第五章 亡国への鎮魂歌



 上下左右が全て青空に包まれたかのような不思議な空間。その真ん中で、男と女が向かい合っている。
 男はたった今戦いを終えたとばかりに汚れた緑の服を着ていた。対照的に女は可憐な桃色のドレスをまとっているが、その両肩には実用性を感じさせる金の肩当てをつけている。
 女はシルクのグローブに包まれた手をそっと差し出す。
「リンク、オカリナを私に……」
 男は少し戸惑っていたが、逆らわずに自分の持ち物を渡した。
「今の私なら賢者として、この時のオカリナであなたを元の時代に帰してあげられます」
 青いオカリナをそっとなでて、ドレスの女は目を伏せる。
「ハイラルに平和が戻る時……それが、私たちの別れの時なのですね」
 彼は何も答えなかった。表情も薄い。寂寥感をにじませるドレスの女とは正反対である。
「さあ帰りなさいリンク。失われた時を取り戻すために! あなたがいるべきところへ、あなたがあるべき姿で……!」
 時の波が押し寄せてくる。何度も何度も飲まれてきたそれは、彼をはるかな過去へと戻すものだった。
「そして、忘れてしまった大切な記憶と時間を、どうかその手に掴んでください……!」
 女の声と姿が遠ざかっていく。
 波に飲まれるその瞬間、彼は不思議な光景を見た。
 石造りの町並が炎に包まれている。彼のよく知る城下町ではない。見覚えのない建物ばかりで、今崩れ落ちたのは大きな時計がついた塔だ。
 四方を炎に囲まれ、ぼろぼろの戦装束をまとった男がしゃがみこんでいた。薄汚れた銀の髪が汗や血で顔に張り付いている。彼は炎を映して赤く染まる瞳でこちらを見上げ、ひび割れた唇を動かす。
 リンク。ハイラルを救ってくれて、ありがとう――



「……で、この阿呆はいつになったら起きるんだ」
 リンクは胡乱な目つきでベッドに横たわる布団のかたまりを見下ろした。
 ナベかま亭二階にあるナイフの間で太平楽に寝ているのはそう、ゼロである。リンクの剣幕におののいたアリスが、ぷるぷると震えて光の粉を散らした。
『お、おそらく十三時以降です……』
『十三時!? いくらなんでも寝過ぎじゃないの』
 チャットが呆れ返った。『人間って、子どもになるほどよく寝るものじゃなかった?』
 ゼロよりはるかに年下のはずのリンクが、こうして午前六時には起きて活動しているというのに。
 リンクは盛大にため息をついた。この落胆の音を一番聞かせたい相手は寝ているのだが。
「以降というのはどういう意味だ」
『ゼロさんは、時の繰り返しの二回目までは十二時の鐘ぴったりに目を覚ましていました。しかし、前回は何故か一時間遅れて……今回もさらに遅れてしまうかもしれません』
『少なくとも、十三時より一分たりとも早くなる可能性はないのね……』
 リンクは彼と一緒に行動すると決めたことを、若干後悔しかけていた。だが、今更撤回するわけにもいかず、もちろんぼうっと待っているつもりもない。また風邪を引いて倒れないよう適度に休みつつ、クロックタウンで情報収集をして装備を整えるくらいはしておきたい。
 アリスだけ念のため部屋に残して外に出ようと決めた時、どたどた廊下を走る音が近づいてきて、いきなりナイフの間の扉が開いた。
「リンク!」
『うわ、びっくりした』
 訪問者はルミナだった。彼女はほとんど寝間着のような格好で、いつものようにポニーテールすら結んでおらず、よほど急いで来たようだ。といっても彼女が滞在しているのは隣の部屋なのだが。
 ルミナはつかつかとリンクに迫った。
「聞いてよ、わたし昨日はロマニー牧場まで行ったんだよ! カーフェイを探したくて……でもカーフェイはいなかったし、手がかりも見つけられなかった……。それどころか、アンジュとそのお母さんとクリミアで喧嘩になっちゃったの。わたし、ただアンジュたちを元気づけたかっただけなのに!」
