第四章 同じ空のもとで



「ごめんください! お手紙を届けに来ました」
 青年の出現をまるで予期していなかったリンクは、不意を突かれて固まってしまう。
 剣を構えて一触即発、という状況の真っただ中に堂々と入ってきた。ゼロは彼に一切構わず、海賊だけを見つめている。
「ポストマンが何の用だい」
 女海賊はそう呼びかけた。ポストマン? とリンクの脳裏に疑問が浮かぶ。
 ゼロは緊張しているのかほおを上気させ、封筒を差し出した。
「アベールさんという方にお手紙です」
「アベールはアタイだけど……あ、この手紙は」
 海賊は乱暴に封筒を奪い取り、びりびり破いてその場で読みはじめる。もはや侵入者リンクも、乱入者ゼロのことも視界に入っていない。
 すばやく文面を目で追って、アベールはしきりにうなずいている。
「うん、やっぱりあの雲の奥にお宝があるんだね……」
 その双眸はギラギラ輝いていた。
 ゼロは何を知っているのだろう――リンクは目をすがめて様子を伺う。まだ緊張は抜けない。
「そのタマゴなんですけど、それだけじゃ竜神雲の中には入れませんよね」
 紅茶色の瞳を細めてゼロが意味深なことを言うと、すうっとアベールの顔色が変わった。
「……アンタ、何を知ってるんだい」
 それはリンクも聞きたかった。アリスが黙っているということは、おそらく打ち合わせ済みなのだろう。ゼロは胸を張って言った。
「オレは残りのタマゴを探す手段を知ってます。だから、協力してお宝を山分けしませんか」
「なんだって?」素っ頓狂な声を上げるアベール。リンクもほとんど同感だった。
「海賊と取引するってことかい」
「ええ。でないと龍神雲のお宝は手に入りませんよ!」
 自信満々に煽っているようだが、ゼロの顔にはどこか焦りが見える。アベールが乗るかどうかは賭けだ。
 唇を噛んで思考の淵に沈んだアベールは、やがてひとつうなずいた。
「……アンタの話を聞こうじゃないか、ポストマン」
 ゼロは見るからにほっとした笑みを浮かべた。つられてリンクも力を抜きかけたが、途端に海賊に剣を向けられ、身をかたくする。
「でもこの侵入者は別だよ」
「あ! その子はオレの仲間なんです」
「はあ?」と胡乱な目つきになったリンクに、チャットが体当りする。
「このガキが仲間だって? 本当なのかい」
「そうです! ここまで来てるんですから、実力は十分でしょう。タマゴ集めには彼にも手伝ってもらわないといけないんです」
 ゼロは必死に力説した。アベールは思いっきり不審がっていたが、なんとか納得してくれたようだ。
 やっとぴりぴりした緊張感から逃れたリンクはゼロの隣に移動し、囁いた。
「ここにあるタマゴは、できるだけ早く海洋研究所に持っていく必要がある」
「……分かった。交渉してみる」
 ゼロは、「タマゴは一箇所に集めないと孵化しない。だから砦にある分を全て渡してくれ」とアベールに言った。しかし相手は渋る。そこまで任せきりにして宝を盗まれたらたまらない、ということらしい。
「お前たちが海洋研究所にタマゴを運べるのか? タマゴが孵らなければ宝は手に入らないだろう」
「り、リンク……」
 鋭い指摘を受け、アベールは「チッ……分かったよ」と折れた。タマゴはリンクとゼロがそれぞれ持っていたビンに詰める。
 ひととおり打ち合わせが終わってから、
「あのう、折り入ってお願いがあるんですが」
 ゼロは急に小声になってアベールに頭を下げている。彼が持つ箱を見て『あれって写し絵の箱よね』とチャットが不思議そうにした。
「しょうがないねえ」と言いつつ、アベールはなんだかノリノリでポーズを決めていた。ゼロはああいう趣味があったのかとリンクは思うが、やたらと恥ずかしそうに箱を構えていたので事情があるのかもしれない。
「さ、海岸に戻ろう。アベールさん、あとでよろしくお願いしますね」
 リンクはゼロに背中を押されて早足になる。道を覚えたアリスが先導した。行きはあんなに苦労したのに帰りは一直線だった。女海賊がこちらを見つけても、ゼロが「どうもどうも」と頭を下げるだけで通れてしまう。リンクはなんとも言えない居心地の悪さを覚えた。
 ゼロはにこやかに海賊へ挨拶しながら、
「こんな場所にいるなんて驚いたよ。すごいね、あんな奥まで一人で侵入するなんて」
 リンクは眉間にしわを寄せる。
「何故海に来た」
「キミを追ってきたんだ」
 リンクは不意打ちを受けて黙り込み、ただ足を動かした。
『あ、もしかして風邪が治ったか心配してくれたの?』代わりにチャットが答える。
