第三章 光の交差



「三日目」の山里は春の気配に包まれていた。透明な雪解け水が川をつくり、まだまだ冷たい空気が頬を叩く。遠くで蜜蜂が飛んでいると思えばそれはずいぶん大きな蜂の魔物で、アリスに『ジャイアントビーです、近づくと刺されてしまいますよ』と注意された。
 昨晩運良く泊めてもらった建物は鍛冶屋であり、ゼロは自分の剣を主人に見せてみた。目覚めてから一切手入れをしていない。刃こぼれなどはないものの、このまま使い続けていいのか若干不安だったのだ。
 鍛冶屋曰く、ゼロの剣は「金剛の剣」というもので、この店で扱っている中でも最上級の武器に相当するらしい。剣を調べている最中、鍛冶屋はひたすら「いいなあ」「たっぷり砂金使ってるんだろうなあ」とうっとりしていた。
 ひとまずお金を払い、刀身を研ぎ直してもらうのみにとどめた。ずいぶん使い込んでいる様子だが、切れ味の良さは失われていない。巨人のサイフといい、ゼロはなかなか貴重な物を所持していたらしい。
 出立する際に鍛冶屋からアキンドナッツの情報を得た二人は、ゴロンの里がある方角に向かっていた。通り道には透き通った水で満ちた池があり、橋が架かっている。日が当たるとぽかぽかするような陽気で、ほとんどピクニック日和だ。
 ゼロは途中で看板を見つけ、顔を輝かせる。
「ゴロンレースだって! どんなことやってるんだろう。ねえアリス、あとで行ってみようよ」
 振り返ると、彼女は少し後ろで止まっていた。きょろきょろあたりを見回している。
「どうしたの、何かいた?」
『……いいえ、気のせいでした』
 順調にゴロンの里にやってきた二人は、さっそくゴロン族と出会った。
「町から来たお客さんだゴロ、珍しいゴロ〜」
 ゼロにとってはゴロンの方が変わった種族だ。そこそこの背丈がある彼でも首を上向けなければ目線が合わないほど大きくて、まるで岩の塊が動いているようだ。しかし露出した土色の肌は意外と柔らかそうに見える。瞳は黒くて丸く、どこか愛嬌があった。
「ええっと、このあたりにアキンドナッツがいませんか?」
「ああ、あの変わり者のナッツなら、あっちの崖の下でお店やってるゴロ。この前まで冬だったから寒くて干からびそうになってたゴロ」
 それは災難だったなと思いながら礼を言い、指さされた方に足を向ける――が。
「ん?」と立ち止まった。
 こちらを見つめる視線を感じたのだ。戦闘時以外はのんびりしている彼でも、さすがに感じ取れるレベルの熱視線だった。
『ゼロさんも気づかれましたか』アリスは山里で池を渡っているあたりから、ずっと不審に感じていたと言う。
「うん。でも、多分ゴロンの人たちじゃないかな。オレとアリスを珍しがってるんだよ」
 結局相手が出てこない限り何もできないということで、ゼロは再び歩き出した。
 先ほどゴロンが言った通り、里の外れにある崖下にアキンドナッツがいた。二人が近づくと、町にも咲いていた大きな花から顔を出す。
「お、お客さんだッピ! お客さん運がいいッピ、ワシはついこの間まで寒くて死にそうで、店どころじゃなかったッピ」
 よほど厳しい冬だったらしい。ゼロは苦笑気味にサイフを取り出した。
「風邪の薬をください」
 そのサイフを視認した時のアキンドナッツの反応は見ものだった。
「そ、そのサイフは……! ダメだッピ、それを持ってるヒトからお金をいただくわけにはいかないッピ」