「そうか」とリンクは辛抱強く聞いてやる。が、先にチャットがしびれを切らした。
『何よ、愚痴を言いに来たわけ? それともアタシたちに何かしてほしいの』
 ルミナはびくっと肩を跳ね上げた。
「あ、ごめん……いつも頼ってばっかりで」
「別に気にしていない。お前も俺も、できることは限られている」
 だから助力を請うのは当たり前だろう、とリンクは答える。何故かルミナはびっくりしたように目を丸くした。
「珍しいね。リンクって『自分一人でなんでもできる』っていうタイプだと思ってた」
「おい」
 軽くにらみつけると、ルミナはいつもの笑顔を取り戻した。
「そうだ、手伝ってほしいことがあるの。リンクの力で、一座の仲間が困ってることを解決してあげられないかな? ダンスの振付けなんてわたし分かんないし」
「ダンス?」
 リンクの脳裏に引っかかるものがあった。正確な記憶をたどるのはチャットの方が早かった。
『あのお面があるじゃない、ダンサーのお面。それを使って踊りを教えてあげたら? カマロもきっと喜ぶわよ』
「しかし……」
「え、リンク踊れるの!? お願い、ローザ姉妹に教えてあげて!」
 都合のいいところだけ聞き取られてしまう。ルミナは満面の笑みを浮かべ、リンクを隣の部屋に誘導した。
「今なら二人とも、こっちの大部屋にいるから。ジュド、マリラ、踊りの師匠を連れてきたよ!」
(余計なことを……)と思いつつ、リンクは本気では抵抗しないのだった。
「この子どもが」「踊りの師匠なの……?」
 大部屋でストレッチをしていたローザ姉妹は、当然いぶかしげな様子だ。
 リンクはできるだけそれっぽく見えるよう、重々しくうなずいた。そして後ろにいたルミナたちを振り返る。
「悪いが出ていってくれないか」
「えー、リンクの踊り見たいのに!」『アイツも恥ずかしいのよ、好きにさせましょ』
 言いたい放題である。チャットに促され、ルミナはしぶしぶ廊下に出ていった。扉が閉まる。
 ローザ姉妹が注目する前で、カマロのお面をかぶった。リンクはゆっくり息を吸い込み、覚悟を決めた。
(……どうにでもなれ!)
 音楽が頭の中に響いてくる。独特の旋律に合わせて腰を落とした。
 ――やがて、その動きがぴたりと止まった。汗があごから滴り落ちた時、踊り終えた彼を拍手が包んだ。
 ローザ姉妹は頬を紅潮させながら近寄ってくる。踊りに必死で相手の反応などろくに確認していなかったが、どうやら成功したらしい。
「あの! ステップをご伝授ありがとうございます。あなたはウチらのマスターです!」
「……これでいいのか」
「はいっ!」
 ステップなど一度見ただけで真似できるものなのだろうか。それができるからこそプロを名乗れるのかもしれない。
 ルミナがそうっと扉から入ってきた。タイミングが良すぎるので、中の会話をこっそり聞いていたのか。ローザ姉妹は彼女にも笑顔を向けた。
「ルミナもありがとう。こんなに小さいのに素晴らしい腕を持つマスターがいるなんて……ウチらも負けてられないね!」
「二人が元気だしてくれて良かったよー。カーニバルではよろしくねっ」
「もちろんよ」
 名残惜しそうにするローザ姉妹と別れ、リンクたちはナイフの間に戻ってきた。
「ありがとう! やっぱりリンクじゃないとできないこと、いっぱいあるんだね……」
「別にそうではないだろう」
 偶然リンクがカマロのお面を持っていただけだ。他人に教えられるほど踊りが得意な者などめったにいないだろう。
 と、思ったままを伝えたつもりだったが、ルミナは目を丸くする。
「前は『何もしなくていい』って言ってたのに……なんかリンク変わったよね」
 そう言われると、なんだか落ち着かなくなってくる。
