第四章 同じ空のもとで



「ねえ、――、――!」
「彼」は何度も名前を呼ばれていた。まだまだ高い声は男女の区別がつかないくらいだ。
 すたすた走っていき、少し遠くで「彼」を待つのは五歳くらいの子どもだ。金色の髪を額の真ん中で分けた活発そうな男の子である。子どもはしきりに「彼」を呼んでいた。
 そこはクロックタウンだった。空は澄み渡っていて何も遮るものはない。もちろん顔のある月などいない、本来あるべき姿の時計の町だ。
 子どもの元に駆けつけようとした「彼」の脳裏に、厳格そうな女性の声が降ってくる。
 ――その子を育てなさい。然るべき日が来るまで。



『ゼロさん……ゼロさん!』
 すっかり馴染んだ相棒の声が耳に入り、ゼロの心臓がどきりと跳ねた。
 上半身ごと飛び起きる。明るい日差しに包まれた、もはや見慣れたナイフの間だ。また一日目に逆戻りというわけである。
「ん? でも鐘が鳴ってないような」
 何気なく時計を確認し、愕然とした。なんと、いつもの零時ではなく、一時間後の午後一時だった。
「寝坊したぁ!?」
 零時の時点ですでに寝坊なのだが、それでもゼロにとってはショックだった。
「な、なんでこんなに寝ちゃったんだろう」
 寝ている間は完全に意識がないため、本人にはどうにもならない。なんだかふわふわした夢を見ていた気がする。
『お体に異変はありませんか?』
 アリスは非難することもなくひたすら心配してくれた。
「ううん、大丈夫そう。一時間も待たせてごめんね、アリス」
『いえ……。一時間、ではないのですが』
 アリスは言葉尻を濁す。
「へ? どういうこと」
『私や他の方の時間は、一日目の朝六時から開始するようです』
 ゼロは再び愕然とした。今までアリスは彼に気を遣って黙っていたのだ。
「し、知らなかった……オレって六、七時間もみんなより余分に寝てたってこと? うわあ」
 さすがに罪悪感がつのる。頭を抱えた。
『大丈夫ですよ。三日間の旅は厳しいものですから、そのくらい休んで当然です』
 あまり上手とは言えないアリスのフォローだが、落ち込んでいるゼロには何よりもあたたかい。やはり得難い相棒だった。
『それより今日はどうされますか』
「えっと、順番に大妖精様を復活させるなら、残りは谷だけど……」
 ゼロは、前回の三日目にこの部屋に泊まっていたはずの少年を思い浮かべていた。その痕跡はもうどこにもない。
 意を決して妖精に頭を下げる。
「オレ、リンクを追いかけたい。多分リンクはオレたちが知らないことをたくさん知ってると思うんだ。それに、きっと何か大きなことをやろうとしていて……オレはそれを手伝いたい。リンク一人だけに任せたくないんだ。
 あ、でも、アリスは早く大妖精様を復活させたいよね……?」
 アリスはその光をゆっくりと明滅させる。
『いいえ。私は妖精の事情にゼロさんをずっと付き合わせているんです。それなら同じ分だけ、ゼロさんのやりたいことも尊重されるべきだと思います。
 それに、私もリンクさんたちのことは気になりますから』
 ゼロはその答えに心から安堵した。これは気遣いではなく、アリス自身がそう思ってくれている言葉だ。表情がなくとも、相棒の思いが伝わってくるのが嬉しかった。
「ありがとう……!」
 アリスを両手で包み込んだ。ダイゴロンが妖精珠にしたように。光がぽっと発熱するのを感じる。
 追いかけると決めたものの、緑衣の少年はゼロより七時間も早く出発していた。きっともう町にはいないだろう。
「リンク、どこ行ったんだろうね」
 今回はいつかのように新聞に頼るわけにはいかない。時間差で足跡を追いかけるのではなく、現在のリンクに追いつかなければならない。
『そうですね、門番の方に聞き込みをすることで、ある程度方角は絞り込めると思います』
 タルミナの中心部にあるクロックタウンは、四つの地方に向けて東西南北の門を持っている。剣を持った子どもが通ることはそうそうないだろうし、門番の記憶にも残っているだろう。
「よおし、すぐにでもリンクを追いかけよう!」
 にこやかに宣言したゼロは、ナベかま亭を出てまっすぐ近場の東門に向かう。階段の前を横切った時――
「ぎゃっ」飛び出してきた何かに思いっきりぶつかってしまった。
 ゼロは反動で尻餅をついた。その拍子に、石畳の上に落ちた赤いものに指が触れる。
(あっ)
 それはぶつかった相手である、ひょろりとした男の頭から落ちた帽子だった。
 覆面、お面、帽子――すなわちかぶりものである。
 ゼロは目を見開いた。またあの白昼夢が押し寄せてくる。



