第四章 同じ空のもとで



 反射的につばを飲み込もうとして、口の中が乾いていることに気づく。
 ゼロは珍しく緊張していた。硬い壁と天井に囲まれたこのグレートベイの神殿は、ウッドフォールの神殿よりもずっと強く邪悪な気配を感じる。おそらく沼地ではリンクがすでに神殿の魔物を退治していたため、軽減されていたのだろう。
 もはやベテランの風格を漂わせるリンクはさっさと身支度を済ませ、ゾーラ姿で真正面の扉を目指す。
「ぼうっとするな。行くぞ」
「ごめん」
 肩ベルトを軽く引っ張り、剣と弓の重量を確認する。今までゼロを何度も勝利に導いてきた装備の重さは、頼もしかった。
 リンクはふと振り返って「もうひとつ言っておくべきことがあった」と告げる。
「俺はゾーラの他にもデクナッツとゴロンの仮面を持っていて、それぞれの種族に変身できる。だから地形に対する適応力は高いが、武器の関係で遠距離の攻撃にあまり対応できない。そこで、お前の弓が役に立つ」
 すっと指差され、自然とゼロの背筋は伸びた。
「分かった。大妖精様から炎の矢と氷の矢をもらってるから、それも使うよ」
 チャットは大げさに嘆いてみせる。
『あーあ、こんなことなら、ロマニーに弓矢を返さなければよかったわね』
「あれって借り物だったんだ」
 人間のリンクが剣しか持っていないのはそういう理由だったのだ。
 アリスはやや心配そうに、
『リンクさんが前に出て戦うということですか?』
『大丈夫よアリス、こいつこう見えてけっこう強いから』
 チャットは慣れた様子だ。軽口を叩くのは、ゼロやアリスの緊張をほぐそうとしている側面もあるに違いない。
「頼んだぞ、戦士たちよ」
 一行はカメに見送られ、最初の扉をくぐった。
 その先は、
「水槽だ……」
 海洋研究所のものの数十倍はある、建物がまるまるひとつ入りそうな大きさだ。もはや水槽というより巨大な部屋の下半分に水が満ちていると表現した方が正しい。神の住まう場所がこんな水浸しでいいのだろうか。
 ゾーラリンクは身を乗り出して水の中を覗き込む。透明度は高いが、神殿の照明が十分ではないので、いくらか暗がりがあった。
「水中に何かいたら厄介だな」
『骨魚のスカルギョとかデスプレコとか、岩を吐くオクタロックあたりがいそうな予感よ』
『危険は避けていきましょう。あのパイプを伝って奥まで歩いていけそうです』
 ゼロはひそかにほっとしていた。自分が果たして泳げるか、いまだに未知数なのだ。一度海に落ちた時、何もできないままルルに助けてもらったことは記憶に新しい。
 アリスの言う通り、水の上には赤や緑のパイプが走っていた。中には海水が詰まっているのだろう。一人なら楽に渡れる幅だった。ひょいと飛び乗ったリンクに続き、ゼロはすべらないように慎重に足を運ぶ。
「……落ち着かない」
 不意に、前を行くリンクがぼそりと呟いた。
「え、なんで? 敵でもいるの」
「違う」
 説明する気はないらしい。しかし、何かを察したチャットは面白がるように声を弾ませた。
『いつもと違ってにぎやかだからでしょ。こいつ、放っておいたらずーっと黙ってるし』
 リンクはチャットを軽くにらんだ。
 にぎやかで落ち着かないのなら黙っているべきか、でもそうしたらどんどん緊張が増していきそうだ。ゼロはつかの間迷った。
『それにしても、このパイプって何のためにあるのかしら』
 チャットの疑問は次の部屋ですぐに判明する。
『水を動力にしてこの渦をつくっているのでしょうね』
 今度の部屋は円形で、たっぷり入った水が渦を巻いていた。
 先ほどの部屋から壁を突き抜けて、こちら側にもパイプが走っている。パイプの先は水槽の中に向かい、さらに別の部屋につながっているようだ。
 これほど水流が強いと、ゼロが落ちたらひとたまりもないだろう。ゾーラの遊泳能力ならばなんとか抜けられるかもしれないが――
『みなさん、敵です!』
 慌てて戦闘態勢を取るゼロよりも先に、リンクが走り出していた。
『バイオデクババよ』とチャットが言った魔物は、部屋の端にある足場を伝ってこちらに向かってくる。すぐにリンクの蹴りで花弁を散らすが、まだ後続が何匹かいた。
 ゼロが弓を構えてそちらに気を取られていると、後ろでアリスの悲鳴が上がった。水の中から生えた死人のような色の手に、青い光が飲み込まれる。デキシーハンドだ。アリスを水に引き込もうとしている! 
