第五章 亡国への鎮魂歌



 ルミナは苦戦を強いられていた。現在の悩みは、自分が所属するゴーマン一座のことである。
 リンクのおかげでローザ姉妹の踊りは完成した。グル・グルさんの悩みも聞いて、新曲完成の手助けもした。アカとアオはプロらしく安定したメンタルを保ち、こんな時でも練習に余念がない。そう、仲間たちにはもはや何も問題はないのだ。
 一番の問題はゴーマン座長その人だった。
 ルミナには目下のところ、「カーフェイを探したい」という気持ちの他に、「ゴーマン座長をどうにかしたい」という思いを抱えていた。
 毎回毎回、まるで敗者のように足を引きずりゴーマントラックへ赴く座長のことが、ずっと気になっていた。今回この問題に取り組もうと考えたのは、カーフェイ捜索が前回の三日目で一度行き詰まりを見せたからである。
 何もかも中途半端ではいられない。ささやかな自尊心のためにも、ここで何かしら成果を出したかった。
 二日目の夜、座長は一座の仲間たちにカーニバルの公演中止とゴーマントラックへの避難を告げる。一回目はそこで反発してトイレに閉じこもった。二回目はミルクバーに逃げ出した。前回は皆と一緒になって牧場に避難した。
 今回、ルミナは黙っていた。話の間もひたすらゴーマン座長の表情を伺っていた。
 いつか一対一で話せるタイミングがあるはずだ。じりじり待ち続け、その機会は翌日の昼頃に到来した。
「ちょっと出てくる」
 荷造りで大わらわになる座員たちを尻目に、座長はふらりと部屋を抜ける。ルミナはその後に続いた。
 行く先は追わずとも分かっていた。通い慣れたミルクバーだ。
 続いて入ってきたルミナに座長も驚かず、「隣、いい?」と尋ねると小さくうなずいた。
 互いに口数は少ない。ルミナはカーニバル公演の中止にまともに向き合えなかった、これまでの日々を思い出す。
 まろやかなシャトー・ロマーニで舌の滑りを改善し、意を決して話しかける。
「ずっと気になってたんだけど……座長はさ、どうしてゴーマン一座をはじめたの?」
 相手の顔を覗き込むようにする。座長はグラスを置いた。
「お前には話したことがなかったか。昔、刻のカーニバルである曲を聞いたからだ……。先代ダル・ブルーのライブだった」
「わたしと同じだ……!」
 ルミナは目を見開いた。そうか、だから「一座に入りたい」などと言って突然押しかけてきた彼女を、座長は受け入れてくれたのだ。
「大した技術もねえのに芸がやりたいって言うやつのことは、よく知ってたからな」
「で、でもわたしはちゃんと練習したし……それなりになったよ!」
「ああ。わしとは大違いだ」
 ルミナはどきりとして言葉を飲み込む。芸人一座の頭だが、ゴーマン座長自身が芸を披露することはない。抱いた夢と、それを叶えるだけの力量との乖離――座長は毎回どんな気持ちで兄弟のいるゴーマントラックに帰っていたのだろう。
 からんとミルクバー入口のベルが鳴る。新しい客が入ってきたらしい。
「あっ」
 客は座長と目を合わせ、互いに気まずそうな顔になる。背の低いゾーラだ。会話はしたことがないが、ルミナも以前の周回で出会っていた。
(ダル・ブルーのマネージャーだ……)
 ゾーラはぽてぽて短い足で階段を降りると、ゴーマン座長に一礼した。
「その節は、どうも」「……ああ」
 座長は目を合わせず、うつむいてミルクをすする。
 マネージャーは席に座らなかった。マスターに目配せすると、何故かルミナの方にやってきた。
「キミ、もしかしてゴーマン一座の? 楽器は引けるかい」
「えっと、一応……」思わず座長の顔色をうかがう。
「知ってると思うけどダル・ブルーのマネージャー、トトだ。今回のことは残念だった。ここはいいホールだって評判だったから、記念にサウンドチェックしたいんだが……ねえキミ、演奏手伝ってもらえるかな?」
「はあ。でも楽器持ってきてませんよ」
「いいよ、貸すから」
 入ってきて、とトトが壁に向かって声をかけると、バックヤードの戸が開いた。すらりと背の伸びたゾーラが姿を現す。
「み、ミカウ!?」
 ルミナは椅子ごとひっくり返りそうになった。
 何度かステージの上にいる彼を見たことがある。この自分がダル・ブルーのメンバーを見間違えるはずがない。なんで、どうして、という疑問が頭の中でぐるぐる回った。
 ミカウは持っていたギターを無言でルミナに渡し、そのままステージに上っていった。ルミナは呆然としながらも思わず受け取ってしまった。後からがたがた手が震えてくる。
(え、本当にわたしが出るの? もうこれミカウの演奏だけでいいよね!?)