 そのまま平身低頭する勢いで拝みはじめる。クロックタウンのアキンドナッツの比ではない態度の急変っぷりに、ゼロの方が参ってしまった。
「は、はい? でも代金は払わないと」
「いやいやそのサイフを見ただけでご利益があるッピ。ありがたいッピ、これでワシは億万長者だッピ!」
「そうなのアリス……?」
『アキンドナッツの間ではそのような信仰があるようですね』
 こんな大層な驚かれ方をするサイフを持っていた自分は、一体どんな人物だったのだ。ゼロは心底不思議に思う。
「お金はいらないッピ。その代わり、少しだけ触らせてほしいッピ」
 アキンドナッツは木の枝のような手でサイフにそっと触れた。
「このサイフ、そんなにすごいんですか」
「もちろんだッピ。これは選ばれた特別なヒトにしか使えないサイフだから、普通のヒトが持っていてもただの巾着だッピ。でもお客さんなら、そこからいくらでもお金を取り出せるッピ」
「え! どういうことですか?」
「この先、一生お金の心配をする必要がないってことだッピ」
 さすがのゼロも愕然とした。旅のおともとして、あまりにも心強すぎる。
「でもそんなサイフがあったら経済が崩壊しますよね……?」
『ゼロさんならそのような無茶な使い方はしない、だからこそ巨人のサイフが機能するということでは?』
「ああ、そうかも」
 ほぼ無限にお金があると聞いても、特に欲しいものは思い浮かばなかった。今ゼロが求めているものは月を落とさない方法や大妖精を見つける方法なので、お金では手に入らないのだ。
「いいもの見させてもらったッピ。まいどありッピ」
 アキンドナッツはうやうやしく空のビンに青い薬を分けてくれた。
「さーて、薬を届けに戻らないと」
 くるりと後ろを振り返った瞬間。
『いいですネ、巨人のサイフ。ワタシもはじめて見ました』
 ゼロとアリスの間に、いつの間にか緑色の妖精が浮かんでいる。
「うわっ!?」思わずビンを取り落としそうになった。
 世をすねたような唇に、細い目。沼で見た「彼女」とそっくりな見た目をしているその妖精は、
『大妖精様!』
『そうです、ワタシが山の大妖精です!』
 大妖精は小さな胸を目一杯そらした。
 せっかく山に来たのだから大妖精に会いたい、と考えていた。まさか向こうからやってくるとは思いもしなかった。
「どうしてここにいるんですか?」
『それが、不意打ちでスタルキッドにバラバラにされてしまいまして。その時に飛び散った妖精珠を探しているんですヨ、自分で』
 沼の大妖精と同じパターンだ。こうなると海の大妖精の生真面目さが浮き彫りになる。おそらく、泉を不在にして付近の住民を心配させたくないという思いもあったのだろうが。
「オレたち、ちょうど妖精珠集めを手伝おうと思って山に来たんです。あ、でも先に薬を町に届けなきゃ」
『それなら大翼のフクロウを使えばいいですヨ』
「大翼?」
『あの石像に手をかざしてください』
 大妖精が示したのは、例の石像だった。こんなところにもあったのか。石像は、まるでゴロンの里を見守るように翼をひろげている。
『そうすれば、大翼のフクロウを呼び出せます。ちなみに楽器があれば石像関係なくどこへでも来てくれるそうですヨ』
 またあのフクロウを頼ることになるわけだ。しかし、薬を町に届けてまた山に戻ってきたら、確実に時間が足りなくなる。
 ホッホウという声とともに現れたフクロウに、ゼロは頭を下げた。
「……この薬をリンクのところに届けてほしいんだ」