「アリスっ」「俺が行く!」
 迷わずリンクが水に飛び込んだ。ゼロはつられて追いかけそうになったが、殺気を感じ、すぐそばに来ていたバイオデクババを準備していた矢で撃ち抜く。
 魔物の気配はなくなった。ごうんごうんと水槽が回る音だけがしている。おそるおそる水面を覗き込んでみるが、青い光は見えない。
 ゼロは真っ青になって、すがるように白い妖精を見た。
「ど、どうしようチャット。二人がいなくなっちゃった」
『落ち着きなさい。あの二人はアンタよりよっぽどしっかりしてるわよ』
「それは……確かに」
 ここでゼロが飛び込むより、リンクに任せたほうが安心だ。そう信じることでなんとか心を落ち着ける。
『まさか、さっそくはぐれるなんてね。ここで待つべきかしら』
「でも二人とも全然上がってこないよ。水槽から別の部屋につながる通路があって、そっちに流されちゃったんじゃないかな。オレたちもあたりを探索して、神殿のことを把握した方がいいと思う」
『うん、それもそうね。一番奥を目指すべきよね。なら、真正面の部屋に入れそうよ』
 ゼロは目一杯あたりを警戒しながら濡れた床を歩く。
 次の部屋ははしごをのぼった先にあった。扉を開けると、これまでとは打って変わって水とは無縁の空間だった。ただし、湿度は高い。がらんと開けていて、いるのはチュチュという名のゼリー状の魔物だけだ。反応が鈍く、極端に近寄るまで攻撃してこないのだが、『こういう敵って全滅させると扉が開いたりするのよね』とチャットが言ったので剣で倒してしまった。特に仕掛けも作動しなかったので、若干罪悪感がつのる。
 部屋の安全を確認し、ゼロはずっと気になっていたことをチャットに尋ねた。
「リンクって……その、普通の人じゃないよね。子どもだけど全然大人っぽいし、オレより落ち着いてるし。チャットは何か知ってる?」
 妖精の返事はどこか苦い。
『さあね、何も。ボンバーズみたいな普通の子どもとは違うってことは確かだけど……アイツ、なにも喋ってくれないのよ』
 その声色から伝わってくるのは、チャットの抱えた寂しさだった。
 だが、それを指摘すれば彼女は怒るに違いない。ゼロは曖昧にうなずく。
「タルミナにやってきたのは旅人だからなんだよね。それで、故郷に帰るために月を止めようとしてる。立派……だよね」
『まあねえ。あいつが故郷で何してたかは知らないけど、もう二つも神殿を攻略してるし、実力は本物だわ。目的はともかく、きっとスタルキッドのことだって止めてくれる』
 チャットはリンクと出会ってからまだ日が浅いようだが、ずいぶん信頼しているらしい。普段の態度はその裏返しなのだろう。
「チャットはスタルキッドと知り合いなんだっけ」
『そうよ。弟が今もスタルキッドのところにいてね。早く助けてあげないと』
「そっか……」
 チャットは暗くなりかけたムードを吹き飛ばすようにからりと笑った。
『まあ、孤独を気取ってるアイツにもゼロみたいな仲間ができてよかったわ。アイツ一人だと無限に無茶しちゃうし、相棒としては困ってたのよ』
「オレ、リンクの役に立てるかなあ」
『一人いるだけでずいぶん違うって。ほら、弾除けとか』
「そういう役割なの!?」
 二人はにぎやかに神殿を進んでいく。



 岸に上がったゾーラリンクは、そっと手のひらを開いた。青い光が弱々しく明滅しながら浮かび上がる。
『助けていただきありがとうございます、リンクさん』
「大したことじゃない。無事だったか」
