第五章 亡国への鎮魂歌



「疲れた」
 と思わずリンクが口に出した。珍しいことである。それもそのはず、井戸の下には何故か大量のギブドがいたのだ。どうも、パメラの父親はここの調査をしていて呪いにかかったらしい。
 魔物だらけだからといって、切った張ったの大騒ぎ――になることはなかった。先ほど入手したギブドのお面をかぶり、仲間のふりをして切り抜けたからだ。
 何故か井戸の下は異様に複雑な構造をおり、「王宮からの脱出通路に、侵入者撃退の仕掛けを設けているのかもしれない」とアリスが推測していた。その上、ところどころで立ちふさがるギブドに、何故か水やらムシやらを要求され続けたため、さすがのリンクも参ってしまった。
『一度休みますか?』
 井戸の出口は城壁の内側にあった。分厚い雲を抜けた弱い日差しが降り注ぐ。あたりに敵の気配はない。
「いや……。もしもここにゼロがいるなら、さっさと合流するだけだ」
 ロックビルの神殿に入る方法はイカーナ王しか知らないという。そして、今まで訪れた場所にゼロの痕跡はなかった。ということは、彼はこの城にいる可能性が一番高いのだ。
 不意に視線を感じて、リンクは鋭くあたりを見回した。
「何者だ」
 ガロではない。そして向けられるのは殺気でもない。だが、紛れもなく亡霊の気配だ。
「よくお分かりになりましたね」
 目の前に徐々に姿を現したのは、紫のドレスを着た女性の幽霊だった。リンクは目をすがめる。
「何の用だ」
「あなたに、我が王を救っていただきたいのです」
 女は丁重に頭を下げた。
「イカーナ王のことか。今、どういう状態なんだ」
「呪いにかかっておられます。それも、この国で一番強力なものです」
 リンクは形の良い眉を逆立てる。
「お前はゼロにも同じことを頼んだ。そうだろう?」
 アリスが息を呑んだ。女性は黙ってほほえむ。
 確信があったわけではない。この近辺で会話の成立しそうな亡霊がいたら、何が何でも尋ねるつもりだったのだ。
「あなたとゼロ様ではできることが違います」
 しれっと答える女は、王族か貴族のような顔立ちと服装にもかかわらず、なかなか肝が据わっているようだ。
「……玉座の間に案内しろ」
 ひとまずリンクは話を受けることにした。
 ここからなら内部に侵入できる、ここを曲がると大広間がある――など、女性は的確に城の中を誘導していく。罠にかけようとしているわけでもないらしい。大広間にはギブドやリーデッドがいたが、リンクはギブドのお面を外していたのに襲われなかった。生前は舞踏会にでも出ていたのか、くるくる踊っている個体までいた。
「イカーナの地であった戦いのことは聞いておられますか」
 女性はろくにギブドたちに目を向けず、前を見据えながら問うた。
「なんとなくは」
「では、ゼロ様のことは?」
 これは探り合いだ。リンクはぐっと腹に力を入れた。
「お前が言いたいのは、あいつの正体とかそういう話だろう。そんなもの俺の知ったことではない。それに、あいつには考える頭も自由に使える口もあるんだ。本人から聞く」
『リンクさん……』
 アリスが静かに息を吐き、女はくすりと笑って口をつぐんだ。
 イカーナの呪いを解き、神殿を攻略するにあたって、下手にゼロの情報を入れることはその妨げになる可能性があった。今は何よりも達成すべき目的があるのだから、迷う要素は排したい。
 表情を消した女は扉の前で立ち止まる。
「この先が玉座の間です」
 イカーナ城は窓が少ないためほとんど日が差さず、おまけに明かりもないので昼間なのに薄暗かった。その扉のある一角はいっそう濃い闇に包まれている。
「ご武運を」
 案内するだけしておいて、女性はするりと闇に溶けた。名前すら聞かなかったが、リンクは彼女のことを知っていた。おそらく名前も同じはずだ。
 無言で息を吸い、気合を入れて扉を開く。
 広い。それこそ舞踏会でも開けそうなほどで、天井も高い。壁の上部に並んだ高窓からは本来さんさんと日差しが降り注ぐのだろうが、今は分厚いカーテンが下りている。
 扉から数十歩分離れたところで床が一段上がっており、そこに無骨な玉座が置かれている。
「暗黒の地イカーナに忌まわしき光を持ちこむ不届き者よ……」
 重厚な声とともに玉座からガイコツが立ち上がる。頭に錆びた王冠を抱いている。立ち居振る舞いのせいか、ボロ同然の服すらどこか気品がある。
「あれがイカーナ王か」
『音楽家やさっきの幽霊と違って、一応肉体を持ってるわね。スタル・キータに近いんじゃないかしら』
 リンクは前方をにらむと、十分に警戒したまま尋ねた。
「イカーナ王。ここに男が来なかったか」
 王は指一つ動かさず、言葉を続ける。
「お前が導く光の前に、我がシモベはなすすべもなく倒れた。だがしかし、シモベの住む暗黒はしょせんは仮初めのモノ。真の暗黒がどのようなものか、己の目で確かめるがいい!」
「……話を聞く気はないらしいな」
『アンタ、苛立ってない?』
 チャットの指摘通り、リンクは焦りとも怒りともつかない感情を抱えていた。これも全部、ゼロがここにいなかったことが悪いのだ。もしや先にロックビルの神殿に向かったのか? 「先に行って待っている」と言っていたのに、約束を破って単独行動を貫くなんて、勝手がすぎる。
 本来ならば、リンクの旅にゼロが付き合っているという構図なのだ。これではゼロに振り回されているようではないか! 
