第四章 同じ空のもとで



 たんぽぽ色の髪がぬるい風に揺れる。潮の香りが鼻腔をくすぐった。リンクの目の前に広がるのは「海」だった。
『本当に一人で来て良かったの?』
 かたわらのチャットを軽くにらむ。彼女は協力者となりうる「三人」について言及しているのだろう。
『ほら、ゼロとアリスに薬のお礼だって言ってないのよ』
「……機会があればな」
 チャットはため息をついた。
 黙って砂浜を歩く。ブーツが地面に埋まる頼りない感触は、かつて訪れたことのある砂漠を思い起こさせた。
 さざなみの音が耳をなでた。海というものを見るのは初めてだった。湖よりもはるかにスケールが大きく、常に浜に向かって波が打ち寄せてくるのが不思議だ。遠くに立つ雲の形も珍しい。リンクはひそかに圧倒されていた。
 水平線の向こうには何があるのだろう。タルミナとは別の地方だろうか。彼が故郷の森にいた頃は、同じことを考えながら山を眺めたものだ。
 海の上には白い鳥が輪を描いて飛んでいた。『あれはカモメね』とチャットがさりげなく教えてくれる。
『にしても、ちょっと数が多すぎるわ』
「あの下に――何かある」
 言うが否や、リンクは海に飛び込んだ。生あたたかい水が全身に絡みつく。
『ちょっと!?』
 海水は噂に聞いたとおり塩辛かった。飲まないよう気をつけながら水をかきわけ、お手本のようなフォームで泳いだ彼は、すぐにカモメの真下にたどりついた。
 波間にぷかぷか浮かぶのは、ゾーラ族の男性だった。怪我をしているらしく、付近の海水が赤く染まっている。
「うぐっ、ダレか……オレを岸まで、運んでくれないか……」
 人の気配を感じたのか、切れ切れにうめく。リンクはその腕を掴み、岸に向かって泳いだ。体格差があるためかなり時間がかかった。
 なんとか岸に引っ張り上げる。砂浜に足をつけたゾーラは自力で歩き出した。
『あっ』
 が、すぐに前のめりに倒れてしまう。リンクが駆け寄って仰向けにした。
 ゾーラの顔はすっかり血の気が引いていた。普段から水色をしている肌が、もはや青白い。その唇がわずかに動く。
「オレは、ゾーラ族のミカウ……。ゾーラバンドのギタリストだ。オレはもうダメだと思う……。だから、最後のメッセージを聴いてくれないか」
 リンクは一も二もなくうなずく。
「オレのギターを……」
 ミカウの背には魚の骨でつくったような楽器がくくりつけてあった。ギタリストと言うからには大切な相棒なのだろう。力なく放り出された手に握らせてやる。
 ――すると。ミカウは突然息を吹き返したかのように機敏に起き上がり、半死者とは思えないほど元気な声を張り上げた。
「ワン、トゥー、スリー!」
 
 *
 
 ohベイべェー聞いておくれ
 もうすぐごきげんなカーニバル
 みんなオレたちまっている
 だけど、ボーカルのあの娘は
 ヘンなタマゴを産んで
 声をなくしちまったのさ~
 ohoh近ごろグレートベイで
 何かが何かが起きている~
(そうなの?)
 
 ohベイべェー聞いておくれ
 そしてあの娘のタマゴは
 みんな海賊ゲルドに盗まれた
 すぐにオレは~
 海賊ゲルドを追いかけたが
 のされちまってこのザマさ
 ohohこのままくたばるのは
 死んでも死んでも死にきれね~
(そりゃ、そうだ!)
 