「俺の邪魔にさえならないなら、ルミナが何をしていても構うつもりはない」
「ふうん。ていうか、いつもは朝から町を出ていくけど、今回はまだナベかま亭にいるんだね」
 チャットがやれやれと息を吐き、軽くゼロの布団をつついた。
『こいつがなかなか目を覚まさなくてね』
 ルミナは初めてゼロの存在に気づいたようだ。すやすや眠る彼を覗き込む。
「あっこの人……ゼロって名前なんだっけ。一緒に旅してるの?」
『いろいろあって、前回から一緒に行動するようになったわ』
「前は友だちじゃないって言ってたのに……そっか、だからかあ。なるほどね」
 ルミナはリンクをじいっと観察してしきりにうなずいている。一体何なのだ。ルミナは「いやーこっちの話だから気にしないで」とへらへら笑って手を振った。
 リンクはついでに彼女に尋ねてみた。
「そういえば、イカーナ地方のことを何か知ってるか」
「え、イカーナ……!? もしかして谷に行くの」
 ルミナは珍しく焦ったような表情を浮かべる。そして何故かリンクの耳元に口を寄せ、小声になった。
「わたしも行ったことはないよ。でも最近、危ない場所になったって聞いたんだ。なんでも亡霊が出るとか」
「亡霊か」
 浮かばれない魂が相手ならば、いやしの歌が切り札となりえるだろう。
「それと呪いがどうこうっていうのも聞いた。住んでた人たちもみんな逃げちゃったんだって。ほ、本当に行くの?」
「行かないという選択肢はない」
 ルミナは感嘆していた。呆れ半分かもしれないが。
「それなら薬を持っていくといいよ、呪いによく効くんだって」
『ちょうどいいわ、雑貨屋で買いましょう』
「そうだな」
 なにせ、これから半日程度も空き時間があるのだ。準備を万端にする余裕はたっぷりある。
 ゼロはまわりでどれだけ騒いでも起きる気配はなかった。一体どんな夢を見ているんだか――リンクはそっと手をのばすと、白銀の前髪からわずかに見えた額を、軽く指で弾いた。



 かん、と乾いた音がした。それが模擬試合の終わる合図だった。
 木剣を握る少年の金髪から汗が垂れる。「彼」の手元にも同じく木剣があり、鈍い衝撃が手首に残っていた。
 試合相手の少年が自慢げに胸を張った。目にも鮮やかな緑の服は、動きやすさを重視しているようだ。
「どうだ? 俺もだいぶ強くなっただろ」
「それはもちろん。でも、まだオレを超えられてないからなあ」
 苦笑しながら言うと、少年はつんと顔をそらし、「その余裕そうな面にいつか一撃当ててやる」と物騒な冗談を言う。
「そういえば……お前の名前は何ていうんだ」
 土の上に試合場を円形に囲った線を足で消しながら、少年は唐突に質問した。
「え? オレは――だよ」名乗ったその言葉だけ聞き取れない。ゼロは、こんなことが前にもあったなと思った。
 その答えがお気に召さなかったのか、少年は不満げに口を尖らせる。
「それは名前じゃないだろう。俺が『子ども』だって名乗るのと同じだ」
「でも……名前なんて必要なかったからなあ」
「なら俺がつける」
 その時、鐘が鳴った。ぼーんぼーんと十二回、時刻を告げている。
 見上げると、時計塔が――クロックタウンにあるものとそっくりな時計塔がある。
 少年は鐘の余韻を聞き終えて、ぱちりとまぶたを開けた。
「ゼロ……でどうだ?」
「ゼロ?」
「名前がないからといって、何も持っていないわけじゃないだろ。少なくとも俺がいるからな。お前はこの名前と一緒に、これからはじまるんだ」
 少年の得意げな声が胸に染み入る。
「……いい名前だね。気に入ったかも」
「だろ?」
 少年はにっと口の端を釣り上げ、輝くように笑った。
 見覚えのある顔が、見たこともないような表情を浮かべていた。ゼロは驚く。
(……リンク?)