 リンクはやり場のない怒りを、目の前のガイコツにぶつけることにした。
 王の命令を受け、直属の部下と思しき兵士二人が立ちふさがった。細い方と太い方、どちらもそれぞれ剣と盾を持っており、スタルベビーより数段厄介そうだ。
 リンクの目が光る。
 兵士はほぼ同時にジャンプしてきた。一気に距離を詰めるつもりらしい。リンクは逆に前進し、相手の下をくぐり抜けた。無防備にさらされた背中を斬りつける。二対一の状況を覆すため、先に一人を集中的に狙うつもりだった。
 相手もそれは読んでいるのだろう、リンクの剣をかわし、波状攻撃を仕掛けてくる。
(……鬱陶しい!)
 片足を軸にしてフェザーソードを構え、自身のまわりに一回転させた。
 回転斬りという技で、集団に囲まれた際の有効打だ。すばやく回れば回るほど威力も上がり相手の意表もつける。
 剣は見事に胴を裂き、二人分のガイコツががらがらと崩れ落ちた。そのまま骨が残っているのが少し気になる。
「シモベがやられたか……ならば私が直々に相手をしよう」
 イカーナ王が玉座から立ち上がった。スタル・キータほどではないが、かなり上背があって戦いづらい相手だ。
(そうだ、スタル・キータ!)
 リンクはとっさに隊長のボウシを取り出してかぶった。
「おお、キータ! キータ隊長ではないか!」
 案の定、勘違いしたイカーナ王が身を乗り出す。だが、その効果は長く続かなかった。
「――にしては、ち、ちいせー!」
 呪いで正気を失っている割に理性的なことを言い放つ。
「悪かったな……」そろそろリンクの堪忍袋の緒も限界だ。
「私としたことがもう少しで騙されるところであった……。キータ隊長のふりをするなど、卑怯な行いを見過ごすわけにはいかぬ!」
『卑怯って言われてるわよ』
「うるさい!」
 叫びながら盾を突き出し、イカーナ王の一撃を防いだ。びりびりと腕がしびれた。アイアンナックよりはマシな衝撃だが、あれよりもスピードがある分厳しい戦いになりそうだった。
 王自ら剣を取るということは、その敗北がすなわち国の死に結びつく。もう後がない、戦略的には最も避けたい事態だろう――本来ならば。そう、リンクは確かに相手を追い詰めているはずだった。
 だが、この王は今まで戦ってきたどんな敵よりも手強かった。リンクは何合も打ち合ううちに、徐々に頭の芯が冷えてきた。
(まずい……押されているな)
 いくら剣の道において卓越した技術を持つリンクといえど、体格差や単純な力の差は埋められない。また、年齢という壁は土壇場で生死を分けかねない。ゾーラに変身すれば体格差は埋められるが、そんな悠長なことをしている隙はなさそうだ。
 今も、逃げそこねた前髪がイカーナ王に斬られて数本散った。リンクはバック宙で距離をとって、フェザーソードを握り直す。
(正攻法では押し負ける。相手の弱点さえ分かれば……)
 妖精たちも必死に観察しているようだが、ついぞそれを見つけられていない。絶対に、何かあるはずなのだ。
 再び王が剣を振りかぶる。また切り合いが続くと体力を奪われる。リンクは決断を迫られていた。
 その時だった。薄暗い玉座の間に、ひとすじの赤い閃光が走った。
「あれは――」
 リンクは確かに見た。矢じりに炎をまとった一条の矢が、高窓を覆っていたカーテンを燃やしていく光景を。
『ゼロさん……!?』アリスが叫ぶ。
 カーテンが一枚なくなっただけで、差し込む太陽の光も大して強くないのに、広間は驚くほど明るくなった。降り注ぐ熱がリンクに力をもたらす。
「何っ」
 イカーナ王は明らかにうろたえていた。
 矢の飛んできた方向を探りたい気持ちは山々だが、今は目の前の敵を打倒するのが先だ。リンクは動きの鈍ったイカーナ王に飛びかかる。真正面からのジャンプ斬りが見事に決まり、頭蓋骨にヒビが入った。
 衝撃で首から頭が外れる。リンクはそれを光の下に向かって蹴り飛ばした。骨の軽さも手伝って狙いは成功し、陽光が苦悶の声ごとイカーナ王を浄化した。