「それもあるけど。リンクやチャットともっとお話ししたくてさ」
 海賊の砦のど真ん中にいるとは思えないほど、ゼロは落ち着いていた。その言葉に嘘がないことはリンクも分かりきっているが、どうしてもまだ信用しきれない。
「……薬の件は感謝している。代金はいくらだ」
「いいよ別に。オレ、お金にだけは困らないからさ」
 ゼロは苦笑する。聞き捨てならないセリフだ。
『どういう意味?』
『ゼロさんは巨人のサイフというものを持っていまして――』
 砦の出口が見えてきた。リンクはアリスの説明を遮り、口を挟む。どうしても聞いておきたいことがあった。
「残りのタマゴはどうやって手に入れるつもりだ。海賊たちはトンガリ岩の海ヘビにとられたと言っていたが」
「これが役に立つんだよ!」
 取り出したのは、先ほどアベールに向けていたレンズのついた四角い箱だ。確か「写し絵の箱」と呼ばれていた。
「くわしいことは海岸に戻ったら説明するよ」
 上機嫌で歩いていく。もはや完全にゼロが主導権を握っているのが面白くない。
 チャットがこっそり耳打ちした。
『変に理由をつけなくてもいいじゃない。ゼロたちの方からわざわざ来てくれたんだから、素直に協力してもらえば?』
 そういうわけにはいかない。リンクはいつだって一人で旅をしてきた。妖精はともかくとして、人間の連れだなんて今までいなかった。
 いつの間にか歩く速度が落ちていたらしく、ゼロが少し前で待っていた。むっとしたが、顔に出さないように歩調を上げる。
 ゼロはそこにいるのが当たり前のようにほほえんでいて、その隣には青い妖精がいる。なんだか調子が狂って仕方ないリンクだった。



 海賊の砦を抜け出し、砂浜に戻ってきた頃には日が暮れていた。
「もう夜だし、タマゴを届けるついでに海洋研究所に泊まらせてもらおうよ」
 と提案するゼロに、リンクは首を振る。
「断る。行くならお前だけで泊まってこい」
「でもリンク、野宿が多いんじゃないの? ちゃんと休まないとダメだよ。また風邪ひくよ」
 痛いところを突かれて言葉に詰まった。なんとか反論せねば、と声を張り上げる。
「俺はお前を信用したわけじゃない。身元の不確かなやつと一緒に眠れるか」
「オレが怪しいのは確かにそうだよ。でも、アリスや大妖精様のことは信じてほしいな」
 以前チャットにも言われたことだ。リンクは自分がわがままを言っているような気分になり、不承不承うなずいた。
「だが、研究所は宿でもなんでもないんだ。しかも博士は高齢だった。急に押しかけたら負担になるだろう」
「あ、そうだね……今までいろんな人の家に泊まってたけど、そのとおりだ。じゃあオレも野宿する!」
「……勝手にしろ」
 結局面倒くさくなって許可したことを、リンクはすぐに後悔する羽目になる。
 もう時間が遅いこともあり、タマゴは明日研究所に届けることにする。二人は砂浜から離れ、下生えのある場所を選んで荷物を広げた。
「リンクはいつもごはんはどうしてるの?」
『アイツが自分で持ってたのと、町で買ったもので済ませてるわね』
「お前、料理なんてできるのか」
「多分無理だと思う……」
 記憶喪失だからそこは期待していない。リンクが手早く用意した。
 ゼロは保存食を一口食べておいしいと叫び、喜んで片付けまでして、寝転がって「おやすみーまた明日」と声をかける。リンクが返事をする前に眠りについた。ろくな寝具もないのに爆睡である。
 どうやらゼロは本気で旅を楽しんでいるらしい、と気づかざるを得ない。規則正しい寝息を聞いていたらこちらも眠くなってきた。本来なら夜襲を警戒して片方は起きているべきなのだろうが、
(このあたりは魔物もいないし、まあいいだろう……)
 そのまま目を閉じた。
 明くる日は二日目である。海岸で遮るものがないからか曇りでも眩しく、リンクはすっきりと目を覚ました――のだが。
「……こいつを置いていきたい」
 毛布を無理やりはだけても眠り続けるゼロを、リンクは軽くつま先で蹴った。
『す、すみません。ゼロさんはその、少しお寝坊さんなんです』
 アリスは必死にフォローを入れるが、これが少しというレベルだろうか? 初めての野宿でここまで熟睡できるのは才能かもしれない。
 しかし、海賊と協力する案はゼロが思いついたのだ。本人が実行すべきだろう。それなのに太平楽に眠りこけているのは腹が立つ。
 諦めずに何度も肩を揺さぶるとやっと目を覚ました。ゼロはぼんやりまぶたを開けて、
「おはよう……うわ、リンク!?」