『ええ。ゼロさんたちとは……はぐれてしまったようですね』
 リンクは周囲を確認した。回る水槽に飛び込み、首尾よくデキシーハンドをヒレで切り裂きアリスを助け出したはいいものの、水流が強すぎて足場に上がることができなかった。そのまま、彼は赤いパイプのある通路に沿って泳ぎ、やっと水の勢いが弱まってきたところで床に上がったのだ。どこまで来たのか分からないが、部屋は相変わらず水だらけだった。
「奥を目指していればそのうち合流できるだろ」
『そうですね……』
 と答えつつもアリスは心配を隠しきれていない。相棒があのとぼけっぷりなら無理もない、とリンクは思う。
 二人は無駄口をひとつもきかず、神殿を攻略していった。本物のボムチュウ(バクダン屋が売る爆薬のボムチュウもあるのだ)を蹴り飛ばし、ヒレの攻撃でバイオデクババを真っ二つにして、先に進む。
 まわりに敵がいないことを気配で悟ったらしいアリスが、遠慮がちに切り出した。
『その、失礼ですが……あなたはチャットさんの他にも、妖精に知り合いがいるのですか』
 突然古傷をえぐられて、リンクはぐっと唇を噛む。
「昔は、いた。今はいない」
 それに知り合いというレベルではなかった――それはアリスも承知しているだろう。
『妖精は一度つながった縁を忘れません。あなたとその方は、きっと今でもつながっているのだと思います』
 リンクは答えず、ひたひたというゾーラ特有の足音をなるべく殺しつつ歩いた。
「二手に分かれたままでは、数の有利がなくなる。さっさと合流したい」
『そうですね。ゼロさんは水と相性が悪いですし……記憶喪失なので、泳げるかどうか分からないようなのです』
 不意にリンクは妖精を見上げた。
「その記憶喪失とやらは、本当なのか」
 疑うような目線にも、アリスは気分を害したそぶりはない。
『はい。名前も出身地も、何もかも。海の大妖精様は、記憶の手がかりはゼロさんの外部にあるとおっしゃっていました』
「外部?」
『縁のある場所を訪れると昔のことを思い出す……ということでは。しかし、今のところそれらしい出来事はありません。クロックタウンの時計塔だけは見覚えがあるようでしたが……知り合いの方もまだ見つかっていません』
「それで、アリスも記憶がないと」
『あ、はい……』
 急に歯切れが悪くなる。それについては彼女自身、消化しきれていない思いがあるようだ。
『ゼロさんはいつだって前向きなんです。それで、私の不安もずいぶんと薄れました』
 誰に対しても丁寧なアリスだが、ゼロについて語る時は一段と声があたたかい。他人への不干渉・無関心を貫くリンクにも、それは伝わった。
 しかし、どうしても「時の繰り返しにも記憶を保っていられる記憶喪失の男」というワードが引っかかるのだ。リンクは時の歌を吹いた本人で、チャットはその時そばにいた。ではゼロは、アリスは? タルミナ全土の人々が記憶を取りこぼす中で、どうしてこのペアは記憶を保っていられるのだろう。
 一方で、ルミナについてはなんとなく納得できた。なぜなら彼女は、リンクのとある知り合いに似ていたから。
 赤色のパイプをたどって探索を続け、たどり着いた部屋はだだっ広くて真四角だった。リンクが扉をくぐると同時に、背後で鉄格子が降りる。
『リンクさん……天井を!』
 アリスの警告に視線を上げると、目の前に大きな塊が降ってきた。



 目の前に大きな塊が降ってきた。
 それはつぶれた半透明の球体で、ゼロの全身を飲み込もうと天井から襲ってきたのだ。
