第三章 光の交差



 熱のせいであまり焦点の合わない視界の中、場の緊張感が一気に高まるのを感じた。
「クリミア……久しぶり、ね」
「ア、アンジュこそ。元気にしてた?」
 非常にぎこちないやりとりだった。南の牧場主と町の住民が知り合いだったのか――その両方とほとんど関わりのないリンクには、あまり興味のない話題だ。
 一方のゼロは分かりやすく固唾を飲んで見守っていた。
「ねえクリミア。カーフェイが――私の婚約者がどこにいるか、知らない?」
 ゆらりとアンジュが足を踏み出す。
「どういうこと?」クリミアの顔がこわばった。
「彼、行方不明なのよ。もしかして牧場にいるんじゃないの? みんな噂してる……かあさんだってそう言ってたもの」
「そんなこと、ありえないわ!」
 こんな私的な争いに他人が口を挟めるはずもない。リンクはぼんやりと手の中でロマーニのお面をもてあそびながら、ひたすら「早く終わってくれ」と願っていた。
 しかし。身のほど知らずのゼロが、無理やり間に入っていく。
「あの、オレも昨日は牧場に泊まりましたけど、誰もいませんでしたよ」
「牧場にはコッコ小屋もドッグレース場もあるじゃない」
 とアンジュは譲らなかった。こうなるともう理屈ではないのだ。クリミアは唇を噛んで下を向いた。
 真っ先にその人物に気がついたのはリンクだった。ミルクバーの前で向かい合って修羅場を演じる二人に、彼女は大股で近づいていく。
「やっほークリミア! 久しぶり」
 底抜けに明るい声は、ルミナという少女のものだ。
 彼女はゼロよりはるかに自然に会話に入り込むと、にこやかにクリミアとアンジュを見比べた。
「わあ、みんな揃うなんていつ以来だろう? クリミアもカーニバルが楽しみで来てくれたの?」
 クリミアは気まずそうに首を振る。
「い、いや、ミルクを届けに来て、もう帰るところよ」
「もったいない! せっかくだから一緒にミルク飲んでいこうよ、おごるよ?」
「そんな。ラッテの商品を私が飲むのは……」
「ちょっとくらい平気だってー」
 ルミナはからから笑って強引にクリミアの肩を抱き、ミルクバーへと歩いていく。まるで酔っ払いのような絡み方だ。
(あいつ、あんな性格だったのか……?)
 リンクは妙にあっけらかんとしたルミナの様子に違和感を覚えた。
 一方、取り残されたアンジュは頭を抱えていた。
「私ったらクリミアを疑うなんて……。どうかしてるわ」
 ゼロがおそるおそる前に出て、
「アンジュさん、こんな時に申し訳ないんですけど……この子、リンクは風邪を引いてるんです。よければナベかま亭の部屋を貸してくれませんか」
 突然話題の中心に引き出されて、リンクは目を白黒させた。
 アンジュも頭の切り替えにしばらく時間がかかったようだが、こくこくうなずく。
「え? それは大変ね。分かりました」
「じゃ、オレは雑貨屋で薬探しくるから。またね、リンク」
 リンクが何か言う暇もなく、ゼロはアリスとともに足早に去った。
 アンジュに案内されるがまま、大人しくナイフの間に入った。子どもの前であんな発言をした罪滅ぼしだろうか、彼女は妙に親切で、冷たい水の入ったたらいと乾いた布を部屋に置いていった。
 アンジュがいなくなり、ナイフの間は静かになる。
『修羅場ってああいう空気のことをいうのね。全く、どうなることかと思ったわ』
 チャットがぼそっと嘆息する。
『まあ、今回はもう諦めて、残り一日ゆっくり養生することね』
 リンクは腰掛けていたベッドからすっくと立ち上がった。
「もういい、治った」
『はあ!?』
 ゼロの行動は、何故かリンクの焦りを加速させる。こんなところで誰かを待ちぼうけるのは性に合わない。そもそも昼間によく寝たおかげで、夜になっても眠気はなかなか来なかった。
『あのねえ……また倒れても、今度は誰も助けてくれないわよ!』
「もうあんなことにはならない」
 そう宣言して、リンクは微熱を残したまま部屋を出た。
 行き先は考えていなかった。とにかく動いていないと落ち着かなかったのだ。チャットは不満たらたらのままついてくる。
 熱を冷ますように北を目指した。雪山を歩いた印象が強かったからかも知れない。
 夜のタルミナ平原に、奇妙な音楽が鳴り響いている。旅芸人が腕前を披露している雰囲気ではない。こういう現象には妖精の方が敏感だった。
『なんかヘンな気配がするわね。あっちの方角よ』
 先導するチャットについて歩く。地面におろした足がふわふわしていて頼りない。