 ダレか、あの娘のタマゴを
 つれもどしておくれ~
 ダレかオレの魂をいやしておくれ
 
 *
 
「ありがとう!」
 いきなり浜辺でリサイタルを開いたギタリストは、呆気にとられるリンクたちの前でばたんと倒れた。
「ぐふっ……め、目がかすんできた……。もうすぐ、オレは海のアワになって消える運命さ」
 どうやら最後の力を使い果たしたらしい。真の音楽家となると、命が尽きる瞬間まで楽器を奏でるものなのだろうか。リンクには理解しがたい。
『ほらアンタ、オカリナよ』
 チャットに急かされるまでもない。ミカウの歌には「魂を癒やしてくれ」というフレーズがあったのだ。リンクはオカリナを構えた。
 いやしの歌――何度となく吹いてきた曲だが、そのメロディは癒やす対象によって違うイメージを喚起させるようだ。今回は先ほどの陽気な曲に乗るように、どこか明るさを感じさせる雰囲気だった。
 ミカウは目を細め、すうっと表情を和らげた。
「ohイェー、熱いサウンドがオレのハートにビンビンくるぜ。
 あの娘のコト、たのんだぜ……」
 魂を癒やされ、ミカウの体は光の粒になって消えた。その後にはギターと、ゾーラの仮面だけが残った。
 リンクはギターを墓標代わりにして砂浜の端に墓をつくった。「伝説のギタリストここに眠る」と書き添える。両手を合わせてしばし死者に祈りを捧げた。最低限の礼儀だ。
 海の現状を探る手がかりが何もない中、ミカウはこうして仮面になるために溺れていたのではないか、などと不吉なことを考えてしまう。
「ミカウ。お前の力を借りるぞ」
 変身する瞬間、視界が暗転する。同時に「あの娘」とおぼしき女性の姿が脳裏に浮かび上がった。マリンブルーのドレスを着たゾーラだ。
(またか……)
 そのゾーラは、リンクの古い記憶を刺激する顔立ちをしていた。彼は一瞬苦い顔になるが、その女性に関わることが故人の願いであれば、叶えないわけにはいかない。
 まぶたを開いた時点で変身が完了していた。背がすらりと伸び、普段より遠くが見渡せた。全体的に体は動かしやすいが、腕の下に垂れるヒレにはどうも違和感がある。
「チャット。このあたりにゾーラの集落はあるか」
 何はともあれ情報集めだ。あの娘について、海賊について、知りたいことは山ほどある。
『ゾーラホールっていう場所があるって昔聞いたわ。多分、海の中じゃないかしら』
 早速リンクは海に入った。人間と違って、軽く腕を使うだけでぐんぐん前に進む。なかなか快適だった。
 泳ぎに体を慣らすようにしばらくそのあたりをぐるぐる回った。不意に、波が動くのを感じる。こちらに向かって誰かが高速で近づいてくる。
「ミカウ!」
 呼び止められ、リンクは立ち泳ぎに切り替えた。知り合いと思しきゾーラだ。ミカウよりもずいぶん目が小さく、あごがしゃくれている。
「どうだった? 海洋研究所の博士はタマゴの謎が分かったのか?」
 話の流れがつかめない。リンクがひたすら黙っていると、
「そうか……やっぱりダメか」
 相手は勝手に合点していた。
 リンクが「あの娘は?」と切り出す。すると、ゾーラの顔色が変わった。うつむいて、悲痛そうな表情を浮かべる。
「ルルはずっとゾーラホールの岬でたそがれてるよ……。そうだ、ルルの歌声を取り戻すにはきっとあのタマゴが必要なんだ」
 リンクはがっちり両肩を掴まれた。
「ミカウ。平和な海で暮らすことに慣れてしまった俺たちの中で、荒くれ者の海賊と対等にわたりあえるのは、ゾーラ族の勇者の血を受け継ぐオマエだけなんだ。ルルのことはまだバンドのみんなには内緒にしてある。カーニバルのコンサートはみんな楽しみにしてるからな……。ルルが歌えないから中止だなんて言えないだろ?」
