第七章 月と星



「私のこと、思い出してくれました?」
 視界の隅がぼんやりと空気に溶けるような不思議な空間で、彼女は薄く笑っている。イカーナ王国にあった緑の丘と、この場所はそっくりだった。
 喪服を着た少女はあらゆる思い出が残るこの丘で、ずっと鬼神を待っていたのだろう。鬼神が好んで昼寝をし、そして死神と出会った場所。ここは二人がたくさんの言葉をかわした、懐かしき時代の象徴だった。
 ゼロはゆっくりと首を左右にふる。
「全部じゃないけれど。……あなたがムジュラさん、だよね」
「ええ、そうです。私がムジュラ。まったくもう、長いこと待たせてくれましたね」
 彼女は不気味なほど穏やかだった。スカートの裾をつまんで、優美に立上がる。
「オレはあなたとずっと話がしたかった。なんであんなことをしたのか……イカーナを滅ぼしたのか、聞きたかったんだ」
「だから一人で来てくれたんですか? ありがたいことですね」
 ムジュラは腰まで伸びた蜜色の髪をばさりと手でかきあげた。
 ルミナからお面を受け取ったゼロは、リンクに先んじて時計塔を訪れた。そこでスタルキッド――否、ムジュラの仮面に案内され、月の中に招かれたのだ。
 あの不気味な月の中とは思えないほど、のどかな草原が広がっていた。ここはムジュラの思い描く世界なのだろう。
「しかし、そう言われましても……あの国が滅びたことは、今となっては大して重要じゃありません。イカーナだけでなく、この場所は――タルミナとも呼ばれるこの世界は、二度滅びていますから」
 どういうことかと問う前に、空間に揺らぎが発生した。新たな気配をはっきりと感じる。
「リンク……!」
 まだ姿は見えないけれど、彼も月の中に来たのだ。ゼロが歓喜に湧く一方で、ムジュラは眉をひそめた。
「あんなヤツのことは忘れてください」
 目の前に檻が降ってくるように、別の空間が現れてゼロの行く手を阻んだ。気づけば、海の中のような暗さと波打つ光に満ちた部屋にいた。壁には円形の魔法陣が四つ浮かんでいる。先ほどよりも視界のぼやけ方がひどくなる。目の焦点が合わず、くらくらした。
 リンクの気配はもう感じられない。完全に別空間に遮断されてしまったようだ。
「こんな機会を邪魔するなんて野暮なんだから。二人っきりでお話ししましょうよ」
 ムジュラは愛おしげにほほえむ。しかし、その視線は一瞬でも隙を見せたら切り裂かれそうなほどに鋭い。
「ねえ、鬼神さん」
 ゼロと彼女はそっくり同じ、紅色の目をしていた。



『ここ、本当に月の中よね……?』
 チャットが疑うのも無理はない。ムジュラの仮面を追って月の中に突入したリンクは、どこまでも広がる草原の中にいた。抜けるような青空からは小鳥のさえずりすら聞こえてくる。目の前にはなだらかな丘があって、頂点に一本だけ大樹が生えていた。どこかでこの景色を見た気がしたが、思い出せない。
 リンクは黙って正面にある木を目指した。
 一定以上遠景になるとぼやけて見えるため、この空間が幻術の類で構成されていることは間違いない。一見平和そうでも決して油断ならない場所だ。気を引き締めた。
『誰かいるわよ』
 木の下で、白い服を着た子どもが走り回っていた。同じ背格好の子どもが四人。こちらを見つけて駆け寄ってくる。
 四人はそれぞれ、各地の神殿で倒した魔物の亡骸をかぶっていた。
『げーっ何よこいつら』
 子どもたちはあっという間にリンクを取り囲んだ。思わず剣を抜くが、お構いなしに近づいてくる。
「やあ、いい天気……だね」
「たくさんお面、持ってるね。キミもお面屋に……なるの?」
 ぼそぼそと気色悪い喋り方をする。リンクはお面など見せていない。それに「キミもお面屋になる」とはどういう意味なのだ。疑問が一気に湧いてきて、無遠慮に伸ばされた小さな手を振り払う。
「ねえ、遊んでやるから……お面、ちょうだい」
「断る。これはあいつに渡さなければならないんだ」
 相手の手が届く範囲から身を引いたはずだった。しかし、見ればオドルワの亡骸をかぶった子どもがゲーロのお面を手にしていた。
(いつの間に……!?)
