第七章 月と星



「勇者、って知ってますか?」
 死神と名乗る少女は、とっておきの話をするように声をひそめた。
 夜だった。城のバルコニーから見える在りし日のイカーナ王国は、穏やかな闇に沈んでいる。時たま家の明かりが目に入るが、数は多くない。皆寝入っているのだろう。
「勇者? 聞いたことないなあ」
 鬼神と彼女は二人きりで夜風に当たっていた。「話をしたい」と死神に誘われたのだった。
「最近人間たちがウワサしてるんですよ。ほら、戦が近いじゃないですか。だからかなあ。大きな戦いがあると、人間の中から特別強い者が出てきて、敵を倒してくれるっていう……民間信仰みたいなものですね」
「へえ」
「人間たちの言い伝えでは、勇者はあの一番強く輝く星に選ばれて生まれてくるらしいですよ」
 彼女は空の一点を指差す。今夜は月が見えない分、その星はひときわ明るく見えた。
 淡々と話しているようで、彼女の口調はどこか苦い。柳眉もわずかにひそめられている。どうも、彼女はその言い伝えをあまり良く思っていないようだ。そう指摘すると、
「だって、我々みたいに神の座にある者ですら、役割分担して仕事をこなしてるんですよ。それなのに、弱っちい人間がたった一人に頼りきるなんて……。勇者みたいな都合のいい存在、いるわけないじゃないですか」
 彼女は神と人を明確に区別して考えていた。人間たちは我々なしでは何もできないのだから、目一杯施してやるべきだと主張していた。一方の鬼神は、芸術や農耕など様々な方面において才能を発揮する人間たちを、素直に尊敬していた。むしろ、戦い以外の才に恵まれなかった自分の評価が低かった。
 鬼神は手すりに肘をのせる。
「そうかな……。勇者って、人間らしい考えだよね。みんな不安なんだよ。誰か一人でも思いを託せる存在がいるのは、いいことじゃないかな」
「どうせ一人に全部押し付けて、戦いが終わったらポイするんですよ。人間なんてそうするに決まってる」
 死神は苛立ったように小石を拾い上げ、虚空に投げた。子どもっぽい仕草に鬼神は苦笑した。
 そして、星々のきらめきに手をかざす。
「もし、そういう誰か一人に全部任せるしかなくなったら……弱い人々はどうすればいいんだろう」
「さあ? 精一杯応援するとか、せいぜいその功績を残して伝説にしてあげるとか。勇者の働きに見合った報酬が用意できるかは、はなはだ疑問ですね」
 吐き捨てるように言って、死神はぱんぱんと手をはたいた。手すりから離れる。
「まあ、この戦いだって我々だけでなんとかすれば、そういう存在も必要なくなりますよ。鬼神さんさえいれば問題なしです」
「うん……そうだね」
 事実、イカーナ王国には勇者など現れる兆しはないし、現状はここにいる者だけで戦いを終わらせなければならないのだ。
(勇者……かあ)
 死神の気まぐれな話が終わっても、その単語は心のどこかに残り続けた。



 やっとまぶたが開いた。赤く燃える瞳を見て、大妖精アリスはわずかに息をつく。
「大妖精、様……」
 満身創痍で死の淵に足をかけていた鬼神が、それでも身じろぎしようとした。
「まだ起き上がらないでください」
 アリスは手に治癒の力を送り込みながら、鬼神の負傷した腹部をきつくおさえた。衣の裾までぐっしょり血で濡れていた。
 大妖精の泉に連れ帰れば完全な治療ができるが、時間がかかる。そして、鬼神はそれを良しとしないだろう。
「死神さんは……?」
 かすれた声で尋ねる鬼神に、アリスは唇を噛み締めて答える。