 このあたりで、さすがにリンクも「あの娘」がルルという名前だと悟った。タマゴを生み、声を失ったこと。それを海賊に奪われたこと。どれもミカウの歌にあった話だ。
「たのんだぞ、ミカウ。刻のカーニバルのコンサートまでもう時間がない」
「分かった」
 結局相手の名前を聞くことなく別れてしまった。ボロを出さないように気を張る会話が終わり、リンクはこっそり肩をすくめる。
 チャットは呆れたように、
『ホント、アンタって頼まれると断れないタイプよね』
「ミカウから力を借りる以上、遺言くらいは聞いてやるべきだろう」
『そうだけどさあ』
 しかし、海賊の砦の位置を聞き忘れたのが痛い。そもそも先ほどの男はミカウが知っていること前提で話していた。
 やはり、情報を整理するためゾーラホールに向かうべきだろうか。しばし波間に揺れながら悩んでいると、
「ミカウ! こっちじゃこっち」
 空からしゃがれ声が降ってきた。
『あそこの家じゃない?』
 振り返った先、海の上に建物が浮かんでいる。わざわざ海底に土台をつくり、足場を組んで水の上に家を建てているのだ。建物の窓に老人の顔が映っている。彼が「ミカウ」を呼んだらしい。
 リンクは足場に上がった。
『海洋研究所だって』
 チャットが看板を読む。研究所、それに博士ということは……リンクには思い当たる節があった。
 ミカウを呼んだのは、白いひげをはやした老人だ。濃紺の長衣と揃いの帽子が研究者然とした雰囲気を作り出している。
 一瞬、よく似た景色がフラッシュバックする。リンクは内心ため息をついた。
「ミカウ、どこいっとったんじゃ。今日にでも持ってくると言っておった例のタマゴはどうしたんじゃ」
 タマゴ。ミカウの持ち物にはなかった。海賊から取り返すことができなかったのだ。さぞ無念だったろう。
「ゾーラのタマゴは生まれてから孵るのに、一から三日ほどかかる。それまでにこの水槽に入れなければ、たぶん……死んでしまうじゃろう」
 なぜなら、最近の異常気象でこのあたりの海水温が上がってしまった。よって、温度の変化に弱いゾーラのタマゴを孵すことができるのは、昔とっておいたこの水槽の水だけだ――と博士は説明した。
 事態の緊急性は理解できたが、タマゴを取り返せば本当にルルの声は蘇るのだろうか。疑問に思いつつも、向かわない選択肢はない。
「そのタマゴだが、海賊に奪われたんだ。海賊たちの居場所は分かるか」
 博士はギョロ目をいっぱいに見開いた。
「なんと! そうじゃったか……ならば、なおのこと急ぐ必要があるのう。海賊の砦はこの海岸沿いに北に歩いて、トンガリ岩よりも向こうじゃ」
「分かった」すぐに研究所を去ろうとするリンクを博士は引き止め、
「タマゴを持って帰るための入れ物は持っておるか? ないならこのビンを使うといい」
 空きビンを渡してくれた。思わぬところでいいものをもらえた、とリンクは得した気分になった。
 海洋研究所から出て、北の方角をにらむ。
『これから一人で海賊の砦に挑むわけ? ミカウも一人だったからやられたんじゃないの』
 近頃チャットのこういう小言が多くなった。弟がいるためか、どうもリンクのことも「放っておけない」と思っているらしい。それが顕著になったのはゼロと出会ってからだ、とリンクは気づいている。
「俺は別に一人きりじゃない」
 今まで手に入れた仮面を取り出す。デクナッツ、ゴロン、そしてゾーラ。元の姿を合わせれば四人分の力を行使できるのだ。
 チャットは面白くなさそうに、
『ふーん、分かったわよ。せいぜい応援してるわ』
 これでもリンクは警備の厳しい場所に忍び込むのに慣れているのだ。