 他の子どもたちも同じようにリンクのお面を奪い、ケタケタ笑いながら逃げていく。
「かくれんぼ、しよう……。ボクたち隠れる……から」
「待て!」
 急いで白い背中を追ったはずだった。一瞬後、リンクは見知らぬ場所にいた。ウッドフォールの神殿とどこか似ている、暗くて植物のにおいがする場所だった。
『ど、どうするのよ……』
 チャットはすっかり気味悪がっている。リンクだって鳥肌が立って仕方なかった。しかし、激しい苛立ちがその気持ちを覆い隠す。
「かくれんぼとか言っていたな。きっと、お面を持ったやつがどこかに隠れているんだ」
 リンクはデクナッツの仮面をかぶった。すでに視界の中にデク花を見つけていた。
「最速で見つけ出す。かくれんぼも鬼ごっこも、俺は地元じゃ負けなしだった」
 自分に言い聞かせるようにそう言って、リンクはデク花に潜り込んだ。
 いくつもの奈落を越えて、やっとたどり着いた最深部。小さな部屋の中にオドルワの亡骸をかぶった子どもが座っていた。デクナッツの仮面を脱いだリンクはつかつかと歩み寄り、その手にあるゲーロのお面をひったくる。抵抗はされなかった。
「ねえ、聞いて……いい?」
 その代わりに子どもは口を開く。
「キミの友だちは、どんな……人? その人は、キミのことを友だちと思ってるのかな……」
「何の話だ」
 友だちと聞いて、真っ先に思いついたのは離れていった青い光のことだった。
 かけがえのない友人だと思っていたのに、どうしていなくなってしまったんだ――その思いは今でもずっと引きずっている。
(今はそんなことを考えている場合じゃない……!)
 耳を貸すべきではないと分かっていても、子どもの声はリンクの過去を刺激する。
 いつしか、リンクのまわりを他の亡骸をかぶった子どもたちが取り巻いていた。彼らは次々と言葉を浴びせてくる。
「キミの幸せって、どんな……こと? キミの幸せは、他の人も幸せなのかな……」
 七年後のハイラルをさまよった日々で、リンクにとっての幸せという概念は壊れてしまったのかもしれない。それからは自分だけではなく、他人の幸せだってよく分からなくなった。
「正しいことって、どんな……こと? 正しいことをすると、本当にみんな喜ぶのかな……」
 使命に従い魔王を打ち倒すことが正しいのだと信じてきた。だが、正しいことをしてもすぐに送り返され、誰かが喜ぶ顔を見たことはなかった。
「キミの本当の顔は、どんな……顔? お面の下の顔が、本当の顔なのかな……」
 誰も見たことがない本当の自分の顔。七年を旅して戻ってきたリンクを、本当の意味で知る者はいない。
 今子どもたちが吐く言葉は、どれも過去の亡霊を呼び覚ますものだ。精神に揺さぶりをかけるため、わざとこういう言い回しをしているのだ。しかし、そうと分かっていても、リンクには苦しい台詞ばかりだった。
 剣を持つ手に力が入らない。一刻も早く亡骸の子どもを黙らせてお面を取り返したいのに、胸の中で黒いもやが渦巻く。
 後悔に苛まれ、うつむくリンクの眼前に、ぽっと白い光が灯る。
 それは追いかけても手に入らなかったあの光ではなく、いつだって手元に戻ってきてくれる心強いきらめきだ。
『しっかりしなさい、リンク!』
 チャット。このタルミナで仮の相棒関係を結んだ妖精だった。彼女はこの瞬間、初めてリンクの名前を呼んだ。
 リンクはカッと目を開いた。
『友だちならアタシがいるでしょ。妖精が嫌ならゼロとかルミナだっているじゃない。みんな、アンタのことを友だちだって言ってくれるわよ』
 それはオドルワの亡骸をかぶった子どもに対する反論だった。
 続けてゴートの亡骸の子どもに、
『幸せがどんなことなのかピンときてないの? なら教えてあげるわ、アンタってどうしようもなく人助けが好きなのよね。本当は助けた相手の喜ぶ顔を見るのが何より好きなのよ。そうしたら自分も幸せな気分になるから』
 次はグヨーグの亡骸の子どもに、
