第五章 亡国への鎮魂歌



「向こうのスイッチ押してきたゴロ!」
「じゃあ俺は泳いで反対側を見てくる」
 マグマすら渡ることのできる肉体を持つダルマーニ三世に、自在に水中を泳ぎ格闘技を使いこなすミカウ。彼ら二人は、まるでリンクのように手慣れた様子で神殿の仕掛けを暴いていった。
「もうオレの出る幕ないよね……」
『弓はアンタしか使えないんだから、しゃっきりしなさいよ』
 弱音を吐くと、チャットにどやされてしまった。
 ロックビルの神殿はあらゆる仕掛けによって侵入者を阻んでいた。一定以上の重さがないと作動しないスイッチが水底に沈んでいるなどは序の口で、床の上に煮えたぎるマグマを見た時は頭がくらくらしたものだ。仮面二人の助けがなければゼロは途中で諦めていたに違いない。
 リンクが消えて混乱する一行の前に、突如として姿を現したミカウたち。彼らは「リンクは向こう側の神殿で、ぬけがらに宿ったデクナッツの仮面の魂と対話しているところだ」と説明してくれた。
「だから安心するゴロ!」
 ダルマーニは兄貴肌らしく、自信を持って断言する。
「良かったあ……」おかげでゼロは一息つくことができたのだが、
「あまり良いことばかりじゃないさ。心が惑わされやすいのはこっちの『裏』の神殿の方だ。十分に気をつけるんだぞ」
「あ、はい」
 と言われても、今のところそれらしい罠には遭遇していなかった。イカーナ王の発言からして、足を踏み入れるだけで精神に作用する呪いでもばらまかれているのかと思っていたのだが。
 ミカウもダルマーニも明るく朗らかで、死者とはとても思えなかった。まだ若く、志半ばだっただろうに、故郷の話などは一切出さない。ゼロはその思いを汲んで不用意に尋ねないようにした。
 次の部屋に入った途端、ゼロは何かを感じてきょろきょろ見回した。
「あ。あそこだ」
 天井近くにあったシャボン玉を矢で割る。黄色い妖精珠はふわふわと近寄ってきた。大妖精の泉でしっかり水を確保してきたのだ。
 妖精珠集めの様子を初めて見たチャットは、興味深そうにしている。
『ちゃんと集めてるのねえ』
「当たり前だよ。オレが一番最初にアリスに頼まれたことだから、これだけは絶対やり遂げたいんだ」
『ゼロさん……』
 アリスはイカーナに来てから、大妖精の復活について一言も話さなかった。きっとゼロを気遣ったのだろう。ここ数日の彼女はまるでゼロに引きずられたかのように沈黙気味で、申し訳ない気分になる。
 狭い橋のような足場を一列になって渡り切ると、扉がある。先頭を行くミカウが立ち止まった。
「次の部屋で、多分終点だ」
「え? もう仮面をかぶった敵が出てくるんですか」
 ゼロはグヨーグ戦を思い出して思わず戦慄するが、ミカウは肩をすくめた。
「オレたちにとっての終点ってことさ。この先は神殿の表と裏が交わるところだ」
「じゃあここにリンクがいるんだ!」
 喜び勇んで開けようとするゼロを、ミカウの水色の手が押し止める。
「ここからが一番の正念場だ。しっかり自分を保つんだぞ」
「え? あっ、心を惑わされるから……ですか」
 察したゼロは真剣な面持ちになってうなずく。
「申し訳ないが、オレたちが手伝えるのはここまでらしい。気をつけてな」
「達者でゴロ!」
 手を振る二人に、「ありがとうございました!」と明るく返して、ゼロはその扉を開けた。
 部屋に入った途端、視界が真っ暗闇に支配された。妖精の光すら見えなくなる。
「アリス……? チャット!」
 叫んでも何も返ってこない。
 気配を感じた。空気が動き、何かが肉薄する。ゼロは思いっきり背を反らした。頬が刃のようなものに触れてわずかに切れたのが分かる。何者かの攻撃を避けたのだ。
 闇に慣れたのか、目を凝らすとぼんやり相手の体が浮き上がって見えた。光る両目の位置だけでも体の位置は想像できた。
 ゼロの体は自然と動いていた。相手の攻撃をほとんど勘で横に避けると、そのままごろりと床を転がって背後に回り、がら空きの背中に刀身を叩きつけた。手応えはないが、金剛の剣が闇をまとった衣を切り裂き、あたりが少しだけ明るくなった気がする。
(今のは――?)
