第五章 亡国への鎮魂歌



「水車のある家では、水車を回して何かをしようとした形跡があるが、川が干上がって水車が回らなくなっている」
「イカーナの丘の干上がった川が蘇るには、わき水のホラ穴に行ってみることだ」
「わき水のホラ穴に入ろうとする者は、墓に隠された歌を知らなければ、災いに見舞われるであろう」
「丘の上の井戸とイカーナ城の中庭の井戸は一つなり」
「イカーナ城で手に入れたモノは、ロックビルの神殿への道を開く」
 リンクがイカーナ村を徘徊し、あちこちでガロを叩きのめしたおかげで、この地の神殿に至るための必要な情報は集まった。
 しかし、相手はこちらが口を挟む間もなく自分の持つ情報を開示し、直後に自爆してしまう。リンクが本当にガロに突きつけたい質問は違った。
 ――一体ゼロはどこにいるんだ? 
 このあたりはずいぶん荒らし回った自覚があるが、肝心のゼロがどこにもいないのだ。研究家の家に身を寄せているとも思えない。未だ探索していない場所は、イカーナ城と神殿くらいである。
「……城を目指すか」
 リンクがそう決めたことにはもう一つ理由がある。どうも、あちらの方角から寒気がすると妖精たちが言っていた。城が亡霊の巣窟になっている可能性は高い。
「決して開かない」という正門から脇にそれて、抜け道を探る。しばらくして、古びた井戸を見つけた。
『ガロの話によると、この井戸を抜ければお城に行けるみたいね』
 いくら門戸を閉ざした城でも、生者が住んでいた頃は飲料水が必要だったはず。その水源が外とつながっているのは道理だ。リンクは井戸、城壁、王城……と順番に目線を移動させ、途中で止めた。城から少し離れた場所に丘がある。そこにだけ、何故か青々とした葉の茂る木が生えていた。他が茶色く枯れ果てているのと対照的だ。
(あそこに何かあるのか?)
『この井戸、入れるのかしら』
 チャットの声に我に返り、井戸に石を放り投げた。しばらくして乾いた音が戻ってくる。
「水はないようだが」
 リンクの視線は井戸の横にある立て看板へと移る。
「枯れ井戸亡霊出没につき立ち入り禁止!」
 素材の新しさからして、ごく最近つくられたもののようだ。しかも、看板の文字はどこか幼い。不審に思って観察していたら、根本に何かが落ちていることに気づいた。包帯の巻かれたくまのぬいぐるみだ。
『それは水車の家に住まわれている方の持ち物では?』
「何故分かる」
『村の入口で会った男性は、あの家には物好きな「親子」がいると言っていました』
 アリスの推理の鋭さに舌を巻く思いだ。
 リンクはぬいぐるみの土埃をぬぐった。返してやりたい気持ちはあるが、ギブドの包囲網を無理やり突破してまでそうする義理はない。それに、あの家は何か原因があって亡者に取り囲まれているのではないか。ただイカーナにいる生者というだけであの状態になるなら、今頃リンクはギブドの大歓迎にあっているはずだ。
 そのため彼はあまり乗り気ではなかったのだが、アリスの意見は違った。
『リンクさん、亡霊研究家に会われてみませんか。あの水車はきっと、亡霊を撃退する装置の動力なのだと思います。水を流せば装置が作動し、ギブドを退けられるはずです』
『わき水のホラ穴ね! ほら、そこをどうにかしたら、水が流れるんじゃないの』
 井戸を突き進むにも城を攻略するにも、亡霊への対抗策はなるべく多いほうがいい。嵐の歌一つに頼っていては、それが効かなかった場合大変なことになる。
 アリスのおかげで、八方塞がり気味だった行く手に光が差してきた。全く、ゼロはいつもこんなに洞察力のある相棒に助けてもらっていたのだ。つくづくアリスの才能は稀有である。リンクはそれなりに妖精の知り合いがいるが、これだけ突出して能力の高い者には初めて出会った。
 一行はさっそく高台にあるその洞窟に向かった。
「わき水のどうくつ亡霊出没につき立ち入り禁止!」
 こちらにも看板がある。やはり井戸のものと同じ文字だ。
 亡霊が出ようが出まいが関係なくリンクは突入する心づもりだ。だが、入り口に差しかかった時、妖精たちの動きがぴたりと止まった。
『こ、この気配……アタシたちはちょっと厳しいかも』
「なら、二人はここで待っていてくれ」
『お気をつけて……』
 一人になったリンクは慎重に洞窟内を進んだ。チャットが珍しく弱音を吐いたことが気になる。彼女たち妖精は目に見えないあらゆる気配に敏感な分、邪気には弱いのだ。
 洞窟内部は一本道で、天然の水路跡がずっと続いていた。もはや瘴気と言うべきよどんだ空気がたまっており、腕で口元を覆う。
 洞窟の終点は丸いすりばち状になっていて、底にほんの少しだけ水が溜まっていた。これだけ高濃度の瘴気の中では、ウッドフォールの沼のように毒にまみれていそうだ。
 リンクが足を止めると、湧き水を枯らした張本人がすぐに姿を現した。
「死者のみの生きる地、イカーナ王国になんの用だ」
 墓地で出会ったフラットと似た姿の亡霊だった。まとったローブの色と、何よりもあふれる邪悪な気配によって別人と知れる。音楽家の兄シャープだった。
「ここはお前のような生に満ちた者の来るところではない。それとも死者の仲間に入りたいとでもいうのか。それもよかろう……。ならば、この偉大な作曲家シャープさまの奏でる暗黒のメロディーで、安らかに眠り死者の仲間入りをするがいい」
 どんな理由付けをしてでもリンクを抹殺したかったに違いない。シャープが手に持った棒をひらりと振った瞬間、どこからともなく重厚な不協和音が響き渡る。
 途端に息が苦しくなった。
(なんだ……!?)
