第六章 二度とない刻のために



 ゼロの決意も虚しく、町を探索しても成果は一向に上がらなかった。焦るばかりで聞き込みにも集中できず、すぐに考え込んでしまって足が止まる。このままでは時間ばかりが無駄に過ぎていく。
(最後の手段を使おう……)
 時計塔の裏手に回る。そこに、例のフクロウ像がまるで周囲に溶け込むように置かれていた。勇気を出してそっと像に触れた。
 しばらくして、ばさばさという羽ばたきの音が上から降ってくる。
「お前さんの方からワシを呼ぶとは。一体何の用じゃ」
 羽根を散らしながら大翼のフクロウが像の頭の上に着地した。ゼロは深呼吸して、心のざわめきを抑えようと努める。明らかに何かを知っている様子のフクロウを、ここで直接問い詰めるつもりだった。
「あなたは、どうしてオレをリンクと会わせたんですか。何か意図があったんじゃないですか」
「ワシとてタルミナの行く末は気になっておった。しかし、ワシの手引きがなくともお前さんたちが出会うのは必然じゃったろうな」
 相変わらず持って回った言い方だ。つまり、タルミナを救ってほしいから二人を引き合わせた、ということになる。そこに嘘は感じないけれど、どういうつもりで何を隠しているのかがいまいち分からないので混乱する。
「あなたは昔からタルミナにいたと聞きました。もしかして、昔のイカーナ王国も見ていたのではないですか。オレが鬼神だってことも……知ってたんですか」
「そうじゃ」
 答えはただそれだけだった。フクロウの真っ黒な目が、苦しい顔をするゼロを見据えている。
 どうして何も教えてくれなかったんだと詰っても仕方ない。山の大妖精は「あのフクロウは見守るだけで何もしてくれない」と言っていたではないか。
 ゼロはキッと顔を上げた。
「オレは今のオレとして、ムジュラを止めたいと思っています」
「ほう。倒すわけではなく、止めると?」
 初めてフクロウの長い眉が動いた。こっくりうなずく。
「だからムジュラに……あの子に何があったか、教えてもらえませんか。イカーナを滅ぼしたことや、今こうして月を落とそうとしていることにも、きっと理由があると思うんです」
 少なくともイカーナにいた時点では言葉が通じる相手だった。彼女が故郷を語る時に見せる顔に含まれた憂いは本物だった。
「ワシにその権限はない……。それに、過去は過去としてワシの目の前を過ぎていっただけじゃ。その道を選んだ心までは、誰にも分からんじゃろう」
 あのフクロウが感情らしきものをにじませている。彼が抱えたやりきれなさが言葉から伝わってきて、思わずどきりとした。
 もはや、これ以上は直接ムジュラに聞くしかない。
 そのためにはどうすればいい。ゼロが彼女と対話しようとしても、そこにリンクが居合わせたら必ず戦いになるだろう。リンクは相手の事情で手心を加えるような性格ではない。
 ならば、リンクよりも先にムジュラに会わなければならない。
(考えるんだ、その方法を)
 フクロウが去っても、ゼロは像の前に立ち止まってじっと考えていた。
 そのうちに睡魔に襲われ、意識が曖昧になる。夜あまり眠れなかったからだろうか。気づいたら、彼は像の横に座り込んだまま船を漕いでいた。
(しまった……!)
 もう夕方だった。慌ててリンクとの待ち合わせ場所に向かう。
 リンクは西地区の門の前で腕組みして待ち構えていた。鍛え直したフェザーソードがその背におさまっている。
「遅い。寝坊でもしたのか?」
「ご、ごめん」
 冗談のつもりで言ったのだろうが、こちらは図星である。リンクは呆れた様子で肩をすくめた。
「なんでもいい。とっととマニ屋で張り込むぞ」
 今日再び町にやってくるはずのサコンを追い詰めるため、ゼロは少し離れた場所で待機を命じられた。リンクは石ころのお面をかぶってマニ屋のすぐそばで見張りをする。
 その瞬間が来るまで、そう長くは待機しなかった。
(……来た!)