『あい分かった、必ず届けよう』
 フクロウは器用に足でビンを持って飛び立つ。ゼロはそれを複雑な面持ちで見守った。
「あのフクロウって何なんですか?」
 大妖精はすらすらと答える。
『大昔からタルミナのことを見守ってくれているんですヨ。まあ見守るだけで何もしてくれないんですけど。それと、別名は予言の大翼。この先起こる未来のことも教えてくれますネ』
 そこで大妖精は突然声を張り上げる。
『――というのはどうでもいいのです! ほら、早くワタシの妖精珠を探すのです』
「あ、はい」
 大妖精はゼロを押し出すようにどしんと背中にぶつかってくる。ゼロは苦笑し、彼女の誘導する通りに足を運んだ。
 ゴロンの里を横切り、再び池を渡って、坂を上る。
 そこは、先ほどゼロが「またあとで来よう」と言った場所だった。
「ここ、ゴロンレース場ですけど?」
『妖精珠はここにいる……かもれないって、ワタシの勘が言っているワ!』
 ゼロはアリスに目配せした。
 レース場には里の中よりも多くのゴロンたちがいた。選手も観客も沸き立って、残雪を溶かすほどの熱気に包まれている。参加者たちは、優勝によって得られる栄誉と副賞の砂金を狙っているようだ。
『せっかくだからレースを見ていきたいんですケド……』
 準備運動中のゴロンたちに釘付けになる大妖精に、「オレも見たいです」と相槌を打つ。
 ゼロたちが見守る中、レースが始まった。体を丸めたゴロンが次々とスタートラインから出走した。ほとんど岩の塊と化したゴロンが、長い長い坂道を転がり落ちていく。あのスピードでぶつかられたらひとたまりもないだろう。実際、レースでもゴロン同士でぶつかり合った衝撃でコースアウトする選手が続出していた。
 観客席でゼロの近くにいた子どものゴロンは「自分はまだ小さいからレースに出られない」「とうちゃんに危ないからって止められてる」「でもいつか、ダルマのにいちゃんみたいになりたい」とつぶやきながら、夢中になって眺めていた。ゼロも同じ気分でこぶしを握り、選手皆を応援した。
 波乱のレースは一人のゴロンの優勝で幕を閉じた。ゴールのぎりぎりまでライバルと競い合った末の勝利だった。あの若者がゴロンの次代を担うのかな、とゼロは嬉しくなる。
 山の大妖精はレースが終わるとすぐに飛び立った。
『あー面白かった。さあ次ですネ』
「あの、妖精珠は……?」
『レース見てるうちにいなくなっちゃったみたい。次はねー、どこにしようかな』
 ゼロは小声で相棒にささやく。
「これ絶対遊び回ってるよね」
『大妖精様は私のような妖精と違っていつも泉にいなければならないのです。鬱憤が溜まっても仕方ありません』
 しかし、もう三日目だ。いつも通りなら夕方から夜にかけて時の繰り返しが発生する。早めに妖精珠を見つけなければならない。
 その事情をどうやって大妖精に伝えようか、とゼロが悩んでいると、
『大妖精様。妖精珠の本当の居場所を教えていただけませんか』
 アリスが単刀直入かつ丁寧に言い放った。
 大妖精は身をくねらせて駄々をこねる。
『えー、でもなあ』
「妖精珠さえ見つけたら、いくらでも遊びに付き合いますから!」
『本当? 絶対だヨ?』
 ゼロは何度もうなずく。それでやっと大妖精は諦めがついたようだ。
『引き延ばして悪かったヨ。でも、残りの妖精珠はどうもワタシが行きたくない場所にいるみたいで、ネ……』
 まさか沼の時のように、神殿の中に囚われているのだろうか? 