「彼女は我々を裏切りました。いいえ、はじめから敵だったのです」
 鬼神はどこかうつろな顔で聞いていた。
「彼女はあなたを真っ先に手にかけました。そしてガロたちと呼応して決起し、今王国は敵の軍勢に押されています」
 できるだけ気持ちを抑えて話したつもりだが、どうしても悔しさがにじんでしまう。
 もっと早く死神の正体を見破っていれば。こちらを見る冷たい瞳の真意に気づいていれば――アリスの後悔は尽きない。
 だが、鬼神の抱く思いはまた違った。
「ごめん。反撃……できなかったんだ」
 そうだろうと思った。たとえ死神が隙を見せる瞬間があったとしても、鬼神は彼女を相手に剣を振るえなかっただろう。だから死神は最初の犠牲に彼を選んだ。そして、アリスが駆けつけなければそのまま命を散らしていた。
 どうしてと言いたくなる。相手は裏切り者なのだ、情けをかけるべきではない。それこそ心を鬼にしてかからなければいけない敵なのに。
 アリスの気持ちが手のひらから伝わってしまったのかもしれない。
「そうだよね。オレが責任をとらないと」
 鬼神は膝に力を込めて、立ち上がった。かろうじて傷はふさがっているが、体力が戻ったとは言い難い。
 王国のあちこちで煙が上がっていた。そのうちの一つに目を向ける。
「鬼神様!」
 アリスはとっさに彼の腕をとった。驚いて固まる鬼神の手首を引き寄せ、持っていた紐を結ぶ。
「これは?」
 黒っぽい糸で編み込まれた光沢のある紐だった。光の加減によっては紫色にも見える。
「魔力を込めた私の髪で編みました。回復と守りの効果があります。その、気休めかもしれませんが……」
 鬼神は青ざめた顔でほほえむ。こんな時なのに、アリスは思わず見とれてしまった。
「そんなことない。とても心強いよ。ありがとうアリスさん」
 ぽっと胸に火が灯った。鬼神は彼女の幼名を覚えていてくれたのだ。
 そうだ。いつか、アリスが彼に名前をつけてあげるのだ。まだその約束を果たしていない――こんなところで力尽きるわけにはいかない。
「私は音楽家のところに向かいます。かねてから開発していた切り札を使えるのは、彼らだけです」
「オレは、ムジュラを止めに行く」
 アリスはその隣に並び立つことはできない。ただ鬼神を見送ることしかできなかった。
「どうか――ご無事で」
 二人の道は別れた。あちこちに火の手が上がっているのが見える。鬼神と出会ったあの丘もきっと、もう……。
 アリスは少しだけこぼれた涙を拭い、羽根を出して空を飛んだ。



「リンク、ごめん!」
 顔を合わせるなりルミナは頭を下げた。
「わたし、持ってたお面を全部ゼロに渡しちゃったんだ。それでゼロ、先に時計塔に行っちゃったの」
 大翼の歌でフクロウを呼び、大急ぎでサコンのアジトから町まで帰ってきた。しかしもうカーニバルははじまり、ゼロの姿は消えていた。
 もしや間に合わなかったのかと青ざめる。いや、まだ月は落ちていない。いくらでも取り返せるはずだ。
 無言で南広場に向かうリンクへ、ルミナが声をかけた。
「あのさ……リンク、本当に欲しいものは怖がらないで掴んでいいんだよ。きみにはそれだけの力があるんだから。今度こそ手離さないで。絶対に取り返して」
 いきなり何を言い出すのか、という疑問は喉の奥に飲み込んだ。七年後のハイラルから戻ってくる時、姫に言われたことを思い出したのだ。
 忘れてしまった大切な記憶と時間を、どうかその手に掴んでください……! 