「なにこれ!?」『ほら、避けないとつかまるわよっ』
 立っていては回避が間に合わず、ゼロは床に転がった。落ちてきた衝撃で球体がはじけ飛ぶ。破片が部屋中に散らばった。
 無数の破片の間に緑の生き物が潜んでいる。その組み合わせに、チャットは己の知識を呼び起こす。
『ゲッコーとマッドゼリーよ、今がチャンス! ゲッコー本体を狙いなさい』
 大きなカエルの魔物はケタケタと笑いながらこちらにマッドゼリーの破片を投げつけてくる。このまま反撃できなかったら、またマッドゼリーが集結して天井から襲撃されるだろう。
(さあ、あんたはどうするの、ゼロ)
 チャットはここで彼の実力をはかるつもりだった。もちろん危なくなったら助言するが、この程度の魔物にやられていたらリンクの手伝いなんて夢のまた夢だ。
 おろおろしていたのはほんの少しの間だけで、ゼロはすぐに弓を構える。
「これでも喰らえ!」
 目一杯に弦を引き絞り、発射したのは氷の矢だ。青い矢じりが触れたそばから、水分を含んだマッドゼリーが凍りつき、触れもしないのに粉々に砕ける。ゼロは弓を構えたまま前進し、慎重にゲッコーを追い詰める。
 魔物のそばの破片はあらかた凍らせたので、もうほとんど残っていない。ゲッコーは最後のマッドゼリーを明後日の方向に投げる。それが壁にあたって反射し、思わぬスピードでゼロの横合いから襲ってきた。
『あ、危ないっ』
 ゼロの体はなすすべもなくゼリーに飲み込まれた――ように見えたが。
 ゼリーの表面から金色の切っ先が飛び出る。半月形の光が走り、ゼリーは真っ二つになった。
 窮地を脱したゼロは、瞳を赤く燃やす。そのままゲッコーに駆け寄った。
 一閃。軌跡が宙に残るような速さで剣が繰り出され、ゲッコーの腹を裂く。ゼロは撒き散らされた体液をバックステップで避けると、刀身を鞘にしまった。
『やるじゃない!』
 振り向いたゼロは無表情だった。チャットが思わずぞっとした瞬間、「うぎゃっ」と悲鳴を上げる。ぐずぐずに溶けたマッドゼリーの上で靴が滑ったのだ。
(こいつ、案外とんでもないやつだったりして……?)
 ともかく無傷で切り抜けられた。まずは問題ない戦果といえよう。
 二人はその後、目についた緑色のパイプをひたすらたどっていった。幸いにも水に潜る必要もなく、大した魔物も出てこなかった。マッドゼリーとの戦いを経て、氷の矢で水の上に足場を作る案を思いついたことも大きい。邪魔な滝を凍らせたり回り続ける水車を止めたりと、山の大妖精からもらったという氷の矢は大活躍だった。
 もういい加減最深部だろうと検討をつけて扉を開けば、そこに見覚えのある緑衣の少年が待っていた。
「リンク、アリス!」
 歓声を上げて駆け寄るゼロだが、すぐに表情が曇る。
「怪我したの……!?」
 リンクはしゃがみこみ、足に包帯を巻いているところだったのだ。
『ごめんなさい、ゼロさん。リンクさんは私をかばったんです』
「違う。単なる俺の判断ミスだ。ゾーラのまま戦うべきだった」
 聞けば、赤いパイプをたどって進んだ彼らの前に、ワートという魔物が立ちふさがったらしい。巨大なクラゲが宙にぷかぷか浮いているような魔物で、体に弾力のある泡をたくさんまとわりつかせていた。飛んでくる泡をリンクがなんとか全部処理すると、今度は本体が体当りしてきた。近接戦闘しかできないリンクにとっては非常に厄介な相手で、戦ううちに逃げ遅れたアリスをかばって足を痛めたのだという。ゾーラに変身していれば、剣は使えないが確実に走って避けられただろうとリンクは言った。