 いつもの木の下ではなかった。「彼」の隣にはあの金髪の少女がいて、石造りの廊下を歩いている。
「最近、なんかお城の雰囲気悪いですよね。やっぱり敵国が攻めてくるからでしょうか」
 今いる場所も城の中らしい。そして彼女たちは「敵」と戦っているのだ。
 一番最初に野盗の覆面を通して見た光景は、初対面の挨拶だったに違いない。「一緒にこの国を守りましょうね」と言っていたから、「彼」はどこかの国の一員としてこの少女とともに戦いに身を投じているようだ。
 彼女はちらりと背後を確認し、小声になった。
「……知ってますか、この王国には裏切り者がいるらしいですよ」
「え?」
 物騒な話をしているのに、彼女は爛々と目を輝かせている。
「最初ずっと断ってたくせにいきなり味方になったヤツ――あの大妖精なんか怪しくないですか?」
「まさか」と首を振った。信じたくない、という気持ちが言葉ににじんでいる。
 この国にも大妖精がいるのか。それはゼロの知っている人物なのだろうか。
 ふと、少女は足を止めた。前方を見て肩をすくめる。
「あーあ、来ちゃった」
 廊下の正面からぴんと背筋を伸ばした人影がやってくる。その人は夜のような色の髪をした――



『ゼロさん、大丈夫ですか?』
「あ……うん」
 アリスの言葉に反射的に返事をした。だんだん白昼夢にも慣れて、なんとか取り繕うすべを身に着けてきた。
 座りこんだ彼の周囲には、封筒が散らばっていた。
「しまった、配達に遅れるのだ」
 焦った様子で男が手紙を拾い集めている。白いランニングシャツ、背負った荷物袋――クロックタウンの配達人ポストマンだ。トレードマークの赤い帽子は、先ほどゼロが触ってしまったせいで紛失した状態である。
 青ざめたゼロは「ご、ごめんなさいっ」と慌てて手伝った。
 拾った手紙をまとめて渡すと、ポストマンはこちらをじいっと見つめた。
「キミはこれから町の外に行くのだ?」
 旅人だと判断されたのだろうか。うろたえつつも、うなずいた。
「なら、海に行ってこの手紙を届けるのだ」
 白い封筒を一つ手渡される。ゼロは目を丸くした。
「いや、オレ普通の旅人なんですけど……」
「その帽子があるから大丈夫なのだ。それじゃあ頼んだのだ!」
 ポストマンはゼロの何もない頭を指し示し、バッグに残りの手紙を詰めると、忙しそうに小走りで去っていった。
「……オレ、帽子なんてかぶってないよね?」
『そうですね』と答えるアリスも不思議そうだ。消えてしまった赤い帽子と何か関係あるのだろうか。
 ポストマンには申し訳ないが、リンクを追いかけることを優先して聞き込みを続けると、幸いにも海方面の西門でそれらしき少年の目撃証言があった。かくして目的地は決定した。
 門をくぐり抜けると、すでに潮の気配を感じる。
「また海だね」
 ゼロは否応なくルルのことを思い出してしまう。ミカウを探すという約束は、たとえルルが忘れてしまっても彼にとっては継続している。約束を果たすいい機会をもらったわけだ。
 心持ち急いで平原を渡ると、ほどなくして海についた。が、もう日が傾いてきている。一日目のスタートが遅れるだけでずいぶん時間のロスが大きい。
「ルルさんが浜辺にいたのは二日目だったから、今日はまだゾーラホールにいるのかな」
『そうでしょうね。そちらに向かいますか?』
「うーん……」
 リンクを目撃した人はいないか、とあたりを見回す。すると、砂浜で腕に入れ墨をした男が網をいじっているのを見つけた。
「何してるんですか?」
 男はゆっくりと腰を上げる。
「漁だって言いたいところだけど、この調子じゃあな」
 漁師らしい。彼は眉を曇らせ海を見つめる。
「オレさまはこの海で三十年間魚をとっているんだ。魚をとることだったらゾーラにも負けねえ――と言いたいところなんだけどな。最近は海の水がえらくあったかくなりやがって、イキのいい魚がとれなくなっちまったし……。おまけにへんな霧が出て、船を出すといつのまにか岸に戻されちまうんだ。漁師稼業も大ピンチよ!」
 ゼロがのけぞる勢いで一気にまくしたてる。愚痴を言う先を探していたのかもしれない。
「そ、それは大変ですね」
「おうよ。早く海が元どおりになってくれないと、ゾーラ族もオレさまも日干しになっちまうぜ!」