(そうか、やはりルミナは――)
 己の中で確信を深め、黙ってうなずいた。チャットも茶化すことはなかった。
 ルミナの言葉を反芻しながら、リンクは時計塔の階段を上っていく。
 時計塔の扉はカーニバルの当日、午前零時にならないと開かないという。初めて聞いたときはおかしなしきたりだと思ったが、それはこの時のためにあったのかもしれないと思った。
 一歩一歩、階段を上りつめる。
 前にここに来た時から一体何日経ったのだろう? 長く、濃すぎる三日間だった。
 ウッドフォール、スノーヘッド、グレートベイ、ロックビル、そしてクロックタウン。それぞれの場所で出会った人々がいる。たとえ相手が覚えていなくても、リンクの胸には確かに思い出が刻まれている。
 サコンのアジトで、チャットに「アンタは会った時とずいぶん変わった」と言われた。それがどういう意味合いなのか自分では分からないけれど、今のリンクは前より少しだけ深くタルミナを知っている。出会った人々の顔を覚えている。
 だから、ここに生きる人々が月によって理不尽に滅ぼされていいわけがないと言い切れる。
 最後の段差を踏んだ。円形の舞台の上に、スタルキッドが浮かんでいる。
 リンクはその小鬼を――とりわけムジュラの仮面を強くにらんだ。
「ネエちゃーん!」
 懐かしい紫の妖精がスタルキッドの影から飛び出してくる。
「トレイル……!」
 チャットにとっては久々に再会した弟だった。彼女の声は、どこか胸に迫るものがある。
「沼・山・海・谷にいる四人の人たち……はやくココに連れてきて……」
「余計なこと言うな、バカ妖精!」
 小鬼の手のひらでトレイルが弾き飛ばされる。チャットはいきりたち、しかしあえてその怒りを抑えるように、
「もうアンタの思い通りにはさせないわ!」
 と叫んだ。
 思い返せば、トレイルのこの言葉がなければ、リンクの旅路ははじまってすらいなかった。姉も知らないようなことを、どうしてトレイルが助言できたのだろう? もしかすると、スタルキッドと過ごす三日間のうちに、小鬼が何かヒントを漏らすことがあったのかもしれない。とにかくリンクはこの言葉に導かれて時計塔に戻ってきた。
「……まあいいや。いまさらアイツらが来てもオイラにかなうわけないさ。さっき来たやつだって――ヒヒッ」
(さっき来たやつ?)
 リンクは嫌な予感がした。該当するのは一人しかいない。
 加えて、スタルキッドは巨人と知り合いに違いなかった。ロックビルの神殿で巨人に聞いた話からすると、かつては友だちだったのだろう。何があって関係がこじれたのかはリンクが知るところではない。しかし、その心の隙にムジュラの仮面がつけこんだのだ。
「上を見な! 止めれるもんなら止めてみろ!」
 スタルキッドは空を割るような高い雄叫びを上げた。すると、視界を埋め尽くすほどに大きな月が呼応し、いっそう圧を増して時計塔を目指す。
 リンクはすばやくオカリナを構えた。誓いの号令の譜面を思い出しながら、慌ただしく思考する。
(ゼロは一体どこに行って――まあいい、あいつを探すのは後だ)
 彼が単独行動をするとろくでもないことになる、というのはイカーナでの経験によるものだ。行方が気になって仕方ないが、今は月を止めることを優先する。
 たった六つの音からなるメロディこそが、誓いの号令と呼ばれる合図だった。いにしえから伝わる巨人との取り決めだ。
(さあ、どうなる)
 オカリナの音色がタルミナ中に響き渡っても、しばらく周囲に変化はなかった。じれったい間が流れる。
 どしん、と地面が揺れた。月のせいではない。その証拠に、空中にいるスタルキッドすらうろたえている。
「アイツら――まさか!」
 スタルキッドが何かを思い出したかのように叫んだ。その声は誓いの号令を追いかけるように四界のすみずみまで届いていく。
 リンクはぐるりとタルミナを見渡した。あの四人の巨人が、平原に忽然と姿を現していた。
(来た!)
 タルミナの中心である時計塔から、東に百歩、西に百歩、北に百歩、南に百歩。それぞれおさめるべき地方に散っていた四人の巨人が、同じ歩数をかけてこちらに戻ってくる。
 巨人は町を囲む壁の外側に立った。そして、炎と衝撃波をまとう月へと両手を伸ばす。
『月を支える気なの!?』
 まさかここまで直接的に助けてくれるとはリンクも思っておらず、驚きで声も出ない。月の力はすさまじいものらしく、巨人の長い足ががくがく震えていた。わずかな不安が心に宿る。時計塔が崩れないのが不思議なほどの振動で、町の石畳がいくつも割れているのが見えた。
 こうなれば巨人を信じるしかない。リンクは固唾をのんで空を見上げた。
(止まれ……!)