 まるで体が知っていたかのように、技のような一連の動作をした。動きの精度も予想以上だ。もしや、自分は記憶を取り戻す度に強くなり、鬼神に近づいているのだろうか。
 衣を剥がれた敵は、まるでゼロと同じ動きをしてきた。横っ飛びから地面を転がり背中を狙ってくる。
(それならこれだっ)
 飛び離れて光の矢を構えた。影は避けるどころかまっすぐこちらに向かってきたので、「えっ!」と動揺したゼロはあらぬ方向に矢を打ってしまった。
 部屋のどこかにあたった光が拡散し、あたりがぱっと明るくなる。思わず目をつむった隙に、いきなり腕を掴まれた。相手は魔物ではなく――
「リンク!?」
「いきなり襲いかかってくるとはいい根性だな」
 前髪を乱しフェザーソードを左手に持ったまま、右手でゼロを抑えていた。言葉の割に表情は平静そのものだ。
 仰天したせいでゼロの心臓はばくばく鳴っている。
「あ、え、なんで……」
「そういう罠だろう。暗闇の中で、俺もさっきまでお前が敵だと認識していた。
 光の矢があって助かった。とにかくこいつを倒すぞ!」
 リンクはぱっと体を反転させ、フェザーソードを正眼に構える。
 彼のにらむ方向に、闇のような色のマントをまとった魔物がいた。あれに惑わされていたのだ。
『ゴメスです!』
 アリスの声が聞こえてほっとする。ゴメスがマントを翻すと、中から無数のコウモリが出てきた。
『あのコウモリをまとめて引き離さないと、きりがないわ!』
「お前は光の矢でコウモリを狙え。とどめはおれがやる」
「うんっ」
 落ち着きを取り戻したゼロが矢を放ち、胴の中心を射抜く。叩き込まれた光とともにコウモリが散った。
 リンクはフェザーソードを背中の鞘に入れたまま肉薄する。相手の大鎌をくぐり抜け、居合抜きを繰り出す。抜刀から斬り下ろしまでを一つの動作でこなす、神速かつ抜群の威力を誇る剣術だった。
 斜めに攻撃を受け、真っ二つに分かれたゴメスはそのまま塵となった。
 戦闘を終えて人心地ついたゼロはリンクに駆け寄る。
「ご、ごめん! 怪我しなかった?」
「いや。それよりお前、さっき妙な技を使っていなかったか」
「背中に回り込んだあれのこと? オレもよく知らないけど、鬼神の使ってた技じゃないかな」
 リンクは眉根を寄せ、何故かアリスの方を見る。彼女は何も言わなかった。
「とにかく合流できてよかったよ。こっちはミカウさんとダルマーニさんが助けてくれたんだ。もういなくなっちゃったけど」
「なるほどな」
 リンクはふところから三枚の仮面を取り出す。
「世話になった。また力を借りる時は、よろしく頼む」
 仮面に向かってそう声をかける。ゼロは穏やかな気持ちでその様子を眺めた。
 リンクは顔を上げる。
「向こう側の神殿で、この仮面のデクナッツと会った」
「へえーそうなんだ。何かお話できた?」
「少しな。今まではあまり意思の疎通ができなかったが、これからは一応、あっちも納得の上で力を貸してもらえることになった」
 それと……と言いかけて彼は口をつぐむ。何を付け足そうとしたのかは分からないが、きっと理由があって黙っていることにしたのだろう。
「行くぞ。最深部もそう遠くないはずだ」
 さっさと奥を目指すリンクの後を追い、横に並んだ。目線より少し低いところに緑の帽子がある――ゼロはこの構図にいつしか安心感を覚えるようになっていた。



 一面が砂の大地だった。
 神殿の周辺は天地が反転したはずなのに、ここだけは頭の上に空があった。異空間に転移させられたのかもしれない。とにかく、神殿の中にしては恐ろしく広いのだ。
 一行は砂の海の真ん中にある遺跡のような場所に降り立った。
「ここが神殿の一番奥なんだよね……?」