 口を開けても息が吸えない。空気そのものがなくなってしまったかのような感覚は、リンクをいつになく焦らせた。
 とっさにフラットの墓石に書かれていたことを思い出す――嵐の歌を、その胸に。
 手が震えて取り落としそうになりながらも、オカリナを口元へ持っていく。肺にわずかに残った息を、渾身の力を込めて笛に吹き込んだ。
「うっ」
 力が足りず、メロディを一度吹いただけで膝をついてしまう。だが、嵐の歌は確かに効力を発揮した。その証拠に、冷たい雨がリンクの頬を濡らす。
「な、なんだこの曲は? ……まさか」
 シャープは雨を浴びて呆然としていた。棒が落ちると同時に、暗黒のメロディが止まる。突然呼吸が楽になってリンクはむせた。
 なんとか息を安定させる頃になると、瘴気は嵐によって吹き飛ばされていた。シャープの瞳もすっかり正常な光を取り戻している。
「フラットよ、わが愛しき弟よ。死してなお王家の復活を夢見た愚かな兄を許してくれ……」
 弟が先に召されたことを悟ったのだろう、空中を抱きしめるようにする。
 シャープはやっとリンクに向き直った。
「死者を恐れぬ者よ。弟の歌により、私にかけられた呪いは解けた。全てはお前のおかげだ。
 我ら死した者はこの地に蘇ってはならぬはず。それを狂わせたのは、全ては仮面をつけた者の策略である」
「スタルキッドか……!」
 リンクが何度も三日間を繰り返してタルミナの平和を取り戻す一方で、スタルキッドはムジュラの仮面があるとはいえ、ほとんど同時期に四方を荒らして大打撃を与えている。それだけ、平和というものは簡単に壊せるものなのだ。
「お前が本当に死者を恐れぬなら、この地の神殿に赴き、我らを苦しめる呪いの根源を断ってほしい。そのためには……神殿に入る方法を唯一知っている我が王に会うのだ。王は、滅びたイカーナの城で呪いを解いてくれる者が来るのを待っておられるはず……」
 死者を弄ぶ行為は、スタルキッドの悪事の中でも最悪なものだった。まったく、イカーナに何か恨みでもあるのかと疑いたくなる。
「ああ、任せろ」
 小鬼へのひそやかな怒りを胸に燃やしながら答えると、ずっとこわばっていたシャープの表情がほどけた。
「……頼んだぞ」
 亡霊は空気に溶けて消えた。それと同時に、すりばちの底から一気に水が湧き出してきた。水路から溢れそうな勢いである。リンクは慌てて脇に避けた。
 水はあっという間に洞窟の外に到達したらしい。しばらくして、何やら楽しげな音楽が聞こえてきた。
『リンクさん!』『うまいことやったのね。ほら、水車が!』
 ひと仕事終えた彼は、弱い太陽の下で歓喜する妖精たちに迎えられた。
『水車はオルゴールの動力だったようです』
 どういう理屈か分からないが、湧き水が水車を回すと、家の屋根に取り付いた巨大なラッパから脳天気な音楽が流れ出す。チャットによると、ギブドたちは音楽を聞いた途端苦悶の声を上げて土中に還っていったらしい。特殊なメロディの持つ力はリンクもよく知っているが、イカーナ地方においてはひときわ効果が目立っていた。
 リンクはさっそく研究家の自宅の扉を叩こうとしたが、
『待って、まだ警戒してるかも。ちょっと前まで魔物に取り囲まれてたのよ?』
 それもそうだとうなずき、しばらく物陰に隠れて様子をうかがう。すると遠慮がちに開いた扉から女の子が出てきた。ピンク色のワンピースが茶色の大地に浮き上がって見える。彼女は魔物がいないことを確認してから、ぱたぱた走って例の枯れ井戸に向かったようだ。
 リンクは物陰から出ていき、玄関に鍵がかかっていないのをいいことに、するりと侵入してしまった。
『何勝手に入ってるのよ!?』
「……つい、癖が出た」
『癖なんですか?』品行方正なアリスには理解できなかったようだ。リンクにしては珍しく、勢いに任せた行動だった。
 まあ、ぬいぐるみは直接渡せずとも、家に置くか親に託せばいい。しかし目に入る限りの部屋には誰もいなかった。留守かと訝った時、家全体がぎしりときしんだ。奥に階下へと伸びる階段があり、低いうめき声が聞こえてくる。
「地下……か?」
 肌をぴりぴり刺激するのは、呪いをかけられていたシャープとごく近い気配である。家の中に、亡霊がいる? 