『やったわね! 今回ばかりは焦ったわよ』
 チャットの称賛を受け、リンクはこっそり冷や汗を拭った。
「さっきの矢は――」
 矢の方向を探しに行っていたアリスが戻ってきた。何も言わず弱々しく光っている。どうやらゼロはいなかったらしい。
 リンクがやや脱力していると、地に落ちていた兵士のガイコツがいきなり浮かび上がり、元の形に組み上がっていく。まだ戦う気か、とうんざりしながらフェザーソードを構え直した。
 が、違った。何やらガイコツ同士でもみあっている。
「ジャマだどいてろ! またやられるだろ!」
「ジャ、ジャマ〜? やられたのはお前がヘボだからだ。オレのせいにするな!」
「何っ、もういっぺん言ってみろ!」
 細い方が「ヘボヘボ」と連発する。太い方は「もう言うなー!」と叫び返した。もし生者なら涙目になっていただろう。
『もう、そんなんだから負けるのよねえ』
 というチャットの発言に、リンクは仏頂面でうなずいた。
 すると。その争いを制止するように、玉座の肘置きを乾いた音が叩いた。
「よさぬか! このバカモノ。お前たちはまだ分からんのか!」
 威厳に満ちた声がホールを走り抜けた。兵士の亡霊たちは縮みあがる。
 そこにいたのは、いつの間にか頭蓋骨を取り戻したイカーナ王だった。ただし、先ほどとは全く雰囲気が違う。太陽の光によって呪いから解き放たれたようだ。
「王国が滅びて我らがこんな姿になってしまったのは、このような小さい争いの積み重ねが原因だったではないか」
 兵士たちは気まずそうに顔を見合わせる。ガイコツなのに妙に表情が豊かだ。
 イカーナ王は改めてリンクに視線を向けた。その眼窩に宿る光からは、もう敵意を感じない。リンクは剣をしまった。
「仲間を信じ、それに応え、失敗を許す――そんな気持ちが我々の心から消えたのは、何者かによってあのロックビルの扉が開け放たれた時からだ。
 闇に光をもたらす者よ……私はイカーナ王国の王、イゴース・ド・イカーナ。お前のもたらした光によって、我々にかけられた呪縛はとけた。礼を言わせてほしい」
 王は深々と礼をした。兵士もつられて頭を下げる。
「この地に真の光を取り戻すには、暗黒の風が吹き出すロックビルの扉を封印しなければならぬのだ。だが、ロックビルはわが国の数百の兵をして落とせなかった難攻不落の場所。一人で挑むにはムボウすぎる。
 ……そこでだ。お前に神殿の闇にまどわされぬ心を持たぬ兵をさずけよう」
 イカーナ王は低い声でそのメロディを朗々と歌い上げた。リンクは無言でオカリナに指をかけ、頭の中で復習する。
 イカーナ王だけが知っているというロックビルの神殿に入る方法とは、この曲のことだ。
「心を持たぬ兵、すなわち自らのぬけがらを生み出すことのできる力だ。ぬけがらのエレジーという」
『エレジーとは、哀歌のことですね』とアリスが解説したとおり、どこか切ない印象を残す歌だった。
 リンクは一歩身を引き、かっちりした仕草で礼をした。普段は傲岸不遜な態度をとる彼も、いざとなればこのくらいのことはできる。
「助力感謝する。一つ、聞きたいことがあるんだ。俺の前に、ここに男が来なかったか」
 先ほどと同じことを問う。イカーナ王は首をかしげた。
「男……? 申し訳ないが、呪いにかかっていた時のことは正直覚えておらぬ」
「そうか……」
 つい先ほどまでゼロがいたことは確かなのだ。こうなれば、本人を捕まえて訊くしかない。
 イカーナ王は高窓に向かって手を伸ばした。
「わが王国に、真の光を……」
 ガイコツは光に溶けるように消えていく。兵士たちもいなくなっていた。
 玉座の間を辞する。例の紫の女が現れるかと思ったが、出迎えはなかった。
『で、どうするの?』
「ロックビルの神殿に向かうしかないだろ」
 ゼロは、おそらくリンクがやってくる前から玉座の間にいたのだろう。そこにじっと身を潜めていて、リンクがピンチになると力を貸した。それではどうして姿を見せないのだろう。まさか、リンクから逃げているのか? 