 マニ屋の店主の言う通りだ。ひょこひょこ独特の走り方をする男が、あたりを見回しながらマニ屋に入っていった。お面で気配を消したリンクは音を立てずにすばやく近寄ると、ドアの隙間にすべり込む。店内で話を聞くつもりらしい。
(どうかリンクが短気を起こしませんように……)
 ゼロは祈るような気持ちで両手を組み合わせた。店内では揉め事を起こすな、とマニ屋にかたく言いつけられているのだ。
 しばらくして、サコンが出てきた。荷物が減っているかどうかは判別できなかった。ゼロは壁にぴたりと身をつけて隠れる。
 リンクは息を切らして戻ってきた。
「どうだった?」
「だめだ。オカリナは売りに出さなかった。これからやつを追って、アジトを探す」
「分かったよ。ならオレも――」
「お前は町で待っていろ」
 リンクはぴしゃりと遮る。
「これは俺の失敗だから、自分で責任を取る。お前はお面探しを続けるべきだ」
 その瞳にはあらゆる反論を封じる気迫があった。
「……うん。そうするよ」
 石コロのお面をかぶり直し、リンクは小走りで駆けていく。
 壁に寄りかかりながらその背を見送った。ふらつく足がばれなくて良かった。昼寝だってしたというのに、またどうしようもなく眠気に襲われていた。
(ごめん、リンク……)
 ゼロは壁からずり落ちるように倒れ込んだ。



 心の大妖精アリスは長いまつげを震わせた。
 妖精の泉には、まるで鏡のごとくあちこちの景色が写り込んでいた。いくつもの色が重なり合い、虹のように輝いて見える。紫や黄色の光は各地の妖精の泉のものだ。
 グレートベイの紫色は長女、勇気の大妖精。ウッドフォールの桃色は次女、力の大妖精。スノーヘッドの緑色は三女、知恵の大妖精。ロックビルの黄色は四女、魔法の大妖精。そして町には末妹、心の大妖精アリス。
 やっとそろった五人姉妹は、泉を通じて会議を開いていた。
「お元気そうでなによりです、アリス」
 長女が顔をほころばせる。アリスは控えめにほほえんだ。
「いえ……お姉さま方こそ」
「でもさあ、この前会った時は何も覚えてないみたいだったから驚いちゃったよ」次女が目をくりくりさせる。
「その件についてはすみません」
 恥ずかしそうにほおを染めたのも一瞬、アリスはまなじりを決する。
「もう後手には回りません。必ず、ここでムジュラの仮面を封じます」
 ぴりりと空気に緊張が走った。
「まあ、あの勇者がいるならなんとかなるデショ」
 と三女は楽観的な様子だったが、
「油断はなりません。特に彼――鬼神のことがあります」
 と長女が断じた。
 鬼神という名を聞くだけで、アリスの心は震える。身に覚えのない記憶と力に怯えていた彼。使命に振り回され、ロックビルの神殿を目前にして仲間たちから離れようとしていた彼。
 大きな力には、それを自在に扱えるだけの成熟した人格が必要となる。だが、ゼロには――
「ご心配なく。不確定要素には頼りません」
 アリスが言い切ると、泉の水温が冷えたようだった。
「あの力を扱うには、もっとふさわしい方がいます」
 四女の顔色が変わった。
「アリス。きみのそういう強さが妖精の長に選ばれた理由だよ。でも……それでいいの? きみは、その正しさで自分の首を絞めてるんじゃないか」
 そんなことは分かっている。何度も他の方法はないのかと検討したのだ。しかし、自分はこの道しか選べない。一番確実に目的を達成できて、犠牲を最小限にできる唯一の方法を、最善として選び取る。
 アリスは柔らかい面立ちに似合わない、決然とした表情を浮かべた。
「責任はすべて私が負います。ムジュラの仮面を倒すことが、何よりも優先すべきと判断しました。異論はありますか」
「……ないわ、アリス」
 ふっと姉たちの気配が消える。泉から光が消えた。通信が途絶えたのだ。
 アリスは自分がおさめる泉にそっと足を浸した。強力な癒やしの力を持つ泉も、心の傷を治すことはできない。
 決めてしまったことを後悔するつもりはない。姉に言われたとおり、自分の気持ちを置き去りにしてでも目的を遂げるのだ。
 だが胸の痛みはいつまでも引いてくれそうにない。後ろ髪を引かれるような思いがぐるぐると渦巻いている。
 ――もう、ゼロに合わせる顔がない。



 ペンダントを受け取ったルミナがナベかま亭にたどりつく頃には、二日目もすでに夕方になっていた。折しも二階から下りてきたアンジュを見つけ、手を後ろに隠してにやにやしながら近寄る。
「アンジュ、これなーんだ」
 背中からぱっと取り出したのは、預かり物のペンダントだ。
「それは……!」
 アンジュの顔がぱっと輝いた。このところ久しく見ることのなかった笑顔だった。彼女は「ルミナっ」と声を弾ませ友人に抱きついた。
「会えたのね、カーフェイに!」
「うん、元気そうにしてたよ」