 しかしいつまで経ってもサウンドチェックははじまらない。ミカウもトトもマスターも、ゴーマン座長すらことの成り行きに注目しているらしい。ルミナはガチガチに緊張しながら段差を上った。
 ミカウの横に並ぶ。このまま死ぬのではないかというほど心臓が激しく動いている。
「え、えーと、何の曲やるんですか……?」
 ミカウが鼻歌でメロディを演奏した。それですぐに分かった。ダル・ブルーの名曲をルミナが判別できないはずがない。
 マスターがステージの照明をつけてくれた。眩しい光に照らされて体がかっと熱くなる。ゴーマン座長は口の中でブツブツ言いながらも、聞き耳を立てているようだ。
「ワン、トゥー、スリー!」
 トトの声に合わせて同時にギターの弦が弾かれた。
 音楽というものは時に言葉よりも雄弁に語るものだ。肩を並べて同じ曲に取り組んでいると、相手がどう演奏しようとしているのか、何を大切にしているのかが伝わってくる。テンポを上げてノリを良くしたいのか、はたまたゆったり聴かせたいのか、そのこだわりがぶつかり合って重なった時、ハーモニーが生まれる。
 不思議と涙は出てこない。でも幸福感で胸がいっぱいだった。
 最後の一音を鳴らしてからも、ルミナの手はまだじんじんしびれていた。感動が長引いて、ミカウがすぐに裏口の方に消えていったのも気にならないくらいだった。
「ブラボー、最高だ!」
 トトが叫ぶ。マスターも仕事を止めて拍手してくれている。
「こっ、このメロディーは、わしの思い出の曲!」
 カウンターの上で頭を抱えたのは座長だった。
「スタンダードナンバー風のさかな。先代ダル・ブルーの名曲だ!」
 トトが自信満々に言う。
「芸の世界に身を投じたのも、昔カーニバルでこの曲を聞いたからだ。芸をやってりゃいつか歌の主に出会えるんじゃねえか、そう思ってたが……」
「あんたが聞いたのは初代ルル――ルルの母親だろう」
「今は娘が歌っているんだよな。聞いてみてえなあ……」
 座長は、ステージから下りてきたルミナに向き直る。
「ルミナ、ありがとう。別に欲しかねえだろうけど、もうすぐカーニバルだ。わしのお面を受け取ってくれ」
「もー、座長ったらこんなの作ってたんだ」
 ルミナは苦笑した。もらったのはゴーマン座長そっくりのお面だった。しかも、お面の目からはどういうわけかぽろぽろ涙がこぼれてくる。
(お礼ならミカウにすべきだけど、これは受け取っても困っちゃうよね)
 彼女は胸にお面をそっと抱き、「大事にするよ」と言った。
「久々にいいもん聞かせてもらったよ。これで満足だ、ワシはもうゴーマントラックに行く。ほら、ルミナもさっさと避難するぞ」
「うん、ミカウにお礼言ってくるねっ」
 ルミナは彼が消えた裏口に向かった。
 扉を開けると、食料や備品が雑然と積み上げられた倉庫があった。薄暗がりに人影が見える。それはミカウではなかった。
「リンク!?」
 妖精チャットも一緒だ。リンクは黙ってこちらを見上げている。
「お、おかえり。でもどうしてこんなところに……」
「お前を探していたんだ」
「え? それならちゃんと入口から入りなよ」
 リンクは不服そうに唇を噛んだ。一体どうしたというのだろう。
「それより、ミカウっていうゾーラが今ここを通らなかった?」
「そのゾーラなら、用事があると言ってすぐに出ていったぞ」
 リンクは顔色一つ変えずに答える。ルミナはそんな彼をじいっと見つめた。
「……そっか。なら仕方ないや。リンクも残念だったね、わたしたちの最高の演奏を聞けなくてさ!」
「客席からじゃなかったけど、オレはたっぷり堪能させてもらったよ」