 鈍い鐘の音が耳の奥に残っていた。何回鳴ったかは分からない。
 うっすらまぶたを開けると、見るからに不機嫌そうな少年がこちらを凝視していた。
「お、おはようリンク」
「その挨拶が通じるのは午前中だけだろう」
 冷たく言い放ち、リンクはベッドサイドに腰掛けた。木枠がきしむ。
 ゼロはゆっくり体を起こした。まだ頭がぼんやりしている。妖精たちが寄り添った。
『ゼロさん、大丈夫ですか』『あれだけ寝たのにまだ眠いわけ?』
「う……ううん。もう大丈夫!」
 ぱしんと頬を叩き、髪を結ぶ。それで気合が入った。
 リンクはすでに準備万端だった。
「すぐにイカーナ地方に向かうぞ。嫌かもしれないが、ついてきてもらう」
「もちろん。いつまでも逃げていられないよ」
 向かうは東の方角だ。門番はすんなり通してくれた。兄弟にも見えない妖精連れの男二人組ということで、盛んに好奇のまなざしを向けられたが。
 門を抜けた先にある東の大地は乾いて荒れていた。かつてあった道の名残だろうか、地面は踏み固められ、一直線に石の柱が立っている。
「そういえば、エポナはどうしてるの?」
 リンクは当然のように徒歩だった。思い返せば、海にも愛馬を連れてきている様子はなかった。
「ロマニー牧場だ。馬で移動した先で誰かに預けられる保証もないからな」
「あ、それなら……」リンクの分の荷物も持つと申し出たが、断られた。
「余計な気は回さなくていい。それより、イカーナ地方には亡霊が出るそうだ」
 真っ昼間に突然そんなことを言われるので、ゼロはとっさに二の句が継げない。
「しかも、どうやら土地自体が呪われているらしい。人里があったが皆逃げてしまったようだ」
 いわくつきにも程がある。自分に縁のあるらしき土地だけに、ゼロの心境は複雑だ。
「それ、例のいやしの歌っていうのでなんとかならないのかな」
 リンクがメロディによってミカウの魂を仮面にした、という話を思い出しながら問う。
「どうだろうな。ただの亡霊なら癒やせるだろうが、呪いを解くのはまた別の作用だろう」
 石の柱が途切れ、細い谷間に入っていく。付近の魔物はというと本物のボムチュウがたまにいる程度で、亡霊などはまだ本格化していない。
 だが、ゼロは見てしまった。クロックタウン町兵団の鎧を着た男が地面に座り込み、こちらへ手を振っている。その体はなんだか透けているように見えた。
「ぼ、亡霊だ……!」
 白昼堂々なんということだ。ゼロはすくみあがって動けなくなる。リンクは怪訝そうに、
「どこだ?」
『ほら、まことのメガネよ』
「ああ」
 リンクは紫の縁のついたレンズを取り出し、ゼロの示す方向を覗きこむ。
 一行が立ち止まって注目していることに気づいたのだろう。亡霊(?)はぴたりと手を止めた。
「えっ? まさか、そんな……」などとつぶやいている。
「こ、こんにちは〜」
 ゼロは勇気を出して声をかけた。
「驚いたな。話しかけてくれたのはキミたちが初めてだ」
 近くで見ると案外普通の人に見えた。目深にかぶった兜で顔の造作がよく分からないためか、中肉中背という特徴のなさのせいか、あまり印象に残らない姿だ。
「そうなんですか?」
「ああ……もう何年も手を振って助けを求めているのに、みんな無視して通っていく。オイラ、シロウって言うんだけど、石コロみたいにカゲがうすいから……。もう慣れているけどね」
『確かに影が薄いわね、アタシも見過ごすところだったわ』
 チャットの感想は身も蓋もない。どうも、透けて見えるのは亡霊だからではなく影が薄いかららしい。そんなことがあり得るのだろうか。
「何年も助けをって……クロックタウンの人ですよね?」
「うん。町兵団にいたけど、きっともう除隊扱いにされてるよ。昔ボンバーズにいたときもそうだったなあ。かくれんぼしててもすぐ忘れられてさ、夜になっても見つけてもらえなくて……」
 このまま際限なく暗い話が続きそうだ。深い水底に引きずりこまれるような感覚がして、ゼロのなけなしの笑顔が引きつる。
 いい加減苛立った様子のリンクは低い声で、
「俺たちを呼び止めた理由を話せ」
 シロウはぴしりと背筋を伸ばした。
「あの……お願い。石コロでも元気になる薬、オイラにくれない?」
 ゼロはすぐに自分の荷物を探る。
「お前、まさか」
 リンクにジト目で見られるが、
「いいよ。これはオレの分だから」
 と無理を通した。リンクが二人分用意して、ゼロに渡してくれた赤い薬だ。
 これでまたグレートベイの神殿のように怪我をすれば、散々怒られるに決まっている。今回こそはなんとしてでもかすり傷程度で済ませなければ――と、妙なタイミングで覚悟が決まってしまった。
