時だ?)
 月がおかしくなっているせいで、その位置から時刻を推測することもままならない。牧場までは何時間かかる? 午前二時まであと何時間残っている? 
「すぐにミルクロードに向かうぞ」
『そ、その方がいいわね』
 チャットも呆然としていた。クモ館には窓がなく、外の様子が分からなかったことも敗因の一つだろう。
 リンクはあることを思いつき、オカリナを構えた。吹くのは大翼の歌ではない。あれではエポナを置いていってしまう。
 時の歌のメロディを終わりから逆順に奏でた。「時の逆さ歌」という名のついたメロディだ。これで時間の流れを遅くできるらしい――という怪しげな噂を、彼は「ゼロ回目の三日間」で喋るカカシから聞いていた。
 わずかに地面が揺れた気がした。が、周囲の風景に変化はない。本当に時の流れが変わったのだろうか? 
『これで間に合うのかしら』
「分からん。とにかく行ってみよう」
 疲れた体にムチ打って射的場までダッシュし、そのままエポナに飛び乗った。
 夜のタルミナ平原を子馬が軽快に駆ける。焦りがリンクの眠気をすっかり吹き飛ばしていた。
 ミルクロードに近づくにつれ、じわじわと夜明けが迫ってきた。空がオレンジ色を帯びて明るくなる。リンクはますますスピードを上げた。昼間に破壊した大岩の脇を駆け抜け、牧場入口のアーチをくぐった。
 ようやくたどり着いたロマニー牧場は、明けてゆく空よりもずっと明るかった。
 牛小屋を無数の光点が取り囲んでいる。その一つ一つが両目を光らせるオバケだった。カーニバル前の夜、オバケがやってきて牛を襲う――ロマニーの言うことは本当だったのだ。
 背筋を寒気が駆け上がった。牧羊犬が甲高い声で吠えているが、その姿すらオバケに阻まれて見えない。ロマニーは無事なのだろうか。
「はっ」
 エポナの脇腹を足で刺激し、加速させた。上下に揺れる体を下半身でしっかりおさえつつ、両手を離して弓を構える。一条の矢が走り、手前にいたオバケがぱんと弾け飛んだ。
 騎射はリンクの得意技だった。馬の操作と弓での攻撃を同時に行う曲芸に近い技だが、愛馬と息を合わせて成功させた。そのまま矢を浴びせ続ければ、見る間にオバケの数が減っていく。相手の動きが遅いのは時の逆さ歌の作用だろう。
 オバケが消えた分光源が減る。暗くなった牧場の中で、ロマニーはまだ見つけられなかった。
 牛小屋のまわりをぐるりと一周しながらリンクが腰の矢筒に腕を伸ばした時、次の獲物にしようと狙いをつけていたオバケが目の前で消えた。
『い、今のは!?』
 自分以外の誰かが矢を放ったのだ。
(まさかロマニーが? いや、これは――)
 リンクはエポナの上で身を低くする。子馬が向かう先、牛小屋の前にぼんやりと青い光が見えた。
 その時だ。背中の側からぱあっと太陽の光が差し込んだ。日の出だった。光を浴びたオバケは苦悶の声を上げて消えていく。夜に現れる理由はこれだったらしい。
『やったわ!』
 歓声を上げるチャットを顧みず、リンクは牛小屋の前に立つ人物に釘付けになっていた。
「彼」もこちらを見ている。珍しい白銀の髪で、赤みがかった瞳をまんまるに見開き、手には立派な弓を持っている。
 そして、かたわらには青い光を持つ妖精を連れていた。
 こらえきれず、リンクの唇がその名を呼んだ。
「……ナビィ?」

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