 ゼロたちが身構えるのを察したのか、大妖精は頭を横に振った。
『いや。ゴロンが……おっきなゴロンが持っててね』
 大妖精に案内され、一行はさらに山奥へと進んだ。道は雪解け水で少しぬかるんでいる。春だからまだ良かったが、冬の山登りとなるとゼロの手には負えなかったかもしれない。
 そうして上り詰めると、長い坂の手前に、ゼロの体長の十倍はありそうなゴロンが寝そべっていた。
「お、大きいですね」
『ダイゴロンっていうんだけど……ほら、ちょっと交渉してみてよ』
 大妖精はゼロの背中に隠れた。おっかなびっくり近づいていくと、ダイゴロンは上体を起こした。
「おっ? 妖精ゴロ!」
 アリスを見て目を輝かせる。なんだか嫌な予感がして、ゼロは妖精たちをかばうように前に出た。
「こんにちは。オレ、妖精珠っていうのを探してるんですけど……」
「これはオラのものゴロ!」
 きかん坊のように主張するダイゴロンは、確かに手の中に緑色の光を持っていた。
『違うってば、ワタシのものだよー!』
 大妖精が精一杯主張するが、ダイゴロンは聞く耳持たない。確かに今の姿を見て大妖精だと認識できる者も少ないだろう。
 ゼロはなんとか説得しようと試みる。
「それは山の大妖精様の力の一部なんです。返してもらえませんか」
「でもこれはオラの……」
「なら、代わりに何かと交換してくれませんか」
 ダイゴロンはしばし考え込む。
「ダメだゴロ。交換できるようなものじゃないゴロ」
『えーっ、どうしたらいいのヨもう!』
 喚く大妖精をなだめつつ、ゼロは「何か理由があるんですか」と尋ねる。
 ダイゴロンは図星だったらしく、うろたえた。
「理由……あるゴロ。オラはこれをゴロンの里に持って行かなきゃいけないゴロ。もうちょっと遊んだら行くつもりだったゴロ」
「もしかして、誰かに渡すんですか?」
「そうだゴロ。きっとあの子が泣いてるゴロ、これを見たらあの子だって喜ぶはずゴロ!」
 なんだか事情がありそうだ。ゼロは大妖精と顔を見合わせる。
「このお山は、ちょっと前まで神殿にいた魔物のせいで冬だったゴロ……それをダルマーニ三世っていう勇敢な若者が倒して、春にしてくれたゴロ。
 でもゴロンの勇者は帰ってこなかった。だから、ダルマーニを慕ってた長老のムスコがずっと泣いてるんだゴロ」
 長老の息子、というと子どものゴロン族だろう。そしてダルマーニという人物を慕っている――ゼロはすぐにピンときた。
「ダイゴロンさん。ゴロンレース場に来てくれませんか」
「オラ体が大きすぎてレースには出られないゴロ」
「そうじゃないんです。妖精珠と一緒に、どうかお願いします!」
 必死に頼み込むと、やっと聞き入れる気になったようだ。ダイゴロンを引き連れた一行は来た道を逆戻りした。
 レース場の入口はダイゴロンがぎりぎり通れる大きさだった。腰をかがめてそこを抜けると、ゴロンの仲間たちがダイゴロンを取り囲んだ。
「おお、ダイゴロンだゴロ」「近頃顔見てなかったけど元気にしてたゴロ?」
 ダイゴロンは足元を見て戸惑っている。ゼロが彼に会わせるべきゴロンを呼びに行こうとした時、
「おっきなにいちゃんだコロ!」
 該当の人物が向こうからやってきた。ダイゴロンは目を丸くする。
「お、おめえ……泣いてないゴロ?」
 おそるおそる子どものゴロンに話しかける。やはり、ダイゴロンが気にしていたのはレース見学でゼロの隣に座ったこの子どものことだ。
「泣いてないコロ」
 子どもは胸を叩いた。
「ダルマーニいなくて、さみしくないゴロ……?」
「さ、さみしくないコロ」
 ダルマーニという単語を聞いたらもうだめだった。すぐにでも決壊しそうなほど、子どもは目にいっぱい涙をためている。