『正しいことっていうなら、今ここでムジュラの仮面を倒すことは絶対に正しいわ。そうじゃなきゃタルミナに月が落ちるのが正しいってことになっちゃうからね。アンタは正しいし、あの仮面を倒せば少なくともアタシは喜ぶわよ!』
 最後にツインモルドの亡骸の子どもに向かって、
『アンタの本当の顔はどこかに隠れてるわけじゃないの、今ここにある顔よ。たとえ仮面をかぶって変身しても別人になるわけじゃないわ。嫌になるほど表面にアンタ自身がにじみ出てるから、安心しなさい』
 彼女はきっちり異議を唱える。
「チャット……」
 こうしてタルミナの冒険をともにした相棒がそばにいるというのに、リンクは過去にばかり引きずられていた。
 まばたきしたリンクの瞳に力が戻る。チャットに言い負かされた子どもたちはいなくなり、その場所には奪われたお面が落ちていた。
『なあんだ、ちょっと喋っただけですぐにいなくなったわね』
「それは、お前の言葉にあいつらを倒せるくらいの力があったからだ。……ありがとう」
 こんな時だというのにリンクは表情を緩める。チャットはむず痒そうにした。
 お面を拾い上げると、最初の丘に帰還していた。大樹の根本に白い服の子どもが一人、座っている。ムジュラの仮面をかぶった子どもだ。
 リンクは一歩一歩草を踏みしめ、その子どもに近づいていく。
 ムジュラの仮面の子どもはリンクを見上げ、低い声で言う。
「お前、ここがどんな場所か分かっていないようだな」
「ここは月の中だろう」
「そうじゃない。タルミナのことだ」
 リンクは片方の眉を跳ね上げる。続けて子どもが尋ねた。
「お前はこのタルミナで、知り合いに似た人物を見てこなかったか」
 息を呑む。先ほどの亡骸の子どもたちといい、どうやらこの仮面には遠い国ハイラルの出来事まで把握されているらしい。
 これも精神攻撃の一種に違いないと身構える。子どもは仮面の下で唇を歪めた。
「ハイラルから遠く離れたタルミナに、見知った顔がたくさんいる。それが何故だか分かるか?」
「俺が知るものか。ただの偶然だ」
「いいや、そうじゃない」
 子どもは立ち上がり、まっすぐにリンクの胸元を指差す。
「あれは、お前が作り出したものだ」
 まともに言葉を受け取るなという警告が脳裏に響く。だが、反論できない。口の中がカラカラに乾いていた。
「何を証拠に……」
「タルミナも、そこに住まう人々も、お前がトライフォースに触れることで作り出した。聖三角は触れた者の望みを映し出し、新たな世界をここにつくったんだ」
 ごくりと喉が鳴った。そしてムジュラの仮面は言い放つ。
「タルミナは、ハイラルの聖地だ」



「ルミナ! あの巨人はなんなんだよ」
「おばあちゃんの話にそっくりだわ……」
 ナベかま亭に戻ると、さすがに居ても立ってもいられなかったのか、めおとの二人が外に出ていた。口々に質問を浴びせるが、ルミナだってたいがいパニックになっている。
「ごめん、それは後にして!」
『お二人にお聞きしたいことがあるのです。大きな音の出る楽器を知りませんか』
 アリスは落ち着き払って尋ねた。いきなり場違いなことを言ったので、カーフェイあたりに「今はそれどころじゃないだろ」と怒鳴り返されるかと思ったが、
「楽器? 巨人を呼ぶわけじゃあなさそうだな」案外冷静になって話を聞いてくれた。
『ええ……月の中まで、あるメロディを届けたいのです』
 アリスはなぜか少し落ち込んだように言う。
「カーフェイ、心当たりはある?」
 アンジュに促され、カーフェイはまぶたを閉じてじっと考え込む。
「ああ、ある。ついてきてくれ」
 彼は子どもにできる目一杯の早足で歩いていく。三人はその後に従った。
 やってきたのは南広場だ。やぐらを組み立てる大工たちが呆然と空を仰いでいる。その前を通って、カーフェイは時計塔に向かった。
「え、ここ? 楽器なんてあったかなあ」
「ルミナ。本当に覚えがないのか?」