 ゼロが不審がるのも無理はない。神殿最奥の部屋には、グレートベイの神殿と同じく大きな穴が空いていた。嫌な予感がしてしばらく渋ったが、それでも意を決して落ちてみると、こんな場所に出たのだ。
『何もいないじゃないの』と砂の上に飛び出しかけるチャットを、リンクが制した。
『砂の中です!』
 アリスが叫ぶと同時に地面が揺れる。リンクとゼロは背中を合わせて視界を補い合った。
 砂から出てきたのは、大きな三つの目と、ハサミのように鋭い口を持った魔物だった。形は足のないムカデに似ている。砂から垂直に飛び出て、そのまま空中を泳いでいく。しかも、赤色と青色の二匹がいた。
『大型仮面虫ツインモルドです……!』
 魔物はリンクたちが驚いている間に砂に潜ってしまう。
 相手の体はあまりにも大きすぎた。あれでは剣による有効打は与えられないだろう。そもそも走っても追いつけそうにない。
「お前の矢に頼るのが良さそうだな」
「うう、責任重大だあ……」
 嘆きつつもゼロは弓を構えた。
「距離とタイミングは俺が図る。妖精は常に二匹の位置に気を配ってくれ」
「了解」
 同時にリンクは巨人の仮面を取り出した。「頼むぞ」と声をかける。
 この仮面をかぶれば巨人になれるのかもしれない。しかしそれでは共に戦うゼロに被害が及ぶ。ならば、ぬけがらのエレジーだ。ツインモルドが姿を現す前に一人オカリナを吹く彼を、誰も咎めなかった。
 リンクたちのいる地点には砂ではなく石の床があった。ここなら足元から襲われることはないだろう。ツインモルドも積極的に体当たりを仕掛けてくるわけではなく、ただ空を泳いでいる。
 リンクの指示通りに光の矢が放たれ、青ツインモルドの目に突き立った。悲鳴のような声が上がる。やったと喜ぶ間もなく、今度は赤ツインモルドが大口を開けた。そこから灼熱する火の玉が放たれる。
『こっちに飛んでくるわよっ』
(まずい……!)
 大きすぎて距離感をつかめなかった。今から走っても回避できそうにない。
 砂の上に身を投げだして少しでも怪我を回避するかと判断しかけた時――どしん、と何かが目の前に落ちてきた。骨の体によって火の玉が防がれる。
「約束通り、助太刀に参った」
 反対側の神殿で出会った巨人だった。ぬけがらのエレジーを使う作戦が成功したらしい。「助かった」とリンクは心底感謝した。
 ガイコツの巨人どころかスタル・キータも見たことのないゼロは目を丸くしている。
「えっ知り合い?」
「ああ。鬼神のな」
 巨人は隊長のボウシがなくともリンクを認識していた。彼は戸惑うゼロを見つめ、
「お二人とも、下がってください」
 一歩踏み出した。石の床が割れそうなくらいの衝撃を受ける。このサイズでこれくらい振動があるなら、タルミナの守護神たる巨人が歩いたときはどんな被害があるのだろう。
 身軽な動きでツインモルドに迫った巨人は、青い方の一匹を両手で捕まえた。胴を挟み込むようにして振り回し、そのまま砂の上に叩きつける。矢を目に刺した時とは比べ物にならないほどのダメージが入ったように見えた。
「す、すごい……!」
「ぼうっと見ている場合か。今のうちにもう一匹を矢で狙うんだ」
 ゼロは慌てて弓を構え直した。
 数々の戦いを経たおかげか、グレートベイの時よりもゼロの矢の精度は上がっていた。だんだんこつを掴んできたのか、遠く離れた空中にうごめく的を、リンクの指示なしで打ち抜いていく。赤ツインモルドの目には何本も矢が刺さり、ついに耐えきれず空から落ちてきた。突っ込む先は青ツインモルドと格闘する巨人だ。
「あ、危ないっ」
 砂煙がもうもうと上がって衝突の瞬間が見えなかった。巨人もツインモルドもその中に隠れてしまい、戦況が分からない。
「助けないと!」