 手紙が来た時とは違い、アンジュは心の底から喜び、はしゃいでいる。それだけあのペンダントは二人にとって大事なものだった。言葉よりもペンダント一つの方が、雄弁に思い出を語る時もある。
「それでね、アンジュと顔を合わせるのはぎりぎりになるかもしれないけど、待っててほしいって言ってたよ」
 アンジュははっとしてペンダントを握りしめる。彼女は決意に満ちた表情になった。
「私、宿に残るわ」
 ついにアンジュがそう言い切った。今この瞬間、はっきりと未来が変わった! 確信したルミナはみるみる笑顔になって、
「うんうんそれがいいよ! ね、そのことおかあさんに話しに行こう。わたしも一緒に行くからさ」
「そうね、そうしましょう。
 ありがとう、ルミナ。こんなに嬉しいことがあるなんて、思いもしなかったわ」
「まあね。わたしは人探しのプロだからこれくらい余裕だよ」
『どこがよ』
 とチャットが鋭く口を挟む。ルミナはあははと笑った。
 二人は連れ立ってアンジュの母がいる従業員室に向かう。
 二階の部屋で、母親は大きなカバンに荷物を詰め込んでいた。これはもしや……とルミナは雲行きが怪しくなるのを感じる。
 案の定、アンジュの一方的な宣言を聞いて母親は素っ頓狂な声を上げた。
「町に残る? 何言ってるんだい、もうすぐ正式に避難命令が出るって噂だよ」
「避難命令!?」
 ルミナが知る限り、そんなものが発令されたことはなかった。町長公邸ではカーニバル実行派の委員会と避難派の町兵団が延々と話し合いをしていて、三日目になっても結局答えが出ないのが通例だったのに。ここにきて、どうして避難派が盛り返したのだろう。
 ルミナが度を越して驚いたので、親子にそろって不審がられてしまった。
「え、えーと……避難命令の詳細って分かりますか?」
「いいや。あくまで噂だからね。でもあんたのところの座長が言ってたんだよ」
 ゴーマン座長が! もしやその噂はアロマ夫人経由なのか? せっかくカーニバル興行ができることになったのに、どうして……。
「そ、そうなんですか。なら、町長さんに話を聞きに行こうかな。あ、でも今日は受付時間終わっちゃったから、また明日にでも――」
 ルミナは人々が積極的に避難すること自体には賛成だった。だが、残りたいと思っている者まで避難を強制するとなると、話は違ってくる。
 カーフェイは「最期を一緒に迎えたい人がいる」と言った。その時を待つ場所については言及しなかったけれど、クロックタウンを想定しているに違いない。彼の思いは尊重されてしかるべきだった。もちろん、リンクがいる限り「最期」なんて訪れないとルミナは確信しているが。
 ルミナも大妖精に任された仕事があるので町に残る必要がある。強制退去だけはなんとしてでも阻止しなければいけなかった。
「分かったわ、明日ね。町長さんのところには私も行くわ」
 相槌を打つアンジュの顔はどこか凛々しい。婚約者が自分に「待っていてほしい」と言った――ただそれだけで、こんなにも変われるなんて。ルミナは胸がいっぱいになる。
 町長にとってアンジュは未来の家族だ。彼女が一緒にいたらスムーズに話が進むだろう、とルミナにしては珍しく打算が働いた。
(まずはその前に座長を問い詰めないと)
 従業員室を出た彼女は、短い廊下を走破して一座のいる大部屋に突入した。
「座長! これから避難するって、一体どういうことなの」
 テーブルについていたゴーマン座長は平静だった。ミルクバーで管を巻いていた頃とは違ってその瞳には理性の輝きがある。少なくとも、全てをなげうってゴーマントラックに行くつもりではないらしい。
「ルミナも噂を聞いたのか」
「だってカーニバルの公演やるんでしょ。ダル・ブルーの前座だよ! それなのに避難って……おかしいよ」
 ルミナは真正面から文句をぶつけた。「前回」はあんなに感動してたじゃない! と言いたくなるのをぐっと抑えた。
 座長は諭すように太い眉を上げた。
「だがな、公演だって座員たちの命には変えられない。もし何もなければ戻ってきたらいいさ。準備はそれからでもできる」
「そうだけど……」
「とにかく、ワシらは明日避難するからな」
 妙に物分かりが良くなってしまった座長に戸惑う。正論すぎて言い返す隙がない。
 唐突にルミナは悟った。「避難したくない」「カーニバル公演をやりたい」という彼女のわがままを、なんだかんだいって座長はずっと受け入れてくれていたのだと。ゴーマン座長は好き勝手行動するルミナを切り捨てるようなことは決してしなかった。その思いを受け取れば、座員の安全を確保したいという座長の気持ちを否定することはできなかった。
 全ては明日、アンジュに賭けるしかない。今回ばかりは円満に仲間と別れたかった。

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