 赤い薬を受け取って、シロウは首をかしげた。
「あ、これ……かな?」
 薬を飲むのもゆっくり少しずつだ。リンクがますますイライラを募らせるのが分かる。
 やっとのことで飲み干したシロウは、空きビンをゼロに戻した。
「元気になったかも。ども……」
 そこで初めて顔を上げた。ゼロとまともに視線が合って、シロウはまぶしそうに兜の奥の目を細めた。
「あ……。コレ、お礼……。ここにいるうちに、いつの間にか持ってたんだ」
 ゼロに向かって差し出されたそれは、石のような質感を持つお面だった。「あっ」と思わず身を引きかけたところに、リンクが割り込む。
「俺が受け取っておく」「……ごめん」
 正直安堵した。今は不用意にあの白昼夢を見たくない。
『それをかぶると、路傍の石コロのように誰にも気にされなくなるようですね』
 とアリスがお面を評価した。さては、シロウの影が薄かったのもこのお面のせいではないだろうか。
「さあ、ちょっとは目立つ練習でも……しよ」
 シロウは立ち上がり、持っていた槍を振り上げた。リンクがまことのメガネを外してうなずいたので、ひとまずシロウの目的は達成されたようだった。
 リンクは石コロのお面を持った手首をひらひら揺らした。
「今後もお面を手に入れることがあるだろうが、俺が預かることにする。覚悟が決まったら言えよ」
「分かったよ」
 ゼロはその気遣いに感謝した。
 シロウと別れ、谷の間を進んでいくと、道はどんどん細くなる。本当にこの先にイカーナ王国があるのかと疑問を抱きはじめた頃、ついに高い崖が目の前に立ちふさがった。
「行き止まりか」
『そんな。困るわよそんなの!』
 回り道はできるだろうか。道の途中で一度分岐があったが、看板には「墓地」とあったのでひとまず無視してきたのだ。そんな亡霊だらけの場所に自ら足を向ける必要はない。
 リンクも悩んでいる様子だ。ゼロは、彼が結論を出すまで待とうと思った――その時。
「お前さんら、こんなところで何してる?」
 崖の上から乾いた声がした。
 薄汚れたローブで顔を隠した男が崖に腰掛けていた。ローブの裾からやせ細った裸足が覗いている。すわ亡霊か、と緊張が走った。
「私はポウマスター。イカーナの地の、まあ門番というところだな」
 その男は穏やかに名乗る。亡霊かどうかは判別できないが、会話は通じそうだ。
「この先のイカーナの丘は、この世に恨みや未練を残して死んでいった魂のさまよえる地。今も魂を救う者を求めて亡霊たちがさまよっているのさ」
 イカーナは本当にそのような場所になってしまっているらしい。変わり果てた王国で、果たしてゼロは自身の記憶を呼び覚ますことができるのだろうか。
 ポウマスターはフードの暗がりで赤く光る目をリンクに向けた。
「ザンネンだが、お前さんのような者が来るところではないな……」
「なんだと」
 少なくともリンクにはいやしの歌がある。さまよえる魂を救うことだってできるはずだ。
「どうして」とつぶやいたゼロに、赤い視線がずれる。ポウマスターは甲高い声で笑った。
「だが、お前さんならできる。お前さん、この先でさまよう魂を救ってやっておくれ」
「オレが……?」
 それは、ゼロとイカーナ王国のつながりをはっきりと示す一言だった。
「どうする」
 リンクのまなざしに心配の色が混ざっている。それでも彼はゼロ本人に決断を委ねた。
 視線を振り切るように首を振り、ゼロは笑った。
「オレ、行ってみるよ。大丈夫、ちょっと先に行って待ってるだけだから」
『ゼロさん……』
 青い光が不安げな声を出した。ゼロはどきりとした。
「アリスも、リンクと一緒にいてくれないかな」
 こう言えばアリスは絶対に「嫌だ」とは言わない。それを分かっていて、ゼロは頼みこんだ。
 ここから先は、一人で向き合いたかった。どうしても他人に踏みこまれたくない。ここで決着をつけて、きちんと心の整理をしてからリンクの手伝いをしたかった。
「分かった。どうにかしてすぐに追いかける」
「うん」
 それだけのやりとりでリンクとの別れは済んだ。
 ポウマスターが枯れ枝のような手をさっと上げると、ゼロの体はふわりと浮き上がった。そのまま崖上に運ばれる。
「まっすぐ行きなされ。案内人がお前さんを待っているよ」
 ゼロは振り返ることなく、目の前の道を進んだ。
 案内人はすぐに見つかった。足のあたりがぼんやり消えている、正真正銘の亡霊だ。しかしゼロの予想とはずいぶん違う見た目をしていた。紫のぴったりしたドレスを着ている女性で、生前の身分の高さを感じさせた。
 紅を塗った唇が、三日月のように弧を描く。
「お待ちしておりました、ゼロ様」

inserted by FC2 system