「俺が行く。矢の援護を任せた」
 走り出そうとしたゼロを押し留め、リンクはチャットを引き連れて巨人のもとに向かった。
 視界が悪い中、青いツインモルドが力なく砂の上に横たわっているのを発見する。どうやら一匹は仕留めたようだ。だが、もう一匹は激しく傷つきながらも、再び空に飛び上がっていく。
 砂煙が晴れ、砂に埋まったガイコツの一部分が見えた。もしやばらばらになってしまったのか、と血相を変えて駆け寄る。
「無事か!」
「なんとか……」と巨人はうめきつつ立ち上がる。四肢にはヒビが入り、あばら骨がだいぶ抜け落ちていた。その体で再び格闘するのは無理がある。
 リンクはツインモルドを指差した。
「まだ少しでも腕が使えるのなら、俺をあそこまで投げてくれないか」
「だが……おそらく届かないぞ」
「こうすればいい」
 取り出したのはデクナッツの仮面だった。
 変身によって軽くなった体は、巨人から放たれて高く吹っ飛び、ツインモルドのうねる尾をかいくぐって胴に接近する。
『今よ!』
 チャットが叫んだ瞬間、仮面を脱いだ。重くなった体で勢いを殺し、ツインモルドの上に降り立つ。しばらくしがみついて体勢を安定させ、頃合いを見計らった。頭まで一気に駆け上がることのできる角度に胴が傾いた瞬間、リンクは行動を起こす。
 ツインモルドの硬い体を踏みしめ、目玉の一つにフェザーソードを突き刺した。すでにゼロの矢を受けて弱っており、小さな剣での一撃も致命傷となりうる。目から体液を吹き出しながら、魔物は大きく身をくねらせた。しがみつくために剣を体に突き刺そうとすると、ガキンと高い音がして、手首に衝撃が伝わる。
「なっ」『嘘でしょ……』
 剣は根本から折れていた。
 あの鍛冶屋! と悪態をつくのも忘れ、リンクの体は砂の大地へと落ちていく。
「リンクーっ!」
 地面と激突はしなかった。まず、落下地点に走ってきた巨人がその手で受け止めようとしたが、両手の強度が足りず骨が砕けてしまう。それによってスピードが鈍ったところに、その下にいたゼロがぎりぎりで間に合ったのだ。
 ゼロはリンクを両手で抱え、真っ青になる。
「血が出てるよ!? えっと、薬は……」
「俺が持っている。それに怪我などするか。これは返り血だ」
「そ、そっか。矢で援護しようと思ったけど、ツインモルドが最後の方になってたくさん火の玉を吐いてきて……避けるので手一杯になってたんだ。リンクが無事で良かったよ」
 安堵するゼロがいつまでもリンクを抱えているので、少し恥ずかしくなって「さっさと降ろせ」と命じた。
 ツインモルドは巨体を砂の上に落とし、そのまま消滅した。あのあたりを探せば亡骸があることだろう。
 落ち着きを取り戻したリンクたちは、この戦いの最大の功労者たる巨人に向き直る。リンクを受け止めそこねた時に両腕の肘から先をなくしており、足もボロボロでもう立てそうにない。それでも巨人はあの敬礼ポーズをとった。
「鬼神どの、それに小さな勇者どの。ありがとうございました。もう思い残すことはありません。どうか我が王国を、イカーナをよろしくお願いします……」
 ガイコツの体はぼうっと音を立てて青い炎に包まれた。スタル・キータのように未練から解放されたのだ。
 ゼロは不安そうに眉を曇らせる。
「オレ、あの人の期待に応えられたのかな。ちゃんと鬼神みたいにやれたのかな……」
「さあな。そこまで気にしているのはお前だけかもしれないぞ」
「えっ」
「呪いさえ解ければ、誰が恩人でも構わない……そう考えるやつもいるだろう。お前は十分に働いた。それは俺も妖精たちも認めている」
 ゼロは仲間たちを見回し、嬉しそうにうなずいた。
「うん……ありがとう!」
