第六章 二度とない刻のために



『本当にゼロのこと置いてきてよかったの?』
 チャットの言葉が虚空に浮かぶ。疑問が向けられた相手はアリスだった。
 青い妖精は『……ええ』とだけ答える。
「一日目」を迎えるのはもう何度目になるだろう。ナベかま亭でゼロの寝顔を確認した後、リンクたちはアリスに頼まれ、一足先に町の大妖精の泉に向かっていた。
 大妖精の復活を目指してあちこち奔走していたのはゼロだ。リンクは何もしていない。なのに、最大の功労者を置いて先に町の大妖精と面会してもいいものだろうか。
 当然、賢明なアリスがその程度の分別をつけられないはずがない。彼女なりの考えがあっての行動だ。しかし、それを今リンクたちに話すつもりはないらしい。チャットも察したのか、余計な追及はしなかった。
 風船を吹き矢で狙って遊ぶボンバーズ団員を横目に、クロックタウン北地区を横切った。緩やかな坂をのぼって大妖精の洞窟に入る。
『何にせよ、いよいよ町の大妖精様が復活するのね……』
 初めてクロックタウンに来たその日。デクナッツにされたリンクは、チャットとともに助けを求めてこの泉を訪れた。しかしそこには誰もおらず、チャットもアリスのように正確に事情を把握していたわけではなかったので、そのまま放置することにしたのだ。きっと大きな問題にはならないだろうと判断して。
 しかし、ゼロとアリスが問題を看過せず、各地の大妖精を復活させたおかげで、一行は弓と魔法矢による強力な加護を得た。その助けがなければグレートベイやロックビルの神殿は攻略できなかったに違いない。面と向かって言ったことはないが、リンクはゼロたちの働きに感謝していた。
 久しぶりに見た町の泉は清浄な水をたたえていた。だがそれだけだ。力の気配は感じられない。
『大妖精様ー!』
 チャットの呼びかけが虚しく響く。違和感を覚えたリンクがアリスを問いただそうとした、その時。
『町の大妖精は、ここにいます』
 アリスが吸い寄せられるように泉の中心へ向かう。その羽根がまばゆい光を放った。
『な、何!?』「……これは」
 とっさに目元を腕で覆った。むせ返るような魔力を感じる。
 腕をどけると、そこには正しく「町の大妖精」がいた。
 墨色の長髪を前に垂らし、左右でそれぞれ結んでいる。深い深い青色の瞳は憂いをたたえていた。姿を現した途端、花の香りがあたりに散ったようだ。
『大妖精様……』
 歓喜に堪えないようにつぶやくチャットの横で、リンクは一歩踏み出す。
「お前はアリスだな?」
 背丈はルミナと同じくらいだろうか、少女の姿をした大妖精はこっくりとうなずいた。
『えっ嘘!』
「私は町をおさめる心の大妖精です。今まで黙っていて、ごめんなさい」
 その声は確かにアリスのものであった。チャットは絶句し、光を明滅させる。
 そうだ、彼女が最後の大妖精であれば全てに説明がつく。豊富な知識も感知能力の鋭さも、普通の妖精とは一線を画したものだった。
「私の記憶は、各地の大妖精を復活させる度に少しずつ戻っていきました。ですが……」
「隠していたのは何か理由があるんだろう。ゼロを連れてこなかったことにも」
 アリスは苦しげに唇を歪める。普段は光の調子で表現していた感情が、仕草や表情によって直接伝わってくる。それも目の覚めるような美少女が全身で憂いを表現するので、耐性のないゼロなどが見たらくらくらしていたことだろう。
「ええ、私の持つ権限が許す範囲で、お話します」
 アリスは羽根をしまい、浮かんでいた体を下降させてそっと泉に足をつける。リンクもその場に腰を下ろした。
「少し長い話になりますが、よろしいですか」