 彼はからかうような口調になる。時計塔には三つ入口があって、リンクたちのいる屋上に向かう扉と、誰も中に入ったことがないという足元の開かずの扉と、からくりの整備をするための機械室に向かう扉がある。カーフェイは一番最後の扉を目指した。扉は施錠されていたが、「確かここにあったな」と入口のマットをめくると予備の鍵が見つかった。
 中に入ったルミナが叫ぶ。
「そっか、時計塔の鐘だ!」
 毎日鳴り響く鐘はからくりで自動化されているが、手動で演奏することもできるのだ。かつてルミナはカーフェイと組んでここでいたずらを働いたことがあった。時計の針の動きはそのままに、鐘を鳴らす回数だけ変更したのだ。おかげで町は大混乱に包まれた。その時はドトール町長にやんわりと叱られ、アロマ夫人の長い長い説教を受けたものだ。
 そうだ、時計塔の鐘なら月に一番近くて大きな音が鳴る楽器にあてはまる。絶対に月の中まで届くだろう。
 ルミナはわくわくしながら青い妖精に問いかける。
「アリス、それで何の曲を演奏すればいいの」
『ここに譜面を持ってきました』
 妖精の言葉の直後、紙束が虚空から現れる。一体どうやったのかとアンジュたちはびっくりしていた。
 だが、ルミナは驚きを通り越して青ざめている。
「わ、わたし……楽譜なんて読めないよ!」



 まず何から話しましょうかね。時間がないので手短に行きたいものですが。
 私はある国の守護神として、創造を司る女神によって生み出されました。あなたと――鬼神さんとは同世代です。
 その頃は、女神も自分の生み出す世界に関心を持っていました。我々守護神や、おさめるべき人々を順番につくっていきました。神々はそれぞれの責務をこなしながら、神だけが住まう天界で穏やかに暮らしていました。
 しかし今思えば、争いの種ははじめから存在していたのでしょう。創生神の力を宿した秘宝、聖三角トライフォースです。それは触れた者の願いを叶え、世界を作り変えることすらできるという凄まじい力を持ったものでした。
 創造の女神は、長く続く平和を停滞とみなしました。おそらく自分の作った世界に飽きたのでしょう。ほんの気まぐれだったのでしょう。天界に安置されていた聖三角を、突然「人間たちに管理させる」などと言い出しました。
 そこで選ばれたのがイカーナ王国です。鬼神さんの守護する国ですね。聖三角の力により、イカーナはみるみる繁栄していきました。
 ――私は納得がいかなかった。私の故郷だって素晴らしい場所だったのに、いきなりイカーナと差がついて、その貧しさが明らかになったんですよ。あんまりじゃないですか。それに、あの聖三角は人間が管理すべきものではない……必ず悪用する者が出ます。女神の行動は争いの火種を自ら作ったようなものでした。
 私はトライフォースの奪還を画策しました。再び神々が管理する体制に戻そうとしたのです。イカーナにスパイを送り込み、私自らあの国に潜り込みました。近々大きな戦いがある、そして敵国は私の故郷ではないという噂を流すために。
 その時、あなたに出会ったんです。
 天界ではあまり交流がなかったのでその時が初対面でした。だからそれまで、「鬼神はトライフォースを手に入れていい気になってるんじゃないか」って勝手に思ってたんですよ。でも全然そんなことなかった。むしろあなたは扱いきれない秘宝を突然手に入れて、困惑しているようでしたね。
 しかもあなたときたら私のことを全然警戒しないし、せっかく裏切り者の噂を流しても嘘だって取り合わないし。どこが荒ぶる神なんだと何度も思いました。
 おかげでイカーナを攻め落とすのは容易かった……実力では到底勝てないと思っていたあなたを、相打ちにまで持ち込めました。最悪、私自身の存在が損なわれても、トライフォースさえ奪えたらどうにかなると思っていたので、成果は上々でした。
 でもあの大妖精のせいで私は負けました。あいつの変な歌のせいで、私はこうして力を封じられて仮面にされてしまった。しかもその後私の故郷は光を奪われ、永遠の黄昏の中に閉ざされたと聞きました。