 言いながら裏の戸を開けて入ってきたのは、珍しい銀の髪をした青年だ。
「きみ誰だっけ?」
 という発言に彼はがくりと脱力する。
「何度か会ってるはずだけどまだ名乗ってなかったかな……ゼロだよ。ナベかま亭でお隣に泊まってるよね」
「ああ、ナイフの間で寝てる人か。ごめんごめん、なんか雰囲気変わった? 一瞬分からなかった」
「そうかな」とゼロは首をかしげる。
 前会ったときは、今よりもっとふわふわした雰囲気だった。アンジュとクリミアの修羅場に居合わせた時も、焦ってはいてもどこか抜けている部分があった。だが今、見た目が変わっていないのにまるで別の人物に見えたのだ。
 ルミナは、自分でも何故そう思ったのか不思議だった。目つきが鋭くなったのだろうか? まじまじと見つめられ、ゼロは照れたように耳を染めた。
「ルミナ。俺はお前に用があってきた」
 視線を遮るようにリンクが前に出る。そういえば先ほどそう言っていた。
「単刀直入に言う、俺たちに協力してくれ」
「いいよ。何すればいい?」
 ルミナがあまりにもあっさりと了承したので、リンクたちは拍子抜けしたらしい。
『目的とか理由とか、くわしく聞かなくていいの?』
 呆れた様子のチャットに、ルミナはうなずく。
「だって、リンクがやろうとしてるのはあの月を止めることでしょ。それで、わたしにもできそうなことを思いついたんだよね。リンクには助けてもらってばかりだから……やれる範囲で手伝うよ!」
 とんと胸を叩いた。リンクは安心したように息を吐き、ゼロが朗らかに笑う。
「感謝する。お前に頼みたいことというのは、これだ」
 彼が取り出したのは石のような素材でできたお面だった。
「こういうお面を持っていないか」
「カーニバルに使うやつ? わたしがつくったものじゃないけど、けっこう持ってるよ。さっきも座長からもらったんだ」
 ルミナはこの「三日間」で手に入れたお面たちを、倉庫にあった机の上に広げた。
 鳥の頭部を模したようなブレー面は、グル・グルさんの悩みを聞いた時に贖罪の証としてもらった。彼は昔いた楽団のリーダーが持っていたお面を盗み、そのまま逃げてきてしまったらしい。
 そして、うさぎの耳がついたずきん。これはロマニー牧場に併設されたコッコ小屋で、ナデクロさんという人からもらったものだ。彼は月が落ちたらひよこたちが大人になるところを見られない、と嘆いていた。そこで、ルミナがブレー面を使い、ひよこたちを導き大人にしてやった。うさぎずきんはそのお礼だった。
 そして、今回の座長のお面である。思えばバリエーション豊かなお面が揃っていた。これだけたくさんお面があるのだから、早くカーニバル本番が来てほしいものだ。
「このお面がリンクの役に立つの?」
 リンクがちらりとゼロに目配せする。
「……どうだ?」
「うん、三枚ともそうだと思う」
「えー何が何がー?」二人だけで何やら怪しいやりとりをしている。ルミナは無理に割り込んでいった。
 リンクは若干面倒くさそうな顔をして、
「このお面は、ゼロの記憶なんだ」
「へ?」
 目をぱちくりするルミナに、ゼロは苦笑気味に説明する。
「オレは過去の記憶を持ってないんだ。で、理屈はよく分からないけど、タルミナ中に散らばっているお面に触れると、なくした記憶を回収できる仕組みみたい」
 よどみなく話しつつも、ゼロはどうも釈然としていないようだ。本人すらその調子なら、部外者のルミナなどに詳細が分かるわけがない。
(そっか、ゼロの印象が変わったのは、記憶のあるなしが関係してるのかな?)