『まあ、時間はたっぷりあるし、いいんじゃない?』
 一時の自失状態から覚めたチャットは、ざっくばらんに言った。どうやらアリスが大妖精と知っても態度を変える気はないらしい。リンクも同様だ。
 アリスはほんの少しほほえみ、形の良い唇を開く。



 私は普通の妖精珠と同じように、妖精の泉で生まれました。
 たまたま平均よりも力を持っていたのでしょう。羽根をいただいた時に四人の姉を得て、やがてはその姉妹が全員、大妖精としての資質を認められました。
 大妖精となった私たちはそれぞれ別の泉をおさめていましたが、ある時事件が起こりました。それがイカーナ王国からの要請です。別の国から侵略を受けそうになっているので助けてほしい、と言われました。
 当時のイカーナ王国は、ある「秘宝」を持っていました。それは、イカーナだけでなくこの世界にとって非常に重要なものでした。妖精は本来特定の国に肩入れせず中立を保つべきなのですが、私は姉たちと話し合い、「秘宝を敵国に奪われるわけにはいかない」ということで意見が一致して、イカーナの側につくことにしました。姉たちにはバックアップを頼み、イカーナには大妖精の長である私が向かいました。
 そこで、私は出会いました。イカーナの守護神である鬼神に。
 私は彼とともに戦いましたが、味方の裏切りにあって王国は壊滅状態に陥りました。
 王国の音楽家とともにつくった「いやしの歌」でなんとか敵を封じ込めはしたのですが、敵味方含め我々は全員倒れ、相打ちになりました。
 それからは……正直覚えていません。気づけば私はビンに詰められてマニ屋に売られ、ゼロさんは記憶を失い平原に倒れていたのです。



『アリスって、鬼神と――ゼロと知り合いだったの!?』
「ええ……」
 アリスが実際にどの順番で記憶を取り戻したのかは分からない。だが、イカーナでは本人以上にゼロを心配し、どこか苦しそうにしていた。その意味がやっと分かった気がした。
「それが、ゼロをここに連れてこなかった理由か」
 アリスの白いほおに涙は流れない。だが、まつげが震え、心の中で慟哭しているのだと分かる。
「私はあの人を利用していました。記憶がないのをいいことに協力をとりつけ、あちこち連れ回して……何も知らない状態でイカーナに行かせてしまいました。本当は、鬼神の記憶なんて思い出したくなかったかもしれないのに……」
 両手で顔を追う。真面目でまっすぐな性根ゆえに、アリスは苦悩していた。
 リンクは眉をひそめる。
「お前の考えは分かった。しかし、それを聞いてゼロ本人がどう思うかは別だろう」
「そうですね……ゼロさんは優しい方ですから、きっと許してくださるでしょう。でも、私が自分自身を許せないから、今はあの人に向き合えないんです」
 アリスはそっと胸元をおさえる。そう言い切られてしまうと、リンクはかける言葉がなかった。
 しばし沈痛な面持ちでいたアリスは、きりりと目を見開いた。その瞳の色こそが小さな妖精姿の時に発していた光の色だった、と気づく。彼女は大妖精としての威厳を取り戻していた。
「お二人に、お願いがあります」
 そして頭を下げた。
「月の落下を防ぎ、タルミナを救っていただけませんか。私たちの力が足りないばかりにこうなってしまったのに、都合の良すぎる依頼だとは分かっています。それでも、どうか――」
「顔を上げてくれ」
 延々と続きそうだった贖罪の言葉を、リンクはそっと遮る。
 アリスはすがるような表情を浮かべていた。それは月の恐怖に怯える人々とそっくりだった。もっとも、彼女が一番恐れているのはゼロに関することに違いない。
「お前に言われなくても、月は止めてみせる。お面屋との約束があるからな」