 平原の一角に、キノコのような形の岩が多数突き出ている地帯があった。その一つの上で、白っぽい影が踊るようにうごめいている。否、本当に踊っているのだった。半裸の男がくねりくねりと腰を動かし、自在に体重を移動させている。
 リンクは崖から岩の上に飛び移り、慎重に近寄った。男が白っぽい体で踊り狂っている。肩の向こう側が透けていた。
「われ死して月になげき、我が舞いを世に残せず……ただ悔いるばかり」
 近づくとそんな言葉まで聞こえてきた。
「死者の魂――幽霊ということか」
『どういう意味かしら?』
 とチャットが疑問を浮かべると、
「くやしいぜお月さんよ、オレは死んじまったぜ! あ~あ、オレのダンスで世界中を熱狂のルツボにする予定だったのによ~。この新作ステップ、ダレかにレッスンしときゃよかったよな」
 幽霊は急に砕けた調子で喋りはじめた。それも踊りながら。リンクが真顔でうなずく。
「……という意味らしい」
『分かりやすい幽霊ねえ』
 この世に未練を残したダンサーらしい。とは言っても、リンクは踊りの素養はなく、教わるつもりもない。
『ねえ、こいつも魂を癒してあげればいいんじゃない?』
 浮かばれない魂をそのまま放っておくのも性に合わない。リンクはオカリナを構え、いやしの歌を吹いた。
 すると幽霊は動きを止め、とろけるように表情を和らげる。
「わが舞い『カマロの踊り』を世にまき、育てよ……(あんたに教えたからな。流行らしてくれよ、な!)」
 カマロという名の幽霊は小声で念を押した。流行らせるあてなどないのに、反射的にリンクはうなずいていた。
「たのんだぞ……(たのんだぜ……)」
 幽霊の魂が変化し、お面だけが手の中に残った。それをじっと見つめる。デクナッツやゴロンのように死者の魂がそのまま宿っているわけではないらしい。かぶっても変身はできないだろう。できても困るのだが。
 ふう、と微熱の混じった息を吐いて夜風を浴びる。
『ねえ、あれゼロじゃない?』
 チャットの声につられて、闇に支配された空を見上げた。暗い星空のキャンバスを、例のフクロウに掴まった人影が北の方角へ横切っていく。遠くからでもその銀髪はよく目立った。
『なんで山の方に……? あ、もしかして雑貨屋に薬がなかったのかもね』
 迷いなく山に向かうゼロを見て、何故かリンクは己の焦りがすうっと消えていくのを感じた。
「……帰る」
『え。ナベかま亭に?』
 答えず、リンクはゆっくりと町に向かって足を運んだ。体には抜けきれない熱があり、ベッドの中でおとなしく養生するのも悪くはないと思えた。
 急にやる気が失せたのは何故だろう。ゼロは「薬を買ってくる」と当たり前に言って、それを実行に移している。初対面にもかかわらずリンクは彼にずいぶん助けられていた。アリスの発言が確かなら、単にゼロは誰彼構わず世話を焼きたい性分なのだろう。それを拒み続けるのも疲れた。もう勝手にしろ、という気分だった。
 あの青年の存在は、リンクの心にざわめきをもたらす。それはいい兆候なのか、それとも――今の彼には判断できなかった。



「薬が、ない?」
「はい。材料が切れたとかって店長が。まあオレ、バイトだからよく分かんないッス」
 クロックタウンの雑貨屋は、いつぞや訪れたマニ屋のすぐ隣だった。幸いにも営業時間内に訪問できたが、店長はおらずバイトの男が店番をしていた。あまりやる気がないらしく、店の在庫を探そうともしてくれない。
「どうしよう」とゼロはかたわらのアリスに視線を送る。困ったことがあるとすぐにこの相棒を頼ってしまう。
「あー、薬ならアキンドナッツなら持ってるかもしれないッス。ほら、南広場の」
 バイトの青年がぼりぼり首をかきながら助言をくれた。アリスがうなずくように羽根を動かしたことでゼロは安心した。
「よし、なら行ってみようか」
 バイトに礼を言い、すぐに店を出た。町についた時点で日が暮れかけており、今はもう夜更けに近い。あまりのろのろしていると、アキンドナッツが店じまいしてしまうかもしれない。
 駆け足で南広場に来ると、『確かこのあたりにいたはずです』とアリスが案内してくれた。
 時計塔の足元、カーニバルの屋台が準備されているあたりにその大きな花は植わっていた。
「おや、お客さんッピ?」
 ピンクの花弁からアキンドナッツがぴょこんと飛び出た。デクナッツとよく似ているが、少し体が大きい。球根のような形の体を持ち、頭に生えた草がぴょこぴょこ揺れている。ゼロはそれを物珍しそうに眺めながら、
「はい。風邪に効く薬を探してるんですけど、売ってくれませんか」
 アキンドナッツは残念そうに揉み手をほどいた。