 やがて、目に入るものすべての動きが止まった。
 月の両目から光が失せる。巨人たちは、まるで柱のように月を支えたまま固まった。
『と……止まったわ』
 チャットの声で、やっとリンクも我に返った。
『やった、止まったのよ!』
 姉は真っ先に弟のもとに駆けつけ、弟も彼女を迎えるように宙を飛ぶ。
『ネエちゃーん!』『トレイル!』
 再会を果たした妖精たちは踊るようにくるくる回った。
「良かった、間に合った。巨人たちの叫びがスタルキッドにきいたのね」
 当のスタルキッドはというと、床に落ちて伸びていた。リンクも月と巨人の対決に目を奪われていたため、小鬼が落ちる瞬間を見ていなかった。そちらから殺気や邪気の類を感じなかったこともある。
 チャットは小鬼に刺々しい視線を向けた。
『ちょっとスタルキッド! アンタ何しようとしてたのか分かってんの!』
『待ってよ、ネエちゃん。そんなにスタルキッドを責めないで』
 弟が弱々しく反論した。
『トレイル、何かばってるのよ! あんなにバンバンぶたれて悔しくないの?』
『寂しかったんだよ……スタルキッド』
『世界を滅ぼそうとしたのよ! だだっこのレベルじゃないわ、許せないわよ』
 トレイルは知りようがないことだが、スタルキッドは四界にもあまねく手を出していた。ウッドフォールを毒沼にし、スノーヘッドを雪で閉ざし、グレートベイでは海賊をそそのかし、ロックビルに呪いをばらまいた。チャットはそれを身をもって知っているだけに、怒りを抑えられないのだろう。
『仮面の力がそうさせたんだ。スタルキッドが使うにはあまりにも大きすぎたんだよ』
『身の程を知らないからよ。気がちっちゃいクセに……バカなんだから、モウ!』
 その時だった。突然スタルキッドの体から邪気が膨れ上がった。リンクはとっさに妖精たちの前に出る。
「確かに力を使うには、荷が大きすぎたようだ……」
『そうよバカを認めなさい! ……え?』
 リンクたちが見つめる先で、ムジュラの仮面が宙に浮かび上がる。仮面からぶらさがったスタルキッドの体は力なく揺れていた。
「使えない道具はタダのゴミでしかない」
 ぱきりと乾いた音がして仮面が外れた――否、スタルキッドが床に落とされた。駆け寄る暇もなかった。
「この者の役割は、もう終わった」
 低い声はムジュラの仮面そのものが発していた。
「やっと正体を現したな」
 リンクはいつでも剣を抜けるように身構える。
『まさか! じゃあ、あの月は?』
 真下を向いた月の口から、魔力をまとったもやが降りてきた。つうと空を飛んでそこに入ったムジュラの仮面が、月の中に吸い込まれる。
「逃げるのか!」
 追いかけようとしたリンクの頭上で、月の両目に光が戻った。
「オ、オデは……食う。ぜ、ぜんぶ……食う」
 仮面とともに月が力を取り戻した。再び圧力を増してタルミナに襲いかかる。巨人たちが必死に支えるが、先ほどのように姿勢が安定することはなかった。これではいつか潰れてしまうだろう。
『わああああ、もうダメ……あ、アンタどうするのよ』
 リンクのにらんだ先に、ムジュラの仮面が使った魔力の流れがまだ残っていた。
 アリスが言っていた「ムジュラの仮面に対抗するための準備」は、まだ効力を発揮していない。おそらく、この後のために備えているのだろう。
 リンクは凪いだ視線をトレイルに向けた。
「俺の前に、ここに誰か来なかったか」
『あ……うん。銀髪の人が来たよ。でも、スタルキッドと――今思うとあの仮面と何か話して、すぐ消えちゃったんだ。あの月へ』
「やはりそうか」
 魔力の流れへと一歩踏み出す。チャットがすかさず隣についた。
『あーあ、やっぱりそうなるのね! アンタとずっといて思ったけど……こういう危険には、自分から飛び込まないと気がすまないようね。ホトホト感心するわ』
 うんざりしたような口調は、しかし本心ではない。彼女は声色を和らげて付け加える。
『アタシも行くわよ。もうどこでもついていってあげるわよ!』
「ありがとう」
 チャットは照れたように一瞬赤く染まった。
『ボクも行く!』
 すると、弟までもがついてきた。
『何言ってるのトレイル!』