 リンクはかすかにはにかみながら、ツインモルドの亡骸を拾い上げる。ここから先は、自分にしかできないことだ。
「じゃあ行ってくる」
 そう言えば、「いってらっしゃい」という言葉が返ってくるという確信があった。



 目の間に柱のような足が二本あった。その顔を視界に入れるため、リンクは大きく背をそらさなければいけなかった。
 イカーナの巨人たちは四肢のバランスが人間と同じだったが、四方の守護神は胴に比べて足が長すぎる。一体どういう意味があるのだろう。
『さあ、アンタの友だちはみんな助けたわ。私たちのできることはココまでよ』
 そう、ついに四人の巨人がそろったのだ。あとは彼らに月を止めてもらうだけである。
 最後の巨人は声を張り上げ、空気をびりびり震わせた。
「わ・た・し・た・ち・を・よ・ん・で……だって。言われなくてもわかっているわよ。今度は逆にアンタたちにしっかり働いてもらうわよ! 時計塔の上で呼ぶからアイツを何とかしてよ! ねえ、分かってる?」
 巨人はどこか悲しげにうめく。まさか嫌がっているのだろうか。
「と・も・を・ゆ・る・せ……友を許せ? 許せって何を? えっ、友……」
 チャットの疑問は宙に溶ける。友を助けて、友を許せ。その友は同一人物なのだろうか? もしそうだとしたら、その人は一体――
 不思議な空間からイカーナ王国へと戻っていく瞬間も、リンクは考え込んでいた。
 友という言葉の重さについて。



『キミたちのおかげで元に戻れたよ。本当にありがとう!』
 妖精珠によって体を取り戻した谷の大妖精が、泉の上で黄色い羽を広げた。ゼロは穏やかな心地でそれを見ていた。
 こうして四つの地方全ての大妖精を復活させることができた。それは今、隣にいるリンクの助けがなければ絶対にできなかったことだ。特に、このイカーナ地方では。
 ロックビルの神殿の前で、錯乱していたとはいえリンクを遠ざけようとしてしまった時――リンクが過去を告白し、言葉を尽くして自分を引き戻してくれたことに、ゼロは心から感謝している。
『ぜひお礼を、って言いたいところだけど、それはボス・ガロから取り返した光の矢で勘弁してね』
 谷の大妖精はゼロの背にある矢筒を指差す。
 ゼロは「いえいえ」と首を振り、
「そうだ。これで町の大妖精様が泉に戻るんですよね!」
 もともとそのために各地を回っていたのだ。ついにこの時が来た、と彼は目を輝かせる。
『え? まあねえ、あの子に会うのは「次回」でいいんじゃないかな。ほら、あの子もいろいろ整理することがあるだろうし』
 しかし大妖精の反応はどこか鈍かった。
「町の大妖精様は、末の妹さんでしたっけ」
『そうそう。私たちの中で一番力が強くてね、自慢の妹なんだから』
 それを聞いて、ますます会うのが楽しみになる。
 ちょうど今、アリスも記憶を取り戻したのだろうか。ゼロは自分のことがあるため、あまり他人の記憶についても突っ込んだ話をする気にならないが、いつか思いっきり話してみたいと思う。
 リンクが無言でゼロの袖を引いた。そろそろ行くぞ、という合図だ。
『いよいよあの月を止めに行くんでしょ? がんばってね。ぼくも精一杯応援するよ』
 背を向ける一行に、大妖精は気さくに声をかけてくれた。
 洞窟を出ると、重苦しい色をしていたイカーナの空が、嘘のように明るく晴れ渡っていた。呪いとともに分厚い雲も消え去ったらしい。太陽の光は何よりも強い力となって、この地を隅々まで浄化してくれるだろう。
 リンクは立ち止まり、イカーナ村の真ん中にある水車のついている家を注視していた。
「どうしたの? あっ」
 玄関が開いて、ピンクのワンピースを着た女の子が出てきた。彼女はこちらに気づき、
「お兄ちゃん!」と駆け寄ってくる。