『アタシだって今さら放り出したりしないわよ。トレイルも、スタルキッドだって助けなきゃならないからね!』
 リンクが、チャットがそれぞれに宣言した。アリスはやっと小さくほほえんだ。
『リンクさん、これを』
 差し伸べられた手のひらの上に、一振りの大剣が浮かぶ。光の角度によって紫にも緑にも見える、不思議な金属が使われている。刀身には黒薔薇の模様が刻まれていた。
『大妖精の剣です。フェザーソードが折れていましたよね。その代わりになりませんか』
 リンクは受け取るのを躊躇した。その瞬間、天啓のように閃くものがあったからだ。
 本当はこれをゼロに渡したかったのではないか、と。
 だが、リンクはあえて口にせず、粛々と大妖精の剣を受け取った。彼の体格で扱うには長すぎるくらいだ。使う時は両手で握るしかないだろう。
「それと、こちらを預かっていてもらえませんか」
 今度は目の前にお面が浮かぶ。濃いピンク色の髪を持つ美女を模したお面だ。
「大妖精のお面です。本当は妖精珠集めもこれがあると良かったのですが……今更になってしまいましたね。
 私からは渡せませんから、どうかゼロさんに」
「分かった」
 それをふところにしまいこみ、リンクはため息をついた。
「アリス。今聞いたことは俺は黙っている。必ず、自分からゼロに話すんだ。いいな」
「はい……ありがとうございます」
 アリスは深々と礼をした。そして宣言する。
「私はこれからムジュラの仮面に対抗するための準備をします。この三日間はほとんど泉から離れられないでしょう。ですので、ここにルミナさんを連れてきていただけませんか」
 思わぬ人物の名を聞いて、リンクは目を丸くする。
「あいつに何か用か」
「はい。あの人はギターを持っていましたよね。少し頼みたいことがあります」
「なら、呼んでくる」
 きびすを返して洞窟を出ようとした彼の背に、アリスは声をかける。
「リンクさん、これからあなたの心が揺さぶられるようなことがあっても、どうか気を強く持ってください」
 アリスは未来を見通す目をして意味深なことを言った。
 日の光を浴びると、肩が凝っていたことに気づく。知らず知らずのうちに緊張していたらしい。いくら見知った者といえど、相手が大妖精ではそれなりの圧を感じるのだ。
 アリスとの会話中からずっとチャットは黙りがちだったが、
『ねえ、本当にゼロに黙ってるつもり?』
 突然そう釘を刺す。
「当たり前だ。俺たちが立ち入るべき問題じゃない」
『それは分かってるわよ。……あのね、アンタは気づいてないかも知れないけど、アリスはきっとゼロのことが好きなのよ!』
 リンクは虚を突かれてその場に静止した。
 好き? それはどういう意味なのだろう。大妖精として鬼神の思い出を語る時、彼女はどんな顔をしていた? そこには恋慕の情が混じっていたのではないか。
『こんな形で離れ離れなんてあんまりじゃない。アリスはなんかゼロと会いたくなさそうだったし、起きて話を聞いたらゼロも気を遣うかもしれないし……』
「そんなこと外野がどうこう言っても仕方ない」
『気にするぐらいいいでしょ。ま、おこちゃまのアンタには分からないでしょうね』
 分かりやすい挑発に、リンクはふん、と鼻から息を吐く。
 アリスが一心にゼロを慕う気持ちには、確かにそういった意味もあるのだろう。だが、リンクは別の感情をひしひしと感じていた。それは罪悪感だ。かつて「七年後」の姫から感じたものと同じだった。それがある限り、一生相手と同じ場所に立てないほどの強烈なものである。
 どうしてアリスはそこまで思いつめているのだろう? 