 アリスは『私のせいです』と言ったが、彼女を責める資格は誰にもない。もしチャットがいてもその助言は出せなかったに違いない。
 幸いにも足の怪我は致命的ではなかった。ゼロはその場にいなかったことを悔やむように、こぶしを握り――はっとして荷物を探った。
「そうだ、これ使ってよ。海に来る前に町の雑貨屋さんで仕入れてきたんだ」
 ゼロが差し出したのは赤い薬だった。リンクは素直に受け取り、
「助かる。……代金は払わないからな」
「いいって別に」
 ゼロはくすりと笑った。リンクが冗談らしきことを言うのは珍しい、とチャットは驚いていた。
 薬を飲み干すと、リンクはすぐに立ち上がった。
『あら、もういいの?』
「薬のおかげでだいぶ良くなった。それに、この先はゾーラの仮面で行く」
 とはいえ、仮面の力で変身しても怪我は引き継がれる。変身といってもリンクの体が変化しているらしい。だが、体力の上限値は大幅に変わってくる。
「おそらくこの扉の向こうには、海に起こった異変の原因となる魔物がいるはずだ」
 ゼロはごくりと喉を動かした。チャットだって何度経験しても緊張する瞬間である。
「準備はいいな」
「もちろん!」
 ゼロが道中で見つけた鍵によって開いた扉の先には、予想に反して大きな穴があった。中は暗くてよく見えない。試しに穴に向かってフックショットを伸ばしてみたところ、遠くで水音がした。また部屋の底に水がたまっているパターンだろう。
「仕方ない、飛び降りるぞ」
「う、うん……」
 見るからに足をすくませているゼロに、リンクは肩をすくめる。
「俺につかまっていろ。岸があれば連れて行ってやる」
 ゾーラ姿の彼はゼロよりも身長が高い。こうなると、完全にリンクの方が年上に見えた。
(でも、なーんか二人とも弟みたいとしか思えないのよね……男の子だからかしら?)
 彼女の内心をよそに、二人は意を決して穴の中に飛び込んだ。すぐに妖精たちも後を追う。予想通り、ばしゃんと二人分の水柱が上がる。狭いのは通り抜けてきた穴の部分だけで、下の部屋はもっと広かった。
『こっちよ!』と足場を見つけたチャットが誘導する。ゼロは泳ぐリンクの背中に必死にしがみついていた。
 その時、妖精たちは膨れ上がる邪気を感知した。水中で何かがぎろりと光る。
『急いで下さい!』
 何かがリンクたちに近づいてくる。波が押し寄せ、水面が激しく揺れた。水の動きに翻弄されて、リンクが泳ぎの体勢を保つのが難しくなる。
『あっ!』ついにゼロの手が外れた。急に背中が軽くなったリンクは反射的にジャンプで足場に上がり、
「ゼロは……!?」
 と水面に目を凝らす。
 すぐさまリンクが再び水に入ろうとした時、水面の向こうに巨大な背びれが見えた。
『ここです、リンクさん!』
 アリスが示した場所に、仮面をつけた巨大魚がまっすぐに向かっていく。



 頭が真っ白になる寸前、リンクは左手を突き出した。
(時間かせぎにはなるか……!)
 アリスがいるあたりを、薄青い障壁が包む。それはリンクが故郷から持ち出した魔法の一つ、ネールの愛という防御魔法だった。しかし長くは持たないだろう。今にも波間のゼロは巨大魚に食べられてしまう。
「何かないのか、ミカウ!」
 リンクは叫んでいた。もはや、内なる魂に頼るしかないと直感したのだ。
 ――シールドがある。それで敵を蹴散らすんだ! 