 記憶がないというのは何かと面倒そうだし、早く思い出せたらいいなと思う。
「ふーん? とにかくお面をいっぱい集めたらいいんだね」
 やや乱暴なまとめ方だが、リンクは「そうだ」と首肯する。
「お面の総数も不明なんだ。情報がほしい。他に心当たりはないか」
「それなら、とっておきのお面があるよ、めおとのお面っていうんだけど」
 自慢げにぴんと指をたてると、青色の妖精が反応した。
『カーニバルの日に結婚する男女が、誓いの証として取り交わすお面……でしたね』
『ロマンチックよねー、そういう言い伝えがあるなんてちょっと人間たちが羨ましいわ』
「お、分かる? やっぱり女の子なんだね」
 種族が違っても共通点はあるのだと、ルミナは喜んだ。
「カーニバルの日に結婚って……もしかしてアンジュさん?」
 ゼロの質問に「そう!」と胸を張る。
「でも婚約者のカーフェイが行方不明なんだよね。あいつがめおとのお面の片割れになる『太陽のお面』を持ってるはずだよ。うん、やっぱり次はカーフェイを探さないと」
 これで次回の行動方針は決まった。ミカウの助けを借りることで、座長の気分も晴らすことができた。この三日間の心残りといえば、後は本当にカーフェイのことだけなのだ。
 ゼロの視線は、机の上に並んだお面に引き寄せられている。ルミナはぴんときた。
「あ、これってもともとゼロのものなんだよね。なら全部あげるよ!」
「いや、オレは……」
 彼は逡巡していたが、不意にぱっと手を伸ばす。一番手近のブレー面に触れた。
「ゼロ!」
 リンクが鋭く叫んだ。
 ルミナがまばたきする間にお面は消え失せ、ゼロは虚空を見つめたまま固まってしまった。



「鬼神さんには、名前はないんですか?」
 ゼロは――鬼神はきょとんとした。
 またあの木の下だ。葉擦れの音が耳に心地よい。
 イカーナ城を守っているはずの鬼神が、どうしてこんな場所にいるのだろう。もしやさぼり癖でもあったのだろうか。だから負けるんだよ、とゼロとしては文句を言いたくもなる。
(って、そんなこと考えてる場合じゃない)
 目の前の人物に意識を戻す。曇りのない赤い瞳で鬼神を見上げるのは、あの死神だった。
 鬼神と死神は仲が良かった。彼女が一方的に裏切るまでは。この記憶は、イカーナが戦いに巻き込まれる前のようだ。
 鬼神はゆっくり首を振る。
「名前はないよ。だって、オレたちにとって必要ないものだよね」
「そうでしょうか」
 少女は身を乗り出す。両目が生き生きと輝いていた。鬼神と一緒に過ごせることが嬉しい、とでも言うように。その表情に嘘は感じなかった。
 ならば、どうして彼女はイカーナを裏切ったのだろう。
「名前っていいものですよ。確かに神である我々には固有名は必要ありません。でも名前には力が宿ります。ほら、大地を作った女神だって、それぞれ名前を持っているじゃありませんか」
「うん、確かに力はあるのかもね」
 鬼神の反応を見て、彼女は得意げになった。
「それに、名前には名付けた人の思いも宿るものです」
「ふうん……そういえば、大妖精様にも名前ってあるのかな」
 その名前が出た途端、死神は不愉快そうに眉をひそめた。
「あいつらには、妖精だった頃の固有名があるらしいですね」
「へえ、そうなんだ」
 ゼロははらはらしながら見守っていた。明らかに死神は大妖精を嫌っている。だが、鬼神はまるで気づいていないような様子だった。
 もう一つ気になることがあった。大妖精だ。今までの白昼夢にそれらしき人物が出てきたことはない。話を聞く限り、鬼神とはそれなりに親しいようだ。谷の大妖精は「自分ではない」と否定していたが、それでは一体誰なのだろう。
「そうだ、死神さんにはもしかして名前があるの?」
 少女はにーっと満面に笑みを浮かべる。どうにか話題の転換に成功して、ゼロはほっとした。
「そのとおり。鬼神さんだけには特別に教えてあげます」
 死神は耳に顔を寄せた。妙になまめかしい唇が近づき、どきりとした。
 そんな浮ついた気分は、次の言葉で粉々に打ち砕かれる。
「故郷の国の人々にもらった名前なんです。私に特別な力をくれる、素晴らしい贈り物ですよ。
 ……私の名前、ムジュラって言うんです」



 そこはタルミナのどこかにある、どことも知れない場所だ。薄ぼんやりした青空に覆われ、遠景と近景の区別もつかない曖昧な空間。その真ん中になだらかな丘があり、てっぺんに一本だけ緑の生い茂る大樹が生えている。
 木の根本には、小さな黒っぽい影が腰を下ろしていた。
 黒いワンピースを着た少女は紅を引いた唇を持ち上げ、そっとほほえむ。
「あーあ、あと何回繰り返すのかなあ。そろそろ私のことも思い出したのかな? 
 早くここまで来てくださいね、鬼神さん……!」

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