 海賊の砦は岩壁に隠れるように建っていた。リンクはゾーラの仮面の力を使い、水中から忍び込むことにした。海賊というだけあって船を何隻も所持しているようで、施設内には移動用の水路が張り巡らされていた。水路には骨魚スカルギョが放たれていたが、リンクの敵ではなかった。
 その後もデクナッツの水切りジャンプ、ゴロンの丸まりを駆使して砦を抜けていく。やがて水路地帯から広場にたどり着いた。真ん中に物見やぐらがあり、その周囲にいくつも建物があった。内部でつながっているのかも知れないが、侵入者対策のため入口は複数に分かれており、構造は複雑を極めている。
『タマゴなんて一体どこにあるのよ……』
「おそらく一番奥だ」
 海賊は女性しかいなかった。皆一様に肌が浅黒く、髪は赤い。リンクは慣れた動きで監視の目をくぐり抜け、広場から手近な建物内に侵入する。
 人気のない廊下で、彼は天井の方を向く。壁の上部に通気口があった。砦は岩に半ば埋まるようなつくりをしているため、満足に開口部が取れない。奥になるほど空気の循環ができなくなるから、通気口が必要になる。リンクは、ゾーラの身長と己のジャンプ力に頼って通気口に手をかけると、仮面を脱いでするりと中に入り込んだ。腹ばいになればなんとか通り抜けられそうだ。
 勘に任せて進み、奥を目指す。やがてたどり着いた出口は格子に覆われていたが、何度か叩けば外れるだろう。そのまま外の様子をうかがう。絨毯の敷かれた大きな部屋だった。
 まず、壁際にある大きな水槽に目を奪われた。白い球体が何個か沈んでいる。
(あれがタマゴか)
 部屋の真ん中では、いかにも頭領という雰囲気の女が豪華な椅子の上でふんぞり返っていた。
 その前に部下と思しき女がひざまずく。
「待ちかねたよ! それで、残りのタマゴは見つかったのかい?」
 頭領が発したタマゴという単語に、リンクは聞き耳を立てた。
「いえ、それがまだ……」
 頭領はばしんと椅子の肘を叩いた。
「何やってんだい! 海賊様が盗んだお宝なくしちまったなんて、人に聞かれたら大笑いされるよ!」
(なくした?)厄介なことになった、と眉をひそめる。
「ですが、アベール様。アタイらが海ヘビのヤツラに襲われた海は、へんな霧が発生していて……」
「おだまり! だからゾーラだって手が出せないんだろ! 
 タマゴがなくなって、ゾーラたちも今ごろは血眼になって探しているはずなんだ。急がないと先を越されるよ! タマゴは今ここに四つある。残りのタマゴを海ヘビのヤロウに食われる前に、早く探し出すんだよ!」
「……分かりました」
 すっかり消沈した様子の部下は、肩を落としたまま退出しそうになる。
 頭領アベールは猫なで声を出した。
「お待ち。ゾーラのタマゴはね、あの沖に浮かぶ竜神雲の唯一の手がかりなんだよ。
 あのヘンな仮面をかぶったヤツの言うことがホントなら、竜神雲の中の神殿に眠っているお宝を手に入れれば、アタイらは一生遊んで暮らせるんだよ。だから、気合入れて探しな!」
「分かりました!」
 やる気を取り戻した部下が姿勢を正して去っていく。アベールの他に、部屋に残るのは二人だけだ。
 仮面をかぶったヤツ――もはやスタルキッドしか考えられない。山ではその名を聞かなかったが、やはり各地で悪さをしているのだ。
 だがまずは目の前のタマゴだ。リンクはじいっと息を殺し、部屋を観察した。
『ねえ、いいものがあるわよ』
 チャットが示したのは、天井からぶら下がる蜂の巣だった。
 すばやくデクナッツに変身し、格子の隙間からシャボン玉を吹く。ふわふわ飛んだシャボン玉は弾ける際に思わぬ威力を発揮し、蜂の巣を叩き落とした。
 ちょうどアベールの目の前に落ちて、巣が砕け散る。中から無数のハチが飛び出してきた。
「うわああ!」「いきなり何だ!?」
 海賊たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
 ハチに追い立てられた海賊がいなくなったことを確認し、リンクは通気口を開けて飛び降りた。すぐに水槽に向かおうとして――背中に殺気を感じる。
 振り返ると、ハチに顔を刺されてひどい形相になりつつも、頭領らしく堂々と立つアベールがいた。
「……子ども?」と彼女は一瞬ぽかんとしたが、「ふん、海賊のアジトに盗みに入るなんていい度胸だ! たっぷりかわいがってやるよ」容赦なく武器を構えた。
 リンクは背中のフェザーソードを抜いた。相手の武器は二振りの曲刀だ。
『いけるの?』チャットの不安をにじませる声に、
「任せろ」
 とリンクは応じた。
 二人はじりじりと距離を詰める。リンクはリーチの短さをカバーする必要があるため、相手の懐に飛び込む隙をうかがっていた。
 服の内側を冷たい汗が流れ落ちる。あと少しで双方が動き出す、という寸前で。
「ごめんください!」
 聞き覚えのある声が、海賊と侵入者の時を止めた。
 青い妖精を連れ、白銀の髪を後ろで一つに結んだ青年だ。特徴的すぎる容姿だから見間違えるはずがない。ゼロは頬を上気させ、何食わぬ顔で割って入る。
(どうしてここに……)
 緊迫した場面のはずなのに、リンクはその瞬間、驚くほど無防備にゼロの横顔を見つめていた。

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