『ボク、もう逃げてばっかりはイヤなんだ! ボクがしっかりしていればスタルキッドだって――』
 チャットは倒れた小鬼をちらりと見やる。
『アンタは、スタルキッドを見ていてあげて。安心しなさい。ネエちゃんにまかしときな!』
 そう言われてしまうと弟は引き下がるしかなかった。
『う、うん……気をつけて』
 その声に送られながら、チャットはひとりごちる。
『しばらく見ないうちに、誰かみたいにナマイキなことを言うようになったわね。ホントに二人ともバカなんだから……』
 リンクの耳はたまたまそれを拾ってしまった。その二人が誰なのかは、聞かないでおいた。
「行くぞ、チャット」
『ええ』
 意を決して魔力の中に踏み出す。不可思議な上昇力が巻き起こり、リンクの体は月に向かって吸い込まれる。
 ほんの一瞬だけタルミナ全土が見渡せた。平原に散った小さな影たちは、避難した住民だろうか。今頃不安を抱えて空を見上げていることだろう。
 リンクはその一人ひとりを助けたいなどと、大それたことを考えているわけではない。お面屋との約束を果たすために行動しているのは、はじめからずっと変わっていない。
 ただ、ついでにちょっとタルミナを救ってしまおうと考えているだけだ。



 月迫るクロックタウンの空を、巨人の足が横切っていく。
 その非日常的な光景を、ルミナは他の人々と同様に度肝を抜かれて見守った。顔のある月が浮かんでいる時点で十分非日常なのだが、そちらには一ヶ月と何回かの三日間をかけてある程度慣れていた。しかし、この光景は予想だにしなかった。
 巨人は四人いて、それぞれ東西南北からやってきた。昔アンジュの祖母から聞いた話を思い出す。つまりあの巨人はタルミナの守護神なのだ。
 巨人たちがやってくる直前、リンクがいつも吹いているオカリナの音色が聞こえた。知らない曲だったけれど、それで巨人を呼んだのだろう。月を止める方法とはこのことだったに違いない。
(お願い、神様……!)
 この時ルミナは北地区にいた。未だ楽器を見つけられていないことについて、大妖精に頭を下げに行く途中だった。
 巨人は短い腕で月を支え、長い足を開いて踏ん張る。ルミナは草の上にしゃがみこんでその奮闘を注視した。
 永遠とも思える時間ののち、空気が静止する。音が聞こえなくなる。
 月と巨人は彫像のように動かなくなった。
「やった。止まったっ!」
 思わず立ち上がり、一人で小躍りした。そばにいた門兵と抱き合いたい気分だった。
 だが、ルミナの喜びはあっさりしぼんでしまう。また月が動き出したのだ。
「え、どうして!?」
 しかも今度は巨人もじわじわ押されているではないか。
(リンクたち、まさか負けちゃってないよね……!?)
 時計塔にいるはずの友人に思いを馳せ、手に汗握る。何もできない自分がもどかしかった。
『ルミナさん』
 すぐそばで、聞き慣れた声がした。
「アリス!」
 久々に会った気がする。彼女は大妖精の手伝いをしていたはずだが――
 そこでルミナははっとする。
「あのね、わたし、まだ大妖精様に頼まれた楽器を見つけられてなくて……ごめんっ」
『いえ。私こそ、任せきりにしてすみませんでした』
 なんて丁寧な妖精だろうと感動する。しかしアリスの言い回しが気になった。まるで彼女自身がルミナに頼んだようではないか。
 この世の終わりのような風景の中でも、アリスは驚くほど落ち着いている。
『実は、あの月の中まで届くような音を出せる楽器を見つけたいのです』
「えーっ!」
 アリスの発言はルミナの予想をはるかに超えていた。そんな規模のものが町の中にあるのだろうか。思わず考え込んでしまう。
『あの、ルミナさん……』
「ごめん。こういう時は、もっと物知りな人に聞いてみよう」
 それは最後の手段として、常に頭の中にあった考えだ。昔イタズラで一緒に遊び回っていた頃から、彼はクロックタウンの中で知らない場所はないというほどの物知りだった。
 ルミナは巨人と月から目を離すと、一心不乱にナベかま亭に向かった。

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