 アリスは遠慮がちに切り出した。
『ゼロさんのことなのですが……大妖精の泉に立ち寄った可能性はありませんか』
 まだ谷の大妖精の泉は未調査だった。リンクは首を振る。
「立ち寄りはしても、おそらく長居はしないだろう。ロックビルで合流を目指す方が早い」
 そう答えるとアリスはそれ以上何も言わなかった。
 自分でも何故ここまで焦っているのか分からなかった。とにかく先を急ぐべきだと直感が告げていた。ロックビルの神殿はぬけがらのエレジーなしでは攻略できないというならば、どのみち足止めを食らっているところに追いつけるはずだ。
 疲労をものともせず、リンクは大股でイカーナ城を歩きはじめる。傍らで妖精二人が話していた。
『アリスはやっぱりゼロのことが心配よね』
『はい……。あの方は、目覚めてから一人になったことがほとんどないはずです。それに――』
『それに?』
『きっと今、一人きりで苦しんでいるのだと思います』
 アリスはぽつりとつぶやく。
 ゼロはイカーナ王との戦いに手を貸しておきながら、リンクと合流しなかった。その理由には精神的なものも含まれるのだろう。
「やつの精神状態など知るか。引きずってでも連れて行く」
『アンタってほんと自分勝手ねえ』
 リンクはたとえ力の差があろうと、ゼロを引きずることができると思い込みたかった。牧場や海ではあれだけ熱心に追いかけてきたのだから、何があってもゼロは最終的にリンクについていくことを選ぶはず。そう信じたかった。
 イカーナ古城から井戸の下、イカーナ村、そしてロックビル、という短くない道のりを、リンクはほとんど一息に駆け抜けた。
 ロックビルは名前の通り、四角い石が塔のように高く積層していた。かつては石切り場だったのか、妙にまっすぐな断面を見せている。
 塔の上の方から高い金属音が降ってくる。誰かが戦っているようだった。妖精たちと目線を合わせ、石をよじのぼって上層を目指すことにする。
 四方を石の塔に囲まれた中空には、何らかの力によって浮遊する足場がいくつかあった。足場は飛び石のようにそれぞれ離れている。
 そんな不安定な場所を、ガロたちの親玉のような格好をした魔物が飛び回っていた。ボロをまとって双刀を操る点は同じだが、これ見よがしに黄金の仮面をつけている。
『ゼロさん……!』
 ガロの親玉と戦っているのは金剛の剣を握る青年だ。彼は一つの足場から動かず相手を迎え撃つ。金色の軌跡が閃くたびに火花が散った。
(……できるな)
 呼びかけようとした声を飲み込み、リンクは冷静に観察した。あの激しい戦闘に割り込む度胸はない。弓も持っていないためただ見守るしかないが、ゼロが負けることはないと確信できた。
 剣を使うゼロをまともに見るのは初めてだった。彼は堂々として一歩も引かず、打ち合う度に着実に相手を追い詰めている。
 戦いを仕切り直すためか、ガロが別の足場に逃げた。その時ゼロがいきなり動いた。頼りない足場を物ともせずに大きくジャンプすると、まだ迎撃体勢が整っていないガロに迫り、一撃で切り捨てた。リンクでも見極めるのがギリギリのスピードだった。
「……テキながら見事であった。最後に我が言葉、心して聞け」
 ガロの親玉は血を吐きながらも喋り続ける。
「聖なる黄金の輝きを放つモノは、血にそまった邪悪な赤いしるしを射ぬき――天に大地が、地に月が生まれる衝撃を与えるであろう」
 今まで聞いた中で一番意味深な言葉だった。そしてガロは爆発する。ゼロは余裕を持って退避していた。
 ガロの消えた後には一つのアイテムが残されていた。白っぽい色の矢じりを持つ光の矢だ。ゼロが拾い上げる。
 リンクは金縛りから解かれたように動き出すと、ゼロのいる足場を目指した。
(なんて声をかけてやろうか)
 どこに行っていた、探したんだぞ、アリスも心配していた、イカーナ古城では何をしていたんだ――いくつもの言葉が頭に浮かぶ。
 だが、その前に放たれたゼロのセリフが、彼の足を止めた。
「リンク。悪いけどここからはオレ一人で行かせてくれないか」
 冷たい緋色の瞳が少年を見下ろしていた。

inserted by FC2 system