 ざわめく胸中を抱えたままナベかま亭を目指す。チャットはぽつりとつぶやいた。
『アンタはさあ、月をどうにかできたら、その後はどうするの』
 リンクは空を見上げる。いつもどおり、顔のある月がこちらをにらんでいた。タルミナの人々は、もう一ヶ月もあれを見続けているのだ。ゼロなどは正しい月を肉眼で見たことがないはずである。
「ムジュラの仮面をお面屋に渡して……帰る」
『故郷の国へ?』
「そうだ。まだ、さがし物が見つかっていないからな」
 答えながら無意識に腕をさすっていた。そこに巻かれた紐の感触を確かめる。
 チャットは珍しく食い下がった。
『そうやって、やることやったらすぐどこかに行くの? だとしたら、前とおんなじじゃない』
 前とは、故郷ハイラルでの戦いを指しているのだろう。平和になった世界に勇者は必要とされていなかった――
(俺だって、別に好きこのんで七年前に戻ったわけじゃない)
 自然とリンクの声は低く不穏になる。
「……何が言いたい」
『別に。アンタにとってのタルミナって、なんなのかなーって思っただけよ』
 冷めたような物言いに、リンクは少しムキになって言い返した。
「通過点だ。それ以上でも以下でもない」
『あ、そう』
 温度のない返事だった。少し言い過ぎただろうか――しかし、チャットだってわざわざ煽るような発言をしたのだ。
 それ以降なんとなく気まずくなって、二人とも黙りこくってしまう。
 ナベかま亭の大部屋を訪れると、ルミナは優雅に身支度を整えていた。マフラーを首に巻き、最後にリボンでポニーテールを結い上げて完了だ。
「おはようリンク。昨日はありがとね」
 彼女は日常の象徴と思えるほど、全くいつもどおりに明るく笑っていた。
「ゼロはまた寝てるの? お寝坊さんだねえ。わたしなんかこうやって気合い入れてたんだよ。だって今回、月を止めるっていうんだから!」
 それは前回時の歌を吹く前に決めた方針だった。できるだけお面を集めつつ、三日目の深夜に時計塔に突入する。ゼロもそれで承知していた。
 リンクはにこにこする彼女へ、
「大妖精の泉に来てくれないか。そこで大妖精が呼んでいる」
「え、わたしを? 何も悪いことしてないのに!?」
 クロックタウンの人々にとって、大妖精とはそういう存在らしい。
「別に怒られると決まったわけではないだろう」
「本当かなあ。町の大妖精様は真面目で規律に厳しいって噂だよ」
『え? アリスはそんな妖精じゃ――』「おいっ」
 慌ててチャットを手で押さえる。さすがにあまり大きな声では言えない話だ。幸いにもルミナには聞こえなかったようだ。
 もしかすると、かつての彼女はそういう性格だったのかもしれない――とリンクは思った。ならば、アリスが彼らのよく知る性格になったのは、ゼロの影響なのだろうか。
「なら早いところ行ってこよう。リンクはどうするの?」
「俺は……剣を直しに行く」
 ゼロのお面探しも喫緊の課題だが、リンクにとってはそちらが先だ。大妖精の剣を主力として使うのは、どうもはばかられた。
「山かあ。結構遠いよ。ゼロが起きる頃に戻ってこられなくてもいいの?」
「あいつだって子どもじゃないんだから一人で起きられるだろう」
『それはちょっと冷たくない? 今はアリスもいないのよ』
「えっ……?」
 だんだん冷え切る空気を感じ、ルミナは戸惑ったように二人を見比べる。
「えーと、リンクは山ね。なるほどいいんじゃない? ゼロにはわたしがついてるから大丈夫!」
「……任せる」
 眉間にしわをよせるリンクのもとを離れ、チャットがルミナにすり寄った。
『ねえ、ルミナはめおとのお面を探すんでしょ。アタシもそれについていっていい?』
「え。そりゃもちろん。でもリンクと一緒じゃなくていいの?」
『山で剣の修理なんてつまらないわよ。別にアタシが唯一無二の相棒ってわけでもないし、いつでも一緒にいる必要はないわ』
 リンクはぐっと唇を噛む。反射的に膨れ上がった気持ちを抑えようとしたのだ。
 ルミナは首をかしげて、
「……けんかでもしたの?」
「違う」『違うわ』
 間髪入れずに同じ返事をしてしまった。ルミナは苦笑する。
「そっか〜でも二人とも仲良くしないとダメだよ。ほら、もうすぐ決戦なわけだし!」
 それは重々承知していた。くだらない意地を張っていることは分かっている。
 だが、どうにも割り切れない思いを抱えたリンクは妖精に背を向けた。
「いってらっしゃい」と声をかけたのはルミナだけだった。

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