 トライフォースは女神が新しく作った別の国――ハイラルに引き継がれました。イカーナは滅びてしまったので、その跡地をハイラルの聖地として、トライフォースが安置されることになったそうです。
 でも結局、ハイラルでも人間の中から魔王とかいうやつが出てきて、そいつに聖三角を奪われたんですってね。そのせいで聖地は闇の世界になったんだとか。いい気味ですよ、まったく。
 その魔王を倒したのが、時の勇者。時の勇者が時の扉を通る際にトライフォースに触れたせいで、聖地はあいつの心を映したタルミナという世界に変化しました。このタルミナにいる人々は、時の勇者の知り合いとそっくりなやつだらけらしいですよ。何もかもがあいつにとって都合のいい世界――あなたが時の勇者に力を貸したのも、そのせいに決まってます。
 私がこうして復活できたのは偶然でした。仮面になった私は長いことあちこちさまよいながら、少しずつ力をたくわえて、やっとここまで来たんです。この場所に戻ってきたんです。
 ……この世界は過去に二度、滅びています。一回目はイカーナの滅亡、二回目は聖地が闇の世界になったこと。そして、私は三回目を起こすつもりです。
 そういえば、「太陽と月は同じ空に昇れない」と誰かが言ってましたっけ。
 あなたは覚えていないかもしれないけれど、月は鬼神さんの象徴でした。だから私、月を落としてタルミナを滅ぼそうと考えたんです。死神の私は太陽の象徴。そして勇者は――星。
 月と星は同じ空に昇れるけれど、私はそうではないんです。



 語り終えたムジュラは、静かにゼロを見つめた。
「鬼神さん。このまま時の勇者に力を貸して、本当にいいんですか? あなたの人生はどこまで行ってもあなただけのものです。聖地や他人のために消費しつくされるべきではないでしょう」
 彼女の問いかけは、ロックビルの神殿の前でリンクがした話とどこか似ていた。与えられた使命とどう向き合うか、何を選ぶのか――自分は誰のために時間を使いたいのか。
 彼女もリンクと同じように過去を開示し、ゼロに判断を委ねようとしていた。そう、二人はどこか似ている。
 だからこそ、ゼロは真剣に答えることができた。
「申し訳ないけど、オレはキミの知っている鬼神には戻れない」
 ひるんだようにムジュラは顔を歪める。
「あなたは、その人格も使命も――女神や時の勇者のせいで、全部歪められてしまったんですよ。嫌じゃないんですか。私なら耐えられない……!」
 瞳の奥で暗い炎が燃えている。煌々と輝く光は、ムジュラの仮面に宿る光や月の両目とそっくりだった。
「リンクはもう他人じゃないし、タルミナはオレにとって大事な場所だから。今の気持ちは全部オレ自身のもので、誰かによって歪められた結果だとは思えないよ」
「そうですか。どうしても、私のことは選んでくれないんですね」
 絞り出すような声は慟哭に近い。
「……ごめん」
 ムジュラは黙って片手を持ち上げた。虚空から大鎌を取り出す。
「ムジュラさん……キミは何のために戦うの」
「さあ? 帰る場所ももうないし、迎えてくれる人だって誰もいない。ただ、何もかも忘れて今を生きるなんて私には無理です。過去を忘れられないから、私一人くらいは聖地を否定してもいいでしょう?」
 彼女は薄く笑った。もはや自棄になってしまっているのが手に取るように分かる。
 せっかく直接話をしても、刃を交える結果しか導けなかった。相手に聞く気がないのか、ゼロの力が足りないのか――きっと両方なのだろう。そしてゼロは、過去の戦いの責任をとるためにも、ムジュラ自身のためにも戦わなければならない。
 ゼロは金剛の剣を抜く。
「あなたを倒したら、次は時の勇者を手にかけましょう。ちゃんと本気になってくださいね、鬼神さん」
「……そうはさせない」
 今、鬼神と死神は長い時を越えて再びにらみ合った。

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