「ずっと泣いてるのはよくないってとうちゃん言ってたコロ。だからレース見てたコロ。オラもいつかレースで一番になって、ダルマのにいちゃんみたいになるコロ!」
 ダイゴロンはほう、と大きなため息を吐いた。
 固く握られていた手のひらが開かれる。緑の妖精珠がふらふらと出てくた。
『つかまえた!』
 すかさず大妖精がキャッチした。
 ゼロは眩しそうにダイゴロンを見上げながら、
「ダルマーニさん、よっぽど頼られてたんだね」
『そうですね……』
 会ったこともない故人に思いを馳せた。ダルマーニは本人がいなくなっても、まわりの人々にたくさんの思い出を残している。喪失が導くのは悲しみだけではない。
 翻って、自分はどうなのだろう。記憶をなくしたゼロは、本来の居場所では失踪扱いされているのかもしれない。その時悲しんでくれる人はいるのだろうか。
(なんか想像もつかないなあ)
 ゼロの過去は相変わらずほとんど真っ白なままだった。その真ん中にはぽつんと黒いワンピースの女の子が立っている。なんとなく、タルミナのどこかで彼女が待っているのかもしれない、と思った。



 山の大妖精の泉は、スノーヘッドの山の頂きにあった。激しい山登りを強いられ、ゼロは汗だくになって泉の前に立つ。
 本来の姿を取り戻した大妖精は、相変わらず恵まれた容姿を誇っていた。緑の長い髪が魔力を受けて生き物のようにうねっている。これで大妖精を解放するのも三人目となり、やっと少しだけ耐性がついてきたゼロは、「確かに姉妹というだけあって顔が似ているな」と思う。
 大妖精はお礼として氷の矢を授けてくれた。しかし、魔法矢はあまり活用できていないのが現状だ。宝の持ち腐れではないかと悩んでしまう。
 大妖精が力を取り戻したということは、またアリスの記憶が蘇ったのだろう。最近はあまり昔の話をしてくれなくなった。全く記憶を取り戻さないゼロに対し、気を遣っているに違いなかった。
 一通りお礼を言い終えると、大妖精は綺麗な顔で凄んでみせた。
『ところで……や・く・そ・く、守ってくれるよネ?』
 ゼロは苦笑いした。
「もちろんですよ」
 大妖精が飽きるまで遊びに付き合うつもりだ。とはいえ、このままでは元気になったはずのリンクの姿を見に行くことはできない。そちらはもう諦めるしかないだろう。
 結局、本当に彼が時を巻き戻しているのかどうかは、うやむやのままだった。
 再び小さい方の姿になった大妖精(任意で戻れるらしい)に連れられて、ゼロとアリスは山里へ降りて行く。
(でも……また会えるよね)
 切れ長の青い瞳を思い浮かべながら、ゼロは春の山を見上げた。



「二日目」の夜。おろおろするクリミアをミルクバーに誘ったルミナは、カウンターチェアに座り、白くとろりとした液体の入ったグラスを優雅に傾けていた。
「カーフェイ、まだ見つかっていないのよね」
 ここしばらく町に来られなかったクリミアが、ぽつりと呟いた。ルミナはうなずく。
「うん。アンジュから聞いた。もうずっと誰も顔を見てないんだって……。
 あのねクリミア、アンジュも不安だったから、うっかりああいうこと言っちゃっただけなんだよ。だからさ――」
 クリミアはそれ以上の発言を遮るように首を振る。
「分かってる……分かっているわ」
 二人はしばし無言で杯を干した。カウンターには新鮮なミルクに加え、とろけたチーズが載ったトーストが置かれている。この健康的な組み合わせがたまらなくおいしいのだ。
 次に口を開いたのはクリミアだった。
「カーニバル公演、本当にやれるの? ルミナはそのためにタルミナに来たのよね」
「んー、正直微妙かなあ」
 今の所は中止が決まっているが、ルミナはそれを認めたくない。それに、時が繰り返す限り永遠にカーニバルの日は来ないだろう。つまり実際にカーニバルが行われるまでは、公演は決して中止にならない――というのが彼女の理屈である。