 ゾーラはダル・ブルーの騒動以外にも問題を抱えていたんだな、という感想を抱いた時、アリスが涼やかな音を鳴らした。ゼロははっとする。
「そうだ。このあたりで緑の服を着た男の子を見ませんでしたか」
「ガキか? いや見てねえなあ……」
 漁師は首をかしげる。
「朝から見かけたやつなんて、沖を海賊の砦の方向に泳いでいくゾーラくらいだぞ」
 ゾーラ? アリスと目線を合わせる。リンクとは関係なさそうだが……。
「それじゃ、この手紙の宛先について知りませんか?」
 と言ってポストマンから預かった封筒を見せた。「アベールって人に届けなくちゃいけないんですけど」
「それ、女海賊の頭領だよ!」
 叫んだ漁師は明らかに興奮していた。ふところから一枚の紙を取り出してゼロに見せつける。写し絵だ。写っているのはルビー色の髪をした女性だ。顔の造作はぼやけてよく分からない。
「へへッいい女だろ? でもな、そいつは泣く子も黙るおっそろし〜女海賊なんだ」
「海賊……ですか」
 ゼロの断片的な知識では、「海で盗賊行為をはたらくもの」というイメージしかない。
 漁師はすっかり写し絵に夢中になって話し続ける。
「昔、オレは沖で魚をとるのに『フックショット』っていう道具を使っていたんだが……こいつらに襲われて持って行かれちまった。なんでも伝説の宝だとか。ま、オレもたまたま海に落ちていたのをくすねただけだし、惜しくはなかったけどな。今ごろは砦に宝として眠っているかもな……。
 いや、それはいいんだ。とにかくオレは海賊に襲われた時、あんまりにもべっぴんさん揃いで驚いちまった。それからというもの、海賊を追っかけてはこっそりお顔を眺めたもんだぜ……。でも海賊の砦は見張りがきびしくて、忍びこもうったってカンタンにはいかないらしいんだ」
 だがアベールとやらはその砦にいるのだろう。ポストマンと名乗れば通してくれるだろうか。
 ゼロが頭の中で情報を整理していると、ぱしん、と突然漁師は両手を合わせた。
「それで、だ。たのむ、砦に行くなら女海賊の写し絵をとってきてくれないか?」
「えーっ!」
 さすがのゼロも声を上げた。
「大枚はたいてやっとこの写し絵を手に入れたんだけど、見たら分かる通りいまいちピンボケでさ。かんじんのお顔がねえ〜よく見えないわけよ!」
「そうじゃなくて、砦で写し絵って……オレ、つかまりませんかね」
 宝を盗みに来たと思われて攻撃されたらたまったものではない。
「ポストマンなんだろ、大丈夫だって! 何もタダで頼んでるわけじゃないぜ、オレの家にあるめずらしい魚を代わりにやるよ」
「魚ですか……」食料はもらってもそこまでありがたくない。
「タツノオトシゴって言うんだ。そこの海のトンガリ岩のあたりでウロウロしているところをとっつかまえたんだけどな。珍しいから、もうじきはじまる町のカーニバルで売ろうと思ってよ。それと交換でどうだ」
 ここまで話を聞いてしまっては、もう逃れるすべはないだろう。ゼロは諦め気味に、
「分かりました……」とうなずいてしまった。
 自分はポストマンではない。だが手紙を持っていただけで本職にも門番にも漁師にも勘違いされた。もしや、これは何かに利用できるのではないか。
「助かった! なら頼んだぜ」と肩を叩かれ、漁師から解放されたゼロは盛大に息を吐いた。
「あーもうどうしよう。リンクも探したいし、手紙は届けなくちゃいけないし」
『そうですね……砦の方に向かったゾーラが、ミカウさんという可能性もあります』
 それは思いつかなかった。ミカウは二日目の時点で行方不明になっていたのだから、十分にあり得る話だ。
 頼まれた以上約束は果たすべきだ。ゼロは海賊の写し絵とミカウの発見、どちらも達成できる可能性がある道を選んだ。
「やっぱり海賊の砦が気になる。調べに行ってみるよ」
『分かりました。気をつけてくださいね』
 ゼロはうなずく。こうなったら、ポストマンと間違われていることを最大限に活用するしかない。
「精一杯愛想よくしよう……」
 ゼロはほおを両手で持ち上げ、にこりと笑った。

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