 続いて白衣の男が顔を出す。リンクは挨拶をするためか、ゆっくり前に出ていった。
「あの人たちは?」ゼロはチャットに小声で尋ねる。
『亡霊研究家の親子だって。お父さんが呪いでギブドにされてたのよ。いやしの歌でなんとかなったから良かったけど』
「えーっ」
 ゼロは思わず父親の顔をまじまじと見てしまった。もちろん、今はごく普通の人だ。
 女の子の横に並び、父親が胸をそらした。
「やあ、パメラの面倒を見てくれたみたいで、どうもありがとう。お礼と言ってはなんだが、今日はうちに泊まっていってくれないか?」
「いいんですか!」
 ゼロはぱっと顔を明るくしたが、パメラとリンクは何故か目をそらす。
「キミたちにはたっぷり聞きたいことがあるんだ。ほら、妖精もいることだしね!」
 アリスとチャットも気まずそうにすうっと光を弱めた。
 まわりの反応を見て、ゼロにもなんとなくこの男の考えが読めた。
「……今すぐにでも大翼の歌を吹くか」
 ぼそっと言うリンクに笑いかけ、
「まあまあ、今日くらい甘えようよ。リンクも疲れてるでしょ。あの人の話し相手はオレがするから」
「急に不安になってきたんだが」
『ゼロ、余計なこと喋りそうだし』
「そもそもお前が一番根掘り葉掘り聞かれたらまずいだろ」
「そ、そうだけど……大丈夫だよきっと!」
 アリスが苦笑する。ひたすらオロオロしているパメラが不憫になったこともあり、一行はひとまず歓迎を受けることにした。
 親子の後ろについて家に向かう途中、リンクに「明日はどうする?」と訊ねてみる。
「クロックタウンに帰る。ルミナにも協力を頼みたい」
 ゼロは無意識にほおをほころばせる。リンクは「帰る」という言葉を選んだ――いつしか、彼はあの町を帰る場所として認識していたのだ。それだけで、なんだか嬉しくなる。なぜなら自分も同じ気持ちを抱いていたから。
「うん……それがいいね、きっとルミナも喜ぶよ」
「お前はどうするんだ」
 問い返され、ゼロは少し考える。
「お城には、まだ行けない。月をなんとかしてから挨拶したい。今はリンクの手伝いを優先するって決めたから」
 リンクは「分かった」とだけ答えた。
 ふと視線を上げると、明るい空の下にイカーナ古城が見えた。かつての戦いの痕跡を残しつつも立派な姿を保ち、太陽の光をいっぱいに浴びている。あの城にいた亡霊たちは今頃どうしているだろう。
(どうか安らかに……)
 ゼロは鬼神としての使命を一度、先送りにした。しかし、亡霊たちの安息を願う気持ちに嘘はなかった。
 古城から視線をすべらせると、少し離れた場所に丘があって、そこに一本だけ青々と茂る大樹が生えていた。植物という植物が枯れ果てたこのイカーナの地では珍しいことだ。
(あっ)
 ゼロははっとした。あの木には見覚えがある。というより、彼がお面によって垣間見る「記憶」のほとんどが、その木の下におけるやりとりだったのだ。
 あそこで鬼神は「彼女」と出会った。死神と名乗る喪服の少女。ガロをスパイとして送り込み、イカーナを亡霊だらけにした元凶だった。
 そうだ、ここには彼女だけがいなかった。かつての勝者は一体どこに行ってしまったのだろう。そもそも何故イカーナに戦いを仕掛けたのか分からない。現状から見て、イカーナの支配が目的ではないはずだ。
(どういうことなんだろう……?)
 ぼんやり立ち止まって眺めていると、樹の下に紫と赤、青、緑のドレスが見えた気がして、ゼロはまぶたをこする。
 風に乗って女性の声が耳に届いた。
 ――ゼロ様。我が故郷を守ってくださり、ありがとうございました。

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