第六章 二度とない刻のために



「よく来られた、大妖精どの」
 イカーナ城の玉座の間で、イゴース・ド・イカーナ王と向き合う。軽く一礼する彼女の背には、大きな羽が生えている。
 来たるべき戦いに向けて力を貸してほしいと請われ、大妖精はこの国にやってきた。癒やしの力を持つ彼女はおそらく後方支援が主になるだろう。その予想通り、王が紹介したのは音楽家だった。王国には様々な効果をもたらす特別なメロディを研究している音楽家がいる。呪いを解く、魂を癒やすなど、多方面に威力を発揮しているらしい。その効果の検証と効率の改善が大妖精の主な仕事だ。
 一通り話が終わり、王の前を退出する段になって、彼女は大広間を見回した。
「あの、一度こちらの守護神様にご挨拶したいのですが……」
 イカーナ王国には鬼神――荒ぶる神と呼ばれる者がついているはずだった。すると、王の隣に座っていた紫のドレスを着た王妃が、
「あの方でしたら、この時間は外におられます」
「外?」
 なるほど防衛の最前線についているのかと早合点すると、王妃は笑った。
「城から少し離れた場所に丘があります。そこにいらっしゃるでしょう」
 何かを含んだ答えだった。大妖精は内心首をかしげつつ王の前を辞して、そちらに向かった。
 イカーナ王国は緑豊かな土地だった。緑の森、よく耕された畑、立ち並ぶ果樹。整備された水路がそれらを等しく潤している。道を歩いていると、どこか爽やかでいい香りが流れてくる。
 人々を驚かせないよう、妖精の象徴である羽根をしまって、丘を上った。
 てっぺんにひとつだけ根を張った大樹があった。「その人」は木陰にいた。
(……寝ている?)
 太い幹に背中をあずけてうつむいている。まぶたは閉じられ、すうすうと寝息が聞こえてきた。
 彼は防具も何も身につけておらず、金色の剣だけそばに置いていた。銀糸が微風で揺れている。ひどく無防備な姿だった。
「……鬼神様、あの」
 失礼して肩を揺らすが、全く目を覚まさない。
 この方は、イカーナの現状を分かっているのだろうか? 真面目な大妖精はふつふつと腹の底に湧いてくるものを感じる。恵まれた土地もここに生きる人々も侵略の炎にさらされようとしているというのに、のんきに寝ている場合なのか。
 やや乱暴に揺さぶる。やっと、ぴくりとまぶたが動いた。
 穏やかな緋色の目が大きく見開かれる。
「鬼神様」
 少し非難するような声色になってしまった。
「あ……ごめんなさい、オレ寝てました?」
 鬼神はぼんやりと目をこする。鬼神という名の印象より、はるかに温和な印象を受けた。大妖精は何と返答すべきか戸惑った。
「この時間のこの場所って、いい風が吹いてて気持ちよくて。つい昼寝しちゃうんです」
 鬼神はうーんと伸びをした。そして大妖精に向かって片手を差し出す。
「大妖精様ですよね? ご協力感謝します。これからよろしくお願いします」
 おっかなびっくりその手を握った。皮膚が硬い。柔らかい雰囲気とは反対に、戦いをなりわいとする者の手だった。
「こ、こちらこそ……。ですが、そのような呼び方はやめてください。あなたは神の座におられるのですよ」
 神と呼ばれる者たちは、人間や妖精とは明確に区別されている。この世で最も多くの権限と力を与えられた存在なのだ。
 握手した手を離し、鬼神はほほえむ。
「でも、今は一緒に戦う仲間じゃないですか。それにほら、オレだけじゃ頼りないってみんな分かってるから、あなたも呼ばれたんですよ。神とか妖精とか関係なく、これからはぜひ頼らせてください」
 へらへら笑う彼を前にして、大妖精は不安だった。守護神がこんな調子で、この先の戦いは大丈夫なのかと。
 しかしそんな胸中とは裏腹に、手には彼女の知らないあたたかさが残っていた。



「私の名前、ムジュラって言うんです」
 やっと思い出したその名を、ゼロは仲間たちに教えなかった。
 あの少女がムジュラの仮面と関係していることは間違いない。イカーナを裏切った末にどこかで息絶え、いやしの歌を受けるなりして、ミカウのように仮面と化したのだろうか。ともかく、ゼロはこの先で必ず彼女と会うことになる。それは確信だった。
 ぱちり、とまぶたを開ける。珍しくすっきりした目覚めだった。そういえば今日は鐘の音を聞いていない。
 見慣れたナイフの間だ。ここにいるということは、一日目に戻っているはずだった。時計を見るともう十四時である。ゼロは一日のほとんどを寝て過ごしていることになる。
 ふと、違和感を覚えた。部屋が静かすぎる。
「アリス……?」
 続けてリンクやチャットも呼んでみるが、誰も答えない。
 さすがに眠りが長すぎたせいで、皆しびれを切らしてどこかに行ってしまったのかもしれない。ゼロは苦笑しながら、一人きりで身支度を整えた。
 特にアリスは、一番はじめの「一日目」からずっと一緒にいた。目覚めた時にあの青い光がそばにいないのは、本当に久々だった。
 時間も時間なので当然腹は減っている。台所で何か余り物がないか聞いてみよう、と思い行動に移そうとしたところで、ノックの音がした。
「あ、ゼロ! おそよう」
「おそよう……?」
 テンション高く入ってきたのはルミナだった。そばにはチャットもいる。
『アンタ、今頃目を覚ましたわけ?』
「うっ……そうなんだよ」
 この長引く眠りは、ゼロが無意識に睡眠中に記憶を整理しているからでは、とアリスが推測していた。そういえば何度か夢を見た気もする。内容はちっとも思い出せないのだが。
「俺の目覚めが遅すぎて、みんなもうあちこちに行っちゃったのかな?」
「うん……」ルミナはちらりとチャットを見てから、「リンクは剣を直すために山に行ったよ。わたしは、チャットと一緒にお面を探そうと思って」
「チャットと一緒に?」
 不思議に思って目線を向けると、
『鍛冶屋なんかついていっても仕方ないしね。アンタの記憶探しに協力してやるから、感謝しなさいよ』
「あ、ありがとう」ゼロは慌ててぴょこんとお辞儀する。
 チャットと別行動なのは気になるが、リンクの行方は分かった。そちらは心配する必要はないだろう。
「それで、アリスは?」
 ゼロにとっては当然の質問だった。だが、二人がなんだか気まずそうに顔を見合わせたので、まずいことを尋ねたのかと焦る。
「うーんとね、アリスはねえ……」
『町の大妖精様のところに残って、ムジュラの仮面に対抗するための準備をするって言ってたわ』
 チャットが一息に告げた。その声は妙に平坦だった。
 ゼロは紅茶色の目を見張り、大きく息を吸う。
「みんなはもう町の大妖精様に会ったんだね。そっか、それでアリスが手伝いに……」
 大妖精に認められるなんてアリスはやっぱり特別優れた妖精なのだ、と思う。だが、寂しいことに違いはない。
 ルミナは場の空気をなごませるように胸を張る。
「それでね、わたしは大妖精様直々に、町の中にある大きな楽器をさがしてほしいって頼まれたんだー!」
「へえ、楽器? 心当たりはあるの」
「ないよ! これから探す!」
 ゼロはくすりと笑った。チャットはそんな彼に、少し声を低めて話しかける。
『アリスね、アンタに謝りたいって。しばらく会えないから迷惑かけますって言ってたわ』
 ゼロはこっくりうなずいた。
「うん分かった。仕方ないよね、アリスにしかできないことがあるんだから」
 自分が駄々をこねたところで何も進展しない。それが分かっているから、あえて心細さを外に出さなかった。
「とにかく大妖精様が復活してよかったよ」
 プラスの感情だけを言葉にするようつとめる。しかしチャットが詰め寄った。
『アンタはそれでいいの? せめて大妖精様に会ったらいいじゃない。ほら、アンタが復活させたのよ』
「いや、アリスの邪魔するのも悪いし。月さえ止められたら、いくらでも会えるはずだから」
 そう答えても、チャットはまだもやもやしているようだった。
 そこに、ひょっこりルミナが割り込む。
「ねえゼロ、お面はとりあえずわたしが預かっておく……ってことでいいよね? リンクもそう言ってたし」
「あ、うん」
 ムジュラについてもっとよく知りたい。きっと鬼神の記憶の中には、彼女を止めるためのヒントがあるはずだ。今更になって、ゼロはあれほど忌避していた記憶を求めはじめていた。
 だが、それはリンクにきつく止められている。ムジュラの名を思い出した後、「記憶の回収はしばらくやめておけ」とリンクが言ったのだ。ゼロの顔色があまり良くなかったのだろう。実際、体だけでなく心にかかる負担も大きい。
 現在、お面はリンクとルミナで数枚ずつ別々に持っている。月に挑む直前に二人から貰い受けるという約束だ。
「ゼロはこれからどうするの?」
「実は、オレも残りのお面にあてがないわけじゃないんだ。そっちをあたってみるよ」
「了解。別行動になるけど、宿が同じだしまた会えるよね。それじゃあねー!」
 ルミナはすっかり本来の明るさを取り戻したようだった。初めて出会った時、あれほど錯乱していたのが嘘のようだ。
 それは全てリンクの影響による変化だった。かつて別の国で勇者という称号を持っていたためか――否、それはきっとリンク自身の力だ。豊かな経験に裏打ちされた言葉には説得力があり、その行動には心の壁をあっさり超えるような力があって、深く関われば関わるほど他人に与える影響が大きくなる。
 ゼロはそんな彼の手助けをしたかった。ロックビルの神殿の前で抱いた気持ちを新たにして、宿を出た。



 クロックタウン北地区には芝が植えられ、町民たちの憩いの場になっていた。いくつか遊具もあり、公園のようでもある。
 遊具の一つである滑り台の最下段に腰掛けて、ゼロはぼうっと暮れゆく日差しを眺めていた。
「……何しているんだ、こんなところで」
 気づけば目の前にリンクが立っていた。北の山から帰還したのだ。
「あ、おかえりリンク」
 と言うと彼は片眉を跳ね上げ、奇妙な顔をする。
「……ただいま」
 リンクはぼそぼそと答えた。夕焼けに照らされたほおが赤く染まっている。
 いつも隣にいる白い妖精は当然いなかった。お互いに妖精を連れていない状態なのは珍しい。
「チャットはルミナと一緒だったんだよね。もしかして……けんかでもした?」
「断じて違う」
 その強硬な態度から、逆に図星だということが知れてしまう。ゼロは表情を崩した。
「先に謝った方が楽になると思うよ」
「経緯も知らないくせに偉そうなことを言うな。お前こそ、どうなんだ」
「オレがアリスとけんかしたらってこと? それは……確実にオレが悪いでしょ。アリスが間違えたことするはずないから。けんか以前の問題だ」
「それもそうだな」
 リンクはあっさり納得した。ゼロは苦笑するしかない。
「この繰り返しだってもう少しで終わるんだから、早めに仲直りした方がいいよ。今しかチャットと一緒にいられないかもしれない」
 リンクは故郷に帰るんだから。そう言うと、彼は言葉に詰まる。
「……お前はどうするんだ。月の落下を防いだ、その後は?」
「イカーナに挨拶しに行って……その次のことはまだ考えられないなあ」
「俺と一緒に来るか」
 はっとしてリンクを見つめた。彼はあえてこちらに視線を合わせず、空を眺めている。
 思わぬ誘いが心の中に染み渡る。この先もずっと、彼の隣を歩けたら――それは夢見たことすらない未来だった。
 しかし、ゼロは首を振る。
「ハイラルだっけ。リンクの故郷ならきっといい場所なんだろうね。でも……オレはタルミナもまだ全然制覇できてないから、できればアリスと見て回りたいかな」
「……そうだな、それがいい」
 うなずく彼はいつもより小さく見えた。ゼロは声を明るくする。
「うん。ここでリンクが帰ってくるのを待つよ」
 リンクは目を見開いた。うつむいて小さく何かをつぶやき、左手の腕輪をさする。
 次に顔を上げた時には、いつものように強い光を瞳に宿していた。見る度にゼロが頼もしさを感じる凛々しい表情だ。
「そういえば、剣は直ったの?」
「ひとまず預けてきた。その間は、こっちの剣を使うしかない」
 なんだか見慣れないシルエットをしていると思えば、リンクは背丈に迫るほどの長さを持つ剣を背負っていた。
「これどうしたの?」
「……町の大妖精から授かった」
 リンクは何故か言いづらそうにしていた。ゼロを差し置いて先に面会した後ろめたさがあるのだろうか。
「へえー、きれいな柄だね」
 鞘に隠れて刀身は見えないが、実用性よりも装飾性を感じさせる。リンクではなく大妖精の趣味だと言われると納得できた。
「使ってみるか」「えっ」
 ゼロが答える前に、リンクは鞘ごと外して無造作に渡した。
「いいの?」
 と言いつつ抜いてみる。刀身は幅広で、バラの花びらのような意匠が凝らしてある。重量感も申し分なく、軽く触れただけで皮膚が切れそうな切っ先だ。だが、リンクには少し長すぎるように思えた。
 両手で柄を握り、軽く振ってみた。息を呑む。何気なく振り下ろしただけなのに、自分の予想よりも早く剣が動いた。これは剣の持つ威力のせいだけではなく、自分の力が強くなっている? 
 ゼロはぴたりと腕を止めた。魅惑的に輝く刀身を慎重に鞘にしまう。
「いい剣だね。はいどうぞ」
 戻してやると、リンクは物言いたげな顔で見上げてきた。彼がこんなに分かりやすく何かを訴えかけるのは珍しい。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
 なんでもないはずはない。さらに質問を重ねるべきかゼロが迷っていると――
「あいたた! アブナイじゃないか!」
 少し離れた場所でしゃがれ声が上がった。ゼロはどきりとして肩を揺らした。
「モッモノ取りじゃ! ババの荷物返しておくれ!」
「ああ、しまったっ」
 もはやはるか前のことに思える「一回目」の一日目、ここで老婆がスリのサコンに襲われた。ゼロは今回、彼女を助けるつもりで北地区に張り込んでいたのだ。
 これまでの経験やリンクたちの話から、お面を手に入れる近道は人助けをすることだと悟っていた。だから今回、それを実践しようと考えた。
 それなのに、またもやスリを取り逃すわけにはいかない。覆面すらかぶっていない堂々とした泥棒は、ひょこひょこ走って逃げていく。
「あいつは――」
 サコンを見たリンクが眉をひそめる。知っている顔なのかもしれない。
「ゼロ、前を塞げ。俺が後ろから追い詰める」
「分かった」
 二人はすばやく散開した。二手に分かれて行う作戦は、いつしかゼロの得意分野になっていた。
 ゼロはサコンの前に飛び出し、両手を広げて立ちふさがる。
「さあ、おとなしく荷物をおくんだ」
 剣と弓を背負った青年を見て、サコンはたたらを踏む。そして後ろに迫るリンクを確認し――あろうことか、身を翻してリンクの方に突進した。
 リンクは冷静だった。相手の突進をかわしつつ、半歩だけ下がってすれ違いざまに居合斬りをお見舞いする。狙うはサコンの持つ風呂敷だ。神速の剣術は見事に布だけを斬り、サコンは驚いて荷物をその場に落とした。
「よし」と息を吐くが、大妖精の剣で無理に居合斬りを放ったため剣の重さでよろめく。そこにサコンが体当たりを仕掛け、リンクは突き飛ばされた。
「リンク!」
 そのままサコンは西に向かって逃げていく。やはり町の中で追手を巻くつもりのようだ。それを目で確認しつつ、ゼロは草の上に尻餅をついたリンクに駆け寄る。
「大丈夫!?」
「別に問題ない」
 リンクは立ち上がり、ひざの土埃を払った。申告通り、どこも怪我をしていない。
 安堵するゼロたちに腰の曲がった老婆がゆっくり近寄ってくる。リンクは草の上に落ちていた荷物を風呂敷ごと手渡した。
「これでいいか」
「ありがとよ、やっとウチでもボム袋をあつかえるよ。明日にでも店に並べようかね」
 どうも彼女はバクダン屋の人間だったらしい。サコンは火薬が大量に詰まった袋を盗んだのだ。うっかり荷物に矢など当ててしまわなくて良かった、とゼロは内心冷や汗を拭う。
 老婆は風呂敷を背負い直し、はたと気づいて荷物の中からあるものを取り出す。
「そうそう、お礼をしなきゃね。ちょっとアブナイお面だけど、祭りの花火だと思って使っとくれ」
 やはりお面だ――思わず引き寄せられるゼロの前にさっとリンクが入り、代わりに受け取った。
「ありがたく使わせてもらう」
 ちらりとこちらを見る目は「俺が預かる」と告げていた。ゼロは肩の力を抜く。
 そうしてお面をふところにしまいかけたリンクだが、不意にぴたりと固まる。
「……どうしたの?」
 あのリンクが無意味に動きを止めることなどあるはずがない。数瞬後、我を取り戻した彼は慌ただしく自分の体を探りはじめた。
 ゼロは焦りを浮かべ、
「リンク、やっぱり怪我してるんじゃ」
「――ないんだ」
 リンクの顔は、夕日の色を重ねても拭いきれないほど青白くなっていた。
「時のオカリナがない。……盗まれたらしい」

inserted by FC2 system