 仮面から答えを得たリンクは迷わず水に飛び込み、ミカウが作り出した力の流れに身を任せた。電流の渦のようなものが全身を包むのが分かる。そのまま、彼はゼロを喰らわんとする巨大魚に体当りした。
 巨大魚がしびれてうごけなくなっているうちに、ゼロを足場の上に運ぶ。彼はげほげほと水を吐いた。
「お前、足が――」
「ごめん、油断した」
 鋭い牙にひっかけたのだろう。ズボンがみるみる赤く染まっていく。薬は先ほどリンクに使ってしまったのに。
「でも、弓は使えるから」
 ゼロは青ざめた顔で言った。
 ネールの愛の防壁を抜け、巨大魚の体当たりが足場をどしんと揺らす。立っていられないほどに勢いが激しく、このままではまた水中に放り出されそうだ。
 リンクは決断を迫られていた。
「チャット、魔物の目印を頼む。アリスはゼロを見ていてくれ」
『了解よ』『承知しました』
「オレは、どうすればいい?」
 リンクは弓を持つゼロを見つめた。「俺が敵の動きを止める。その隙に矢を放つんだ」
「分かった!」
 チャットは水面すれすれを飛んで巨大魚の位置をマークしていた。リンクは再び水に飛び込む。
 刃のように研ぎ澄まされたゾーラのヒレにシールドの電撃をまとわせ、巨大魚に叩き込んだ。痛みを感じたのか、巨大魚は大口を開ける。
「まだだ」
 リンクは魔物の口の中に自ら飛び込んだ。鋭い歯に触れる前に、最大火力でシールドを張り、素早く離脱する。
 今だ、と心の中で叫んだ。それが水上にも通じたのだろう、青い軌跡を引いた矢が魔物の額に突き刺さる。氷の魔力が相手を蝕んだ。
 巨大魚は躍り上がって足場の方に向かう。まさかまだ力が残っていたのか、とリンクは血の気が引いた。
 慌てて足場の上に駆けつけると、そこにはぴちぴち跳ねる小さな魚と、亡骸だけが残っていた。ゼロは目をぱちくりさせて魚を見つめている。
『巨大仮面魚グヨーグ……』
 アリスがつぶやく。元は小さな魚だったのが、仮面の力によって巨大魚になっていたということだろう。
 亡骸を拾ってゼロのもとに駆けつけた。彼は座り込んだまま笑いかける。
「リンク、やっぱりめちゃくちゃ強いね。オレもちょっとだけ役に立ったみたいでよかった。とにかくこれで神様が復活……」
 その上半身がぐらりと倒れる。とっさに支えようとすると、視界が白い光に阻まれた。
『こんな時に……!』
 チャットが苦々しい声を上げる。リンクは天井をにらんだ。二人の意識は別の世界へと運ばれていく。神殿に囚われた巨人と対面するために。



 例の薄ぼんやりとした世界だ。海の中に飛び込んだのかと錯覚するほど濃密な潮の香りが満ちている。
 山よりも大きな巨人はその全身を晒していた。タルミナの守護神は相変わらずあまり緊張感のない顔立ちで、チャットは「こいつに任せて大丈夫かしら」と不安になったらしい。
『ねえ、聞いて。アンタたちの力を貸してほしいの! このまま放っておけばこの世界は大変なことになるのよ! きっと、それを止められるのはアナタたちしかいないのよ。トレイルはそれが言いたかったんだわ』
 巨人はそれに答えず、「と・も・を・た・す・け・て」と不思議なお願いをしてきた。
『分かっているわよ。後一人助ければいいんでしょ。そのかわり約束してよ。アタシたちに協力して……』
 巨人は大きな瞳でこちらを見つめている。
「ひとつ、頼みがある」
 ここで初めてリンクが声をかけた。
「この後、神殿ではなく大妖精の泉に戻してくれないか。連れが怪我をしているんだ」
 チャットが驚いたようにリンクを振り返る。
 巨人は「おお」というような声とともに両手を天に差し伸べた。まるで、何かを祝福するように。

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