 跳ね起きる。途端に顔をしかめて背中をさすった。慣れていないので体が痛くなったのだろう。
「もう行くぞ」
「寝坊してごめん。でもごはんだけは食べさせて!」
「仕方ない」とリンクが渡した朝の分を慌てて口に詰め込み、喉につまらせそうになる。呆れて見守るしかない。
 ゼロが身支度を済ませるまでの時間で、リンクはチャットだけを引き連れてゾーラに変身し、研究所にタマゴを届けた。残りも今日中に集めきる予定だと伝えておく。
 野営地に戻ると、準備を終えたゼロが待っていた。「オレにまかせて」と言い残し、海岸沿いにあった家屋に突撃して行く。その家の周囲には網が干してあった。『漁師の家みたいね』とチャットが教えてくれた。
 しばらくしてゼロが出てくる。
 満足そうに掲げるのは、ビンに閉じ込められた金色の魚だ。普通の魚と違って垂直に立ったまま泳いでおり、長い尾の先がくるんと巻いている。
 魚といえば、ゾーラや漁師と並んでこのあたりの海にはくわしいだろう。リンクは合点がいった。
「それがトンガリ岩までの案内人か」
「そうそう。タツノオトシゴって言うんだって」
 女海賊の写し絵と交換で漁師からもらったらしい。ポストマンのふりをして海賊の砦を訪問した彼は、たまたま「お宝の手がかりであるタマゴをトンガリ岩の海ヘビにとられた」と噂話を耳に入れた。さらに、漁師からは珍しい魚をトンガリ岩のあたりで見つけたという話を聞いていた。うまいこと二つの点が結びついた瞬間、ひらめいたのだ。そのままゼロは最奥のアベールに会いに行き、ピンチに陥っているリンクを見てとっさに交渉を持ちかけたらしい。ああ見えてアベールに話したことは半分くらいハッタリだったのだ。
 複数の視線が刺さるビンの中で、タツノオトシゴがか細い声を出す。
『早くワタシをトンガリ岩の近くまで連れてって……』
『今すぐ連れていきましょう!』
 何故かアリスが必死に主張した。ゼロも「そっそうだよね」と同意する。
 これでトンガリ岩のタマゴを回収できるようになったわけだが、リンクは一つ問題を抱えていた。
 海ヘビというからには海の中にいるはずだ。そして海を自在に泳ぐには、ゾーラの仮面をかぶる必要がある。さすがにそのような大役を人間であるゼロに任せるつもりはなかった。
『仮面のこと、どうする? ゼロたちに言うの?』
 タツノオトシゴになにやら話しかけているゼロを眺め、リンクはすぐに決断した。
「ああ。隠すのも面倒だ」
 あたりを見渡した。砂浜には他に人影はない。彼はゼロの前に出る。
「これから起こることは、どうか口外しないでほしい」
「うん? 分かったよ」
 あっさりうなずくゼロの目の前で、ゾーラの仮面をかぶった。
 肌に感じる空気の温度が一瞬で変化した。一段背が高くなったおかげで、少しだけゼロを見下ろす形になる。相手はぽかんと口を開けていた。
「こういうわけだ」
 喉を通る声までもが完全に別人のものに変化している。
「えっと、リンク……なんだよね? ゾーラが急に、え、どういうこと……?」
『仮面をかぶった瞬間、リンクさんが変身されたように見えましたが』
 うろたえる相棒とは対照的に、アリスはごく冷静だった。リンクはそちらに向けて話す。
「その通りだ。この仮面にはゾーラの魂が宿っていて、かぶると変身できる」
「へ、へえ……。すごい。カッコイイよ、リンク!」
 ゼロは急にテンションを上げた。紅茶色の双眸が期待の光で輝いている。予想していたどんな反応とも違ったため、リンクは困惑した。
 もっと不気味がられて理解されない可能性ばかり考えていた。こうしてあっさり受け入れ、あまつさえ褒められるとは思ってもいなかった。
 内心の動揺を押し隠して胸を広げる。
「トンガリ岩には俺が向かう。ゾーラなら海を渡れるからな。お前はここで海賊に報告でもしておけ」
「うん、分かった。いってらっしゃい」
『お気をつけて』
 タツノオトシゴを託したゼロはぶんぶん手を振った。つられて手を上げそうになり、ヒレの重さに気づいてやめる。
 ろくに返事もしないまま、リンクはざぶざぶ海に入った。
『良かったじゃないの、二人も仲間ができて。これで神殿攻略の効率も上がるわよ』
 チャットは声を弾ませている。
(別に……あいつらは仲間じゃない)
 成り行きで同道しているだけだ、と自分に言い聞かせる。
 リンクはあらゆる悩みを置き去りにするスピードで、海の中を泳いでいく。

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