「それならうちは管轄外だッピ。薬なら山だッピ。あそこなら、青色のとびきりよく効くやつを売ってるッピ」
 ゼロは勢い込んでふところから出したサイフをぎゅっと握りしめ、「そんなあ」と嘆いた。
 瞬間、アキンドナッツの表情が一変した。
「お、お客さん、それは!?」
 アキンドナッツの焼けつくような視線は、ゼロのサイフに注がれていた。
「これですか?」
 目覚めた時点で持っていた荷物の中でも、剣と同じくらい大切なものだ。気を失って倒れている間によく盗まれなかったものだと思う。
「巨人のサイフだッピ!」
『巨人のサイフ……』「って何?」
 もちろんゼロは巨人でもなんでもない。二人が疑問だらけになる一方で、アキンドナッツは全身を震わせた。
「とても恐れ多くて言えないッピ。とにかく、それを見せれば商売人からの信頼は抜群だッピ。お客さんはもっと誇っていいッピ」
「は、はあ。アリスは知ってる?」
『名前だけはかろうじて……』
 無闇やたらとサイフをありがたがるアキンドナッツと別れたゼロは、山方面の北門に向かうため広場を突っ切る。途中で、彼は町の中心にそびえる時計塔を見上げた。
「前から思ってたんだけど、どうもあの塔だけ見覚えがあるんだよね」
『記憶を取り戻したのですか?』
「記憶」と聞いて、夜盗の覆面やロマーニのお面に触った時に見た白昼夢がぱっと蘇る。
(あれは違う。全然現実感がなかったもの)
 ぶんぶん頭を振ってその考えを追い出した。
「いいや、相変わらず記憶らしきものは何も。うーん、なんでだろう」
 そのまま階段を上がり、塔の裏手に回った時だ。そこに目立たぬように置かれたフクロウの像が目に入った。
「このフクロウって、まさか」
 ゼロが思わず硬直すると、夜空からばさばさと羽音が降ってきた。
『ホッホッホ。やっとつながったのう』
「……何の用だ」
 途端に空気が冷え切り、ゼロの声は低くなる。
「あの子どものために山に行きたいのじゃろう? ほら、ワシの足に掴まるといい」
 フクロウは異様に理解が早い。リンクとも面識があるようだ。
(そうだ、このフクロウに渡された忘れ物があったから、オレはリンクと出会ったんだった)
 山まで運ぶという申し出に対し、ゼロは躊躇した。このフクロウは何をどこまで知っているのか、どんな目的があってゼロたちの前に現れるのか。それが分かるまでこの警戒は解けそうにない。
 アリスが気遣わしげな視線をこちらに向けている。そう、山に行かなければ薬は手に入らない。変な意地を張っている場合ではなかった。
「……分かった。頼む」
 ゼロはぎこちなく頭を下げた。



 夜のタルミナ平原を渡り、山里の裾にたどり着く。そこにもフクロウの像があった。
 二人を運んだフクロウは、何も言わずに去っていった。
『ゼロさん、どうしてあのフクロウを警戒されるんですか?』
 アリスの疑問はもっともだ。ゼロはこわばった体をほぐすように肩を回す。
「ごめん……なんか、勝手にそうなっちゃうんだよね。何かされたわけでもないのに――むしろ助けてもらってるのに。おかしいよね」
 もしかしてこれが記憶の残滓なのではないか、と思いあたる。ゼロは記憶を失う前にもフクロウと面識があり、何らかの理由で良い印象を抱いていなかった。だから今も体が自動的に警戒してしまう。
 そうだとすると、記憶を取り戻した時、自分は過去の感情に振り回されてしまうのだろうか。
(オレは今のままでも、何も困っていないのに)
 ほんの一瞬胸の痛みをこらえ、ゼロは空元気で腕を振り上げた。
「さあ、気を取り直してアキンドナッツさんを探しに行こう!」
『ですがもう夜です。一度休まれたらどうですか』
「それはそうだけど、リンクは町で薬を待ってるわけだし……」
 アリスはやや語気を強めた。
『だからこそです。ゼロさんまで倒れてしまっては意味がありません』
 はっとした。衝動に任せて行動する自分に比べ、アリスはいつでも冷静だった。
「そのとおりだね。でもどこか泊めてくれそうな場所は――あ、もしかして野宿かな!?」
 ゼロはにわかにわくわくしてきた。旅と言えば野宿。寝心地がいいはずないのに、ぼんやりとした憧れが胸にふくらむ。持ってきた荷物には、野宿の時に使えそうなものがあっただろうか? 
『ゼロさん、明かりが見えますよ』
 アリスの一言であっさり期待はしぼんだ。虫刺されだらけになるよりはましだろうと自分に言い聞かせる。
「よし、交渉してみよう」
 妖精の光で照らされた看板には「山の鍛冶屋」と書いてあった。

inserted by FC2 system