 リンクはいつでも剣を抜ける準備をして階段を降りた。
 地階は一階よりも狭かった。どうも壁の向こうにあるオルゴールの機械が床面積のほとんどを占めているらしい。この部屋は研究室だろうか。壁にはギブドやガロのスケッチが飾られていた。
 そして正面には、見るからに嫌なオーラを放つクロゼットがあった。時たま小刻みに震え、どんどんと中から叩くような音がしている。
『うわあ、絶対中に何かいるわよ』
 剣の柄に手をかけつつ、リンクがじわりじわりと近づいた時――ばたん! とクロゼットが内側から開いた。
「なっ」
 赤く血走った目に、中途半端に開いたまま唾液をこぼす口。何よりも全身が古びた包帯に覆われている。ギブドだと即座に判断したリンクは、反射的に斬りつけそうになる。
『待ってください!』
 アリスが前に出てリンクを制止した。彼は左手で剣を握ったまま固まる。
『このミイラ、ちょっと様子が変ね。きっと、まだ人間としての心が癒やされぬまま残っているようね』
 確かに、こんなに至近距離にいても、ギブドは妖精にもリンクにも手を出そうとしない。それどころか頭を抱えて苦しそうにうめいている。
 ならば、やることは一つしかない。心を落ち着け、オカリナを構えた。
『この曲は……?』
 いやしの歌を聞いたアリスが、静かにつぶやいた。
 そういえば彼女がこの歌を聞くのは初めてだったはずだ。つまりゼロも聞いたことがないのだ。魂を抜き取ってお面にする歌があるという説明はしているが、実際この光景を目の当たりにしたら一体どんな反応をするのだろうか。
 短いメロディが奏でられ、ミイラはますます激しく苦しむ。固唾をのんで見守っていると、からん、と乾いた音とともにお面がはがれ落ちた。呪いから解放されたのは、白衣を着たごく普通の男だった。
 いつの間に玄関が開いたのだろう。軽い足音が階段を駆け下りてくる。
 子どもが井戸から帰ってきたのだ。彼女は闖入者であるリンクたちに驚く間もなく、元ミイラ男と対面する。
「……お父さん?」
 男はにこりと笑み崩れた。
「パメラ!」「お父さーん!」
 二人はひしと抱き合う。
「私は今まで何をしていたんだ……」
 父親は呆然としていた。
「なにも、してないよ。悪い夢を見て少しうなされていただけ」「……パメラ」
 そうっと壁際に移動して気配を消していたリンクは、足元のお面を拾い上げる。ギブドの顔面をそのまま剥ぎ取ったようなリアルな造形である。
『お邪魔みたいね、アタシたち』『行きましょうか』
 リンクはその場にぬいぐるみを置き、足音を忍ばせて一階に上がった。
 玄関を出ようとした時、パメラが小走りで追いついてきた。
「あの、お父さんのこと……ありがとう」
「大したことじゃない」
 研究家と直接話をすることはできなかったが、ギブドのお面が手に入っただけで十分な成果だった。
 パメラはうつむいた。
「でも、キミが助けてくれたことはお父さんにはナイショなの。だって、お父さんはちょっとフシギなことが起こると、すぐに研究研究ってムチャなことばかりするから……。もう少し落ち着いたら、こんな危険な場所で研究するのをやめて、町に帰るように説得してみようと思っているの」
 そういうことならこれ以上関わらないほうが良さそうだ。
「だから……お父さんが、キミを見たらきっと、また研究したいって言うに決まってるわ……。ゴメンね」
 パメラは年齢の割に苦労を重ね、不本意にもしっかりしてしまったようだ。そういう相手に対し、リンクもさすがに辛辣にはなれない。
「別に気にしてない。もう出ていく」
「ぬいぐるみ、ありがとう。気をつけてね」
 そこでパメラははじめて少しだけ笑顔を見せた。控えめに手を振る。
 家を出ると、オルゴールはまだ脳天気に鳴り続けていた。リンクは高台にある城を睨む。
『いよいよお城に挑むのね。気合い入れないと!』
 まず向かうべきは、例の枯れ井戸だ。

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