第六章 二度とない刻のために



「カーフェイから手紙が届いた?」
 一日目の昼、ゼロと別れた直後のこと。情報収集のためにナベかま亭のロビーに降りたルミナは、いきなりアンジュに声をかけられた。
「そ、そうなのよ。ポストマンが突然持ってきて……」
「本物? イタズラじゃないよね」
「だって筆跡が彼のものなの!」
 どうやら本当らしい。ルミナはにわかに色めき立つ。
「で、なんて書いてあったの」
「まだ読んでないわ……」
「なんで!? 早く開けようよ」
 そうね、とうなずきながらもアンジュはまごつき、なかなか行動に踏み切ろうとしない。挙句の果てに「二階の従業員室に行ってペーパーナイフをとってくる」などと言い出したので、ルミナが横合いからひったくって指で破った。
『アンタ、雑な性格ね……』
「い、今は緊急事態だからっ」
 便せんを取り出し、アンジュと一緒に読む。確かに見た覚えのある文字だ。
「アンジュへ。今はまだ顔を見せることはできない。でも必ず帰ってくるから、それまで待っていてほしい」
 要約すると、このような内容だった。
 ルミナは拍子抜けした。
「……これだけ? もっと他に書くことあるでしょ。今どこにいるとかさ!」
『いや、相手は顔見せたくないんだって』
 やいやい言い合う二人を尻目に、アンジュは手紙を握りしめる。そのほおにぽろぽろ涙がこぼれた。
「良かったわ、カーフェイ……!」
 そんな彼女の様子を見て、ルミナも少しほっとしたのだった。
 今までアンジュがこの手紙を受け取ったことはなかったはずだ。何故今回に限ってこのような変化が生まれたのだろう。もし、それが自分やリンクたちの行動が波及した結果であれば……ルミナにとってこれ以上に嬉しいことはない。
「そうだ、この手紙を運んできたポストマンに聞いてみようよ。そしたらカーフェイの居場所が分かるかも」
「でも、まだ会えないって書いてるのよ」
 確かにそうだ。その理由を解明しない限り、今までと同じように結局カーフェイは姿を現さないのではないか。
「直接会うのがダメなら返事を出したら? それくらいは許されるでしょ。ポストマンに預けたら届けてくれるはずだよ」
 アンジュは丁寧に便せんをたたみ、くしゃくしゃになった封筒にしまいこんだ。
「分かった……書いてみるわ。でも、ポストにはルミナが投函してほしいの」
「なんで?」
「どうしても、勇気が出ないの」
 アンジュはそっと目を伏せる。まだまつげに涙の粒が残っていた。ルミナは肩をすくめる。
「まーそれくらいならいいよ。じゃあ、早速返事を――」
「あ、でも今からお掃除しなくちゃいけないの。その後は夕飯の支度があるし、おばあちゃんにご飯を持っていかないと」
 こまごまと用事を数え上げるアンジュは、どうも返事を書くことを忌避しているようである。いい加減ルミナはしびれを切らした。
「そんなんじゃ夜中になっちゃうよ!」
「どのみち、今日の集荷時間は過ぎてるのよ。じっくり考えて、明日出すことにするわ」
 封筒を握るアンジュの手は震えていた。カーフェイを信じるべきか否か、心が揺れている。この手紙には一ヶ月間に加えて、彼女の知らない数回分の三日間の重みがあるのだ。煮え切らない態度も仕方ないのかもしれない。
 夜中の十二時に厨房で会おうと約束して、アンジュは手紙をしまうため従業員室に行った。
 チャットはその頼りない背中を見送りながら、
『ねえ、なんで返事を書かせようと思ったの?』
 ルミナは意地悪な笑みを浮かべる。
「んー? ポストを見張ってたらポストマンが集荷に来るでしょ。で、それを追いかけたら配達先が分かるってことだよ!」
『なるほどねえ』
「昔似たようなことやったんだ。カーフェイと組んで町長宛の手紙にカエル入れて、ポストマン追いかけて反応をこっそり見てさ」
『単なる悪ガキじゃない』
 チャットは盛大に呆れていた。ルミナはからりと笑う。そんなカーフェイももうすぐ結婚だ。一刻も早く直接会って、お祝いと恨み言を伝えたいと思う。
 ルミナはがらんとしたナベかま亭のロビーを見回した。ここに宿泊し、また旅立っていった人々のことを考える。
「今ごろリンクはどのあたりを歩いてるんだろ。明日には帰ってくるかな?」
 チャットは声を硬くする。
『さあ、どうかしらね』
「……ちゃんと仲直りしないとダメだよ?」
『そもそも、けんかなんてしてないから』
 つんけんした態度を崩さないチャットに、ルミナは苦笑する。
「リンクはもうすぐ自分の国に帰るんだよね。早めに話し合っておいたほうがいいと思うよ」