「昔から音楽好きだったわよね。ダル・ブルーとかずっと追いかけてたじゃない」
「今だってそうだよ」
 ルミナは苦笑する。彼女のダル・ブルー好きは友人の間では有名だ。
 クリミアと出会ったのは、お互いにまだ小さかった頃だ。ルミナは親に連れられてカーニバルにやってきた。思えば故郷でダル・ブルーを知るよりも前に、タルミナとは縁があったのだ。彼女はアンジュとカーフェイ、そして町に来ていたクリミアたちと知り合い、歳が近いこともあって仲良くなった。その時はまさか、タルミナの仲良し三人組がこんなややこしい三角関係になるとは思ってもみなかった。
 アンジュとカーフェイは幼い頃から結婚を約束していた。ルミナにとってはそれが当たり前だったので、知らず知らずのうちにクリミアを傷つけていたらと思うと内心ヒヤヒヤする。
「本当にカーフェイってばどこにいるのかしら。婚約者をあんなに心配させるなんて。もう探している時間もないし……案外、カーニバルの日にひょっこり現れるかもしれないけど」
 刹那、ルミナは閃いた。自分にはいくらでも時間があるではないか。時が繰り返す限り、記憶を継承する彼女だけがカーフェイを探すことができる。彼を見つけることができればアンジュが喜び、クリミアの疑いも晴れるのだ。
「ありがとう、クリミア!」
 突然立ち上がった彼女は、両目にやる気の炎を燃やしながら友人の手をとった。思わぬヒントをもたらした張本人は、「え……え?」とうろたえている。
「あのねえルミナ、町に月が落ちそうでカーフェイもいなくて、そんなに明るい話題なんてないと思うんだけど」
「でも生きてたら悪いことばっかりじゃないんだよねー」
 うまく行けば、自分でもこの三日を変えることができるのではないか? リンクのように山に春を取り戻すことはできなくとも、身の回りにささやかな変化を生み出せるかもしれない。
 呆気にとられていたクリミアは、やがてぷっと吹き出した。
「なんか、久々にルミナのそういうところ見たわ」
「え、どういうところ?」
 それには答えず、
「私そろそろ帰るわ。ロマニーを心配させちゃう。アンジュによろしくね」
「うん。気をつけて」
 クリミアはマスターに挨拶してからミルクバーを後にした。
 一人になったルミナは若干ぬるくなったシャトー・ロマーニを飲み干した。不思議な力がわいてくるミルクのおかげか、なんだかいつも以上に元気になったようだ。
 思考が冴え渡った彼女はふと思いついて、マスターに頼んでサンドイッチをつくってもらった。
 空腹を満たしたルミナは軽い足取りでナベかま亭に戻り、いつも通り大部屋のベッドで眠りについた。
 翌朝、「三日目」のことである。
「おはようリンク!」
 午前六時の鐘とともに、隣にあるナイフの間を訪れる。そこにリンクが寝ていると昨晩のうちにアンジュから聞いていた。
 リンクは目覚めていたものの、ベッドに腰掛けたまま面倒くさそうにこちらを見た。眠気の残るまなざしだ。風邪を引いていたというから、まだ本調子ではないのかもしれない。
 ルミナはそんな彼に紙包みを渡した。
「これ朝ごはんね、昨日のサンドイッチだけど。アンジュの料理よりはおいしいはずだよ」
「……なんで来たんだ」
「ふふふ。リンクに宣言しておこうと思ってね」
 不思議そうに首をひねる子どもにずいと近寄り、ルミナは真顔になる。
「あのね、わたしはリンクのことは手伝えないかもしれないけど、それでも絶対何かやってみせるから。せっかくいっぱい時間があるなら、わたしにできることをしたい。そうやって成し遂げたことは、時が繰り返しても無駄にはならないはずだよ」
 大真面目な「宣言」を、はじめリンクは気圧されたように聞いていた。徐々に顔のこわばりを解いていく。
「そうか」
 表情が劇的に変わったわけではない。しかしそこには、前回の三日目に見せた厳しさはもうなかった。リンクの返事には何故か安堵が混ざっているようだ。
「やってやるぞ」とはちきれんばかりに気合いを入れ、ルミナはこぶしを振り上げる。
「まあ、このわたしにかかればあの月だっていつかは――うぎゃ!?」
 いつの間にか窓の外に巨大なフクロウがいて、じいっとこちらを見つめていた。羽ばたくだけでガラスが窓枠の中でカタカタ震えている。リンクが「何の用だ」と窓を開けた。
「ホッホウ! 届け物じゃ」
 フクロウは器用にも足で持っていた薬ビンを窓枠に置いた。
「え、フクロウが配達? ポストマンだったの? ていうか今喋ったよね」疑問符だらけのルミナとは対照的に、
『きっとゼロが風邪薬を届けてくれたのよ!』白い妖精チャットの声は弾んでいた。
 フクロウはすぐに去った。リンクは腰に手を当て、片手でビンを持って一息に青色の薬――いかにもまずそうだ――を飲み干す。ぷは、と吹いた息まで青色に染まっていた。シャトー・ロマーニの時といい、写し絵に撮って壁に飾りたくなるような素晴らしい飲みっぷりだ。
 リンクは効き目を確かめるように何度か手のひらを開いて閉じた。
「ね、あのゼロって人は友だちなの?」
 ルミナは二回ほど前の繰り返しの時、錯乱した状態のまま彼と出会い、面倒な絡み方をしてしまったことがある。果たしてあちらは覚えているだろうか。
 リンクは何故か不機嫌そうに眉根を寄せた。
「別に。つい昨日知り合ったばかりだ」
「そうなの? 結構仲良さそうに見えたよ。牧場からここまで一緒に帰ってきたんでしょ」
 彼はそれ以上答えなかった。
『こいつ多分気まずいのよ。よく知らない相手に薬まで届けてもらってさ』
 チャットが痛いところをついたのだろう、リンクは余計な思考を振り払うように頭を振った。
「……ルミナ。お前は、自分も何かしたいと言ったな」
「あ、うん」
 リンクはややあらたまって言葉を紡ぐ。ルミナは何故か背筋を伸ばしてしまう。
「そこの荷物をとってくれ」
「これ?」
 ナイフの間の隅に置かれた荷物袋をまるごとベッドサイドに持っていった。リンクはその中から青色の楽器らしきものを取り出した。
「これは時のオカリナというものだ」
 オカリナ、すなわち笛だ。その瞬間、雷に打たれたようにルミナは真実を悟った。
「やっぱりリンクが時間を戻してたんだね」
 沈黙は肯定の証だ。ルミナの胸にじんわりと真実が染み込む。
 聞きたいことは山ほどあった。彼女は身を乗り出した。
「ねえ、リンクはあの月を止めようとしてるの? タルミナを……救ってくれるの?」
「そんなつもりはない」
 しかし彼はぴしゃりと言い放つ。
「ただ、面倒な約束がある。それを果たしたいだけだ」
 それは本心か、はたまた照れ隠しなのか。ルミナには判別できなかった。
 月を止めるだなんて大層なこと、年端もいかない子どもにできるはずがない。そう考えるのが普通だろう。しかしルミナは彼を信じる気になっていた。山に春を取り戻したリンクなら、月だって止められるかもしれない。
「オカリナのこと、教えてくれてありがとう。ねえ、今日は何時にあの曲を吹くの?」
 気づけばごく自然にそう尋ねていた。
「午後の六時くらいのつもりだ」
 リンクも普通に答える。
「じゃあそれまで町をぶらぶらしようかな。リンクもゆっくり休んだらいいよ」
「ああ」
 彼がベッドに横たわるのを確認してから、ルミナはドアを静かに閉めた。
 今日こそはぐっすり眠れそうだった。

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