 彼は別の国から来た旅人だ、という話は聞いていた。カーニバルが終わればタルミナにとどまる理由もない。ボンバーズ団員と変わらないような年齢なのに親元を離れて旅をしているということは、何か深い事情があるのだ。そして、きっとそれは永住の地を見つけるためではない。
 チャットは低い声でつぶやく。
『……アイツ、タルミナはただの通過点だって言ったのよ』
 ルミナはぎょっとして目を丸くする。
「リンクが?」
『その前にアタシが余計なこと言ったから、つい売り言葉に買い言葉になったのかもしれないけど。でも……なんでかな、アイツにだけはそう言ってほしくなかったのよね』
 彼の言葉はおそらく本心だろう。だが、ルミナにはチャットの気持ちを理解できた。だから否定も肯定もせず、こう答える。
「リンクはさ、本当はタルミナと何の関係もないのに、こうして助けてくれるんだよね。月のことだけじゃなくて、わたしや一座の仲間たちの個人的な悩みまで解決してくれた。
 いつか帰っちゃう人でも、そこまでしてくれるのは嬉しいよね」
 中でも、とりわけゼロに目をかけているように見えた。事実、彼と一緒に行動するようになってから、リンクの顔から険しさが消え、言葉もやわらかくなった。それは「変わった」というより、本来あるべき姿を引き出されたのだ、とルミナは解釈していた。
 チャットはまだ不服そうだ。
『分かってるわよ。アイツがいなきゃ、弟もスタルキッドも戻ってこないことくらい。でも、だからって何を言ってもいいはずがないわ!』
 妖精はぷんぷん怒りながら宿を出ていってしまう。これは本格的に話し合いの場を持たないといけないのかもな、とルミナはやや真剣に考えていた。



 時のオカリナが盗まれた。
 事実が重くのしかかる。失礼ながら、それはバクダン屋の火薬よりもはるかに重要なものだった。
「きみたち、大丈夫だったかい?」
 うつむいてどんよりしている二人を気にしたのか、北の門番が近寄ってくる。ゼロは慌てて表情を取り繕った。
「ああ、別に怪我はしてません。それよりさっきのスリは――」
「アイツはサコンっていって、たまにこのあたりを荒らしてるケチなスリだよ。もしかして何か盗まれたのか?」
 ゼロは恐る恐るリンクを見やった。うつむき加減の彼は表情を硬くしたままだ。
「サコンがどこに行ったか、分かりませんか」
「マニ屋に盗品を流してるって噂があるけど……残念だが裏がとれなくてね。捜査に踏み込めないんだ」
 なんでもサコンは町への抜け道を知っているらしく、たとえ門を閉めていても入ってきてしまうらしい。
 リンクは無言できびすを返す。ゼロは急いで門番に礼を言い、その隣に並んだ。
「前回、あいつをイカーナ村の手前で見かけた。スリだったのか……そうと知っていれば生かしておかなかったのに」
 物騒なことをつぶやいてこぶしを握る。あまり冗談を言っているようにも聞こえなくて、ゼロの背筋は寒くなる。
「やつはまだ町にいるはずだな。そのマニ屋とやらに行くぞ」
「う、うん」
 場所を知っているゼロが先導した。マニ屋を訪れるのは初めてアリスと出会った時以来だ。あの時、サコンを見失った彼はなんとなく目についた店の扉を開けたのだが、結果的にはそれが正解だったらしい。
「ごめんくださーい」
 相変わらず店内は薄暗く、しかも狭苦しいつくりである。ゼロはリンクに前を歩いてもらい、奥のカウンターに向かった。
「なんや兄ちゃん、今日は掘り出しモンはあらへんで」
 濃い黒色のメガネをかけた店主は、ゼロを一瞥して脇をぼりぼり掻く。
「それに、ここは子どもを連れてくる場所でもないし」
 店主の無遠慮な視線を受けて、リンクは一瞬目をすがめた。
 彼がその鋭い舌鋒を最大限活用して何か言い返そうとした気配を察し、ゼロは急いで身を乗り出す。
「あの、少しお話を聞かせてほしいんですけど」
 同時に、カウンターの上にどんとサイフを置いた。
 この巨人のサイフは商売人に対して切り札になる。彼はアキンドナッツの件からそう学んでいた。
 店主はメガネの奥の瞳をみるみる輝かせた。
「ん? おお、それは――!」
 ゼロはおもむろにサイフに手を入れ、キラキラ輝く銀色の百ルピーを取り出す。いよいよ店主は口をぽかんと開けた。
「ほおー、これが噂の巨人のサイフかいな。兄ちゃん、よほど知りたいことがあるみたいやな」
 と言いつつ、ゼロが置いたルピーをすばやくふところにしまう。
「はい。スリのサコンについてなんですが」
 その名前を出した途端、店主は大きくのけぞった。
「待て待て、故買は善意の第三者や! ワシはなんも知らんのや。流れてきたから買う! これは困っとるお人を助ける慈善事業や」
「どこがだ」
 とリンクが冷え切った声で突っ込んだ。ゼロは笑いを顔に張りつかせながら、
「いや、商売のことをとやかく言いに来たわけじゃないです。オレたち、サコンにものを盗まれてしまったんです」
「ほー、間の抜けた兄ちゃんやな。おっと、これは悪口ちゃうで」
「あはは……」
 リンクから放たれる氷のトゲがゼロの背中にぐさぐさ刺さっている。
「分かった、そのサイフに免じてサコンのことを教えようやないか」
 マニ屋はルピーを手の中でもてあそんだ。
「サコンやけどな、今日はもうアジトに帰ったで。そこで品物を見定めて、明日うちに売りに来るんや。いつもはそういう手筈になっとる」
「アジトの場所は?」
「そこまでは知らんがな。自分で調べるんやな」
 ゼロはぱっと頭を下げる。
「ありがとうございますっ」
「でも店内ではトラブルは厳禁やで。もしここでサコンを見かけても、外でどんぱちやってや」
「はい、もちろんです」
 店主はもうゼロたちに興味を失ったように横を向いた。
「ならとっとと帰る。次は客として来てや」
「はい!」
 ゼロは、未だ沈んだ顔をしているリンクを促して外に出た。
 クロックタウンはもうすっかり夜だった。街灯に火が入っている。初めてアリスと出会った時もこんな時間帯だった、と思い出す。
 今、ここには妖精の代わりに別の仲間がいる。ゼロはリンクの小さな肩を軽く叩いた。
「サコンの情報も手に入ったし、今日はもう休もうよ。明日、マニ屋が開いている時間にここに来て張り込もう」
「……ああ」
 リンクは不満そうだ。もう明後日には月に挑むというのに、今日やったことといえば「剣を鍛冶屋に預けてオカリナを盗まれた」というくらいなのだから、その反応も仕方ないだろう。
「そうだ、ナベかま亭にはチャットとルミナもいるのかな?」
 リンクが足を止めた。じいっとゼロに視線をよこし、無言のまま「嫌だ」と訴えている。
 ゼロはにこりと笑ってから提案した。
「ナイフの間に来る? 毛布を一個貸してもらってさ。オレは椅子で寝るから」
「椅子で?」
「うん。なんか全然眠くないんだよね」
「あれだけ寝たら当然だ」
 リンクは肩をすくめる。
 やがて彼は「お前の申し出を受けないこともない」と曖昧に返事をし、すたすたとナベかま亭の方角へ歩いていった。
 その小さな背中を見ながら、こうして同じ場所で眠るのも最後になるかもしれないと思う。
 来るべき決戦に向けて、自分は果たして何ができるのだろう。長い夜の間にじっくり考えなければいけない。



 二日目になった。
 昨夜は考えごとばかりしていて結局あまり眠れなかったが、ゼロは疲れを感じなかった。これも記憶と力が戻ったことによる作用だろうか。それがいいのか悪いのかは分からない。だが、リンクには黙っていることにした。余計な心配をかけたくなかったからだ。
 朝、身支度を整えたリンクは、山の鍛冶屋がある北門前に立ってゼロの方を振り返った。
「いってらっしゃい」
 その言葉とともに彼を送り出せることに喜びを感じた。もう何度もこうしてリンクを見送ってきた気がする。実際はそれほど回数はないはずなのに、何故かゼロにとってこの構図は実にしっくりくるのだ。
「ああ。行ってくる」
 リンクもごく自然に返事をする。タルミナ平原の向こうに緑の背中が消えるまで、ゼロはその場を動かなかった。
 やがて、短く息を吐いて気合を入れた。行動開始だ。自分の記憶を――ムジュラの仮面に対抗するための力を集めるために、人助けできる機会が多くあるであろうクロックタウンを回るのだ。一晩中考えてもお面集めのためのいいアイデアは浮かばなかったので、とにかく行動するしかない。
 北地区といえば大妖精の泉があるが、つとめて視界に入れないようにする。アリスは今も大妖精の手伝いに励んでいるのだ、相棒の自分が弱音を吐いてどうする。
(でも、アリスがいないと……何をしたらいいか分からないなあ)
 ゼロはこっそり苦笑いした。いつだって彼女が正しい道を教えてくれた。誰かに頼りきってしまうのはよくないことのはずなのに、ついついアリスの示す方針に倣ってしまう。そしてその道は、鬼神として与えられた使命に従うよりずっと、ゼロにとって心地いいものだった。
 洞窟の方に吸い寄せられる視線を無理やり引き剥がし、まっすぐに前を向く。
 これからは、